第7章 二通の遺言状(8)
「さて…」
僕たちの前に座った佐久間刑事は、手帳を開いて、トントンと机を指で弾いた。
「まず、名前からいいですか?」
「あ、はい。僕は遊佐 秋緒といいます」
佐久間がこちらの方を見たので、僕から名前を言う。
「ゆさ……? えっと…」
「あの、遊ぶに、さはにんべんに左と書いて」
「ああ! はいはい。遊佐…ね」
ちょっと珍しい名前だ。
こういう事は、子供の頃からしょっちゅうだった。その後、佐久間は住所や学校名などを聞き、美凪にも同じ質問をした。
佐久間は、黒い手帳にそれらを書き込むと、いきなりぱたんと閉じて立ち上がった。
「はい。ご苦労様でした。これで終わりですから、もう結構です」
「は?」
あまりな事に、僕は間抜けな声を出し、佐久間を見詰める。
「え…? あの、その事件の事とか、昨日の晩からのアリバイだとか、聞いたりしないんですか?」
「いやあ。でも自殺だしね。君達はここの家の人じゃないんだし…」
それを聞いて、僕はがっくりと頭を下げた。
成る程。どうりで他の人たちの事情聴取も、早かった訳だ。
「……あのう。自殺じゃないと思いますけど。さっきもう一人の刑事さんも言ってましたよ?」
思い切って、僕が言うと佐久間は文字通り飛び上がった。
「ええ? それ本当かい?」
「…はあ」
最初に感じた通り、やはり頼りない新人みたいだった。僕はため息をついて頭を掻いた。「参ったなぁ」と言いながら、その場に佐久間が座り込んだ時、襖が少しだけ開いて、猫背の刑事が顔を出した。
「おい…こりゃあ、どういう事だ? お前何やってんだよ」
「椎名さん…!」
椎名刑事は、こちらを覗こうとしている彬を追いやりながら、こちらの部屋へ入って来た。後ろから守屋も付いて入って来た。
隣の部屋では東郷家の人たちが、先程からずっと何か喋っている為、こちらの会話は耳を澄まさない限り聞こえないだろう。だが、たった襖一枚だ。椎名は佐久間の隣に腰を下ろすと、小声で佐久間の手帳を見せろと言った。
佐久間の黒い手帳を、ぱらぱらとめくって、椎名は「はぁ」と、声に出してため息をついた。
「―――駄目だ。やり直ししないとな」
「ええ? どうしてですか?」
慌てる佐久間をちらりと見てから、今度は僕と美凪を見て、少し後ろに座っていた守屋に目配せする。すると守屋は、小さく頷いた。それを確認すると、椎名は佐久間に手帳を返しながら、口を開いた。
「……君たちのことは、守屋さんから聞いたんでね…。東郷さんが依頼したっていう、君のお父さんも、明日には来るらしいからね……」
「え、明日?」
そんな話は聞いていない。それよりも何よりも、父には電話すら通じていないのだ。
慌てて守屋を見ると、弁護士は素早く僕に、ウインクしてみせた。
どうやら、守屋が機転を利かせてくれたらしい。ここは守屋の好意にのった方がよさそうだ。
僕は椎名に「はい。明日来ます」と頷いた。
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