第4章 円香(1)


 その日は、昨日から降り続いていた雨が、更に激しく降っていたのだという。

 円香はこの部屋で一人眠っていたが、元々眠りが浅い上に、激しい雨が屋根の瓦や雨戸を、壊れるのでは、と思うほどに叩きつけており、目が醒めて起き上がった。

 枕もとにある時計を見ると、一時半過ぎだった。

 円香は水を飲もうと、いつも部屋に置いてある水差しを取ったが、中は空だった。入れ忘れた事を思い出し、円香は台所へ行こうと部屋を出た。



 円香は、生まれた時からこの家にいる。薄暗い廊下も、歩くたびにみしみしと音が鳴る古い廊下も、怖いとは思わなかった。

 だが今夜は時折雷が鳴り、廊下をいく雨戸も、がたがたと嫌な音を響かせている。

 こんな夜だ。誰か他にも起きてきてよさそうなのに、人の気配はない。一瞬、部屋へと引き返そうとしたが、のどが渇いて仕方がなかった。そう思うと、無性に水が飲みたくて堪らない。円香は薄暗い廊下を、ゆっくりと歩いて行った。




 円香の部屋は、平屋の屋敷の一番端の方にある。

 長い廊下を進むと、途中、この家の主人であるおじい様の部屋がある。円香は、その部屋の前を、音を立てないようにして、ゆっくりと慎重に進んだ。

 以前、足音で起こしてしまった事があるからだ。


 妙な音がした。


 円香は、ふと立ち止まった。

 雨が雨戸や屋根を叩きつける音が響いている。気のせいか……。そう思い、再び歩き出そうとした時また、その「妙な音」がした。

 ぎぃぎぃ……と、誰かが歩いて来るような音が、確かに聞こえたのだ。円香は、耳を澄ます。と、また音がした。気のせいではない。今来た廊下を振り返って見る――が、誰も来ない。前を見ても、こちらへ来る人はいない。

 では、どこから?

 誰が―――?

 円香は、目の前の部屋を見た。音はここから聞こえてくるのか……。すると雨音に混じって、またその音がした。


 部屋の中から音がする?


(まさか、おじい様また心臓の発作が……?)東郷 正将は元々あまり心臓が強くない。これまでに何度となく、救急車のお世話になっている。発作で苦しんでいるのだろうか?

 円香は、ゆっくりと襖に近づき囁いた。

「おじい様? 起きてるの……?」

 返答はない。

 円香はそっと襖を開けて、中を覗いた。




 部屋の中は薄暗く、よく見えなかった。円香は襖をもう少し開いて見た。東郷 正将の部屋は、あまり広くはなかったが、庭が一面に見える場所であり東郷 正将本人も気に入っている部屋だった。

 円香は、薄暗い部屋を見回した。ところが布団には、人が寝ている気配が無い。


(おじい様発作だわ! 大変!)


 そう思った円香は、遠慮なく襖を大きく開けて、中へと入った。そして、部屋の明かりを点けようと、部屋の中央へ踏み出した時、何か固い物が円香の顔に当たった。

「痛……なに?」

 こんな所に、何かあっただろうか?円香は鼻をさすりながら、上を見上げた。

「…え……?」

 ぎぃぎぃと、さっき廊下から聞こえた音が、耳元で響いている。

 何か、大きな物が、天井からぶら下がっていた。それが軽く揺れて、ぎぃぎぃと、音が鳴っていたのだ。

 その時、大きな雷が鳴り響き、部屋の中が一瞬だけ明るくなった。円香は、そのぶらさがっている何かを見た。





 東郷 正将が、天井からぶら下がった格好で、円香を見ていた。





 どこかで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。それは自分の悲鳴だと思いながら、円香はそのまま、意識を失ってしまった……。


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