第7章 二通の遺言状(14)
万沙子らが出て行った後、僕と美凪は狭い押入れの中で、少し伸びをした。
まだたいして時間は経っていないが、流石に息を殺して潜んでいるのは疲れるものだ。
だがすぐに、次の人間が入って来た。
僕は音を立てないように、また定位置につく。横にいた美凪も、窮屈そうにしていたが、すぐに伸ばしていた足を折って、耳を澄ましている。
「どうぞ、こちらに座って下さい」
椎名の言葉に、入って来た誰かは僕の前に背を向けて座った。誰だろう。順番から言えば次は三男の賢三だろう。そして僕の予想は当った。
「賢三さん…ですね?」
「はい」
「申し訳ないですねェ。もう一回なんて…」
椎名はそう言うが、別に本当に悪いとは思っていないような口ぶりだ。
「いえ。兄がああいう事になったのですから」
「助かりますねえ、そう言っていただけると。……ところで、弘二さんと仲はよろしかったんで?」
「……何故そんな事を聞くんですか?」
少しの沈黙の後、賢三がぼそりと返した。
「ああ、別に大した事じゃないんですよ。いえ、ただね。皆さんあまり兄弟仲がよろしくないように感じたものでね。気を悪くしないで下さい」
睨まれたのだろうか。
慌てて、弁解する椎名に、賢三は吐き捨てるように言った。
「そう感じるならそうなんですよ。見りゃわかるでしょう? 言っておきますが、俺は弘二兄さんと、ここ数年話したことすらありませんから。家は違うんだし。話す事なんかありゃしないし」
「……そうですか…」
仲が悪いのは、ここ数年ではないのだろう。
もっと前―――子供の頃からなのだろう。末っ子の賢三が、上の兄弟達と、どう過ごして来たのかはわからないが―――。
「さっきも話しましたけど、俺はずっと部屋にいました。文子と奈々と三人で。なんなら二人に聞いてもいいです」
「勿論、後でお二人にも聞きますがね…」
賢三は聞かれる前に、どんどん話をしている。何だかさっさと終わらせて立ち去りたいかのようだ。
「もうこれで、聞きたい事はないですか?」
「ああ…そうですね……ちょっと確認させてもらってもよろしいですか?」
「何です?」
少し腰を浮かしていた賢三だったが、椎名が言うと座りなおした。
「春頃、以前勤めていた会社をリストラされたそうですね」
「……な…なんで…いや、関係ないでしょう?」
「でもまた、別のお仕事をされているみたいですね」
「そんな事どうでもいいでしょう! それが兄の死と何か関係があるとでも言いたいんですか!」
声を荒げて、すっかり冷静さを欠いた賢三と違い、椎名は落ち着いた声で聞いた。
「ですから確認ですよ。それとも、あんたは関係があるとでも言いたいんで?」
「…いえ……別に」
賢三は、観念したかのような声で呟く。
「確認ですからね。……前の会社に比べて、月収が減ったみたいですけど、生活の方はどうですかね?」
「……まあまあです」
「まあまあ、ね。奥さんの文子さんもパートに出てるんですよね?」
「……」
「賢三さん?」
「…文子が働きたいと言うんで。別に生活は苦しくもないですよ」
「そうですか? 新しいマンションを購入された矢先だったんでしょ?」
がたん、という音がして、襖の隙間から見えていた、賢三の背中が動いた。
「いい加減にしてもらいたいですね! うちの経済などお宅らには関係ないでしょう!」
「まあ、落ち着いてください。お気に障ったなら謝ります」
「気に障ったさ! もういいでしょう?」
そう言うが早いが、賢三はさっさと立ち上がり、乱暴に音を立てて襖を閉めて出て行ってしまった。
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