風の彼方へ
「……ほな……ウチも……逝くか……」
「……メルル」
エルスが逝き、それを見守ったメルルがそう呟いた背後から、不意に声が掛けられた。
それは誰あろう……シェキーナであった。
首だけを巡らせて背後を見たメルルは、そこに必死の……いや、悲壮感を露わにした彼女の姿を確認した。
「何や……もう起きてもうたんか……」
白の世界は、メルルが拒む者を寄せ付けない絶対結界の様なもの……。
魂の交わりを持つと言って差し支えの無いシェキーナならば、自由に移動できても何ら不思議な事では無かった。
それでも今この時に、気を失っていたシェキーナが目覚め此処へとやってくるなど、メルルも思い至らなかったのだった。
「エルスは……死んだのか?」
シェキーナは聞く……と言うよりも、確認する様にメルルへと声を掛けた。
それに対してメルルは、頷く事で肯定した。
「……そうか……。エルスは……満足して逝ったのか?」
この問いに対しても、メルルは首を縦に振った。
そしてシェキーナも、首を縦に振って納得する。
「メルル……お前……。エルスと共に死ぬ気なのか?」
そして再度、メルルへと問いを投げ掛ける。
メルルは、今度はゆっくりと前を向き、己が膝で眠りについているエルスへと視線を落とした。
「この子は……意外に寂しがり屋やからなぁ……。ウチが付いて行ってやらんと、ごねるかも知れんからなぁ……」
その答えは、正しくメルルもエルスと共に死すると言うものに他ならない。
どの時代のエルスを思い描いて口にしているのか、メルルはどこか楽しそうにそう話した。
「そうか……ならば私も同行しよう」
そんなメルルを羨ましいと感じながら、シェキーナもまた追い腹を切る旨をメルルへと伝えるも。
「あかん」
メルルに即座の拒否を受けて、シェキーナは言葉を失ってしまった。
もっとも硬直していた時間はそう長くなく、程なくシェキーナが反論を試みる。
「なぜ……」
「あんたには……生きて貰わなあかん。生きて……エルナの面倒を見て貰わなあかんのや」
しかしその言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
そして突然エルナーシャの名前が出てきた事に、シェキーナは言葉を詰まらせてしまった。
「エルナはもう……エルスの能力を引き継いでいるのだろうっ!? ならば私がこちらに居て、教える事など何もないっ!」
「エルナはまだ……子供や。力はいずれ強くなるやろうけど、まだまだ親が……導くもんが必要な歳なんや」
それでも反論を試みるシェキーナに、メルルはゆっくりと言い含める様な声音でそう言い返す。
だがこの場に於いて……いや、このタイミングだからこそ、シェキーナも引く事など出来ない。
「ならば、お前が残れば良いだろうっ! 私がエルスを連れて行くっ!」
「エルスは……誰にも渡さん」
食い下がるシェキーナに、メルルは今度こそ、断固たる決意を込めた言葉で言い切った。
そんな今までに見た事も無い……抗いようの無い気迫に、シェキーナは反論を続ける事が出来なかった。
「エルスは……ウチが連れて逝く。これは……誰にも任せられへん。アルナにも……シェキーナ、あんたにもな」
再び肩越しでシェキーナを見つめるメルルに、シェキーナは完全に呑まれていた。
声を出したくとも、異を唱えたいと思っていても、それを実行できないでいたのだった。
「ウチは……もうよーけ生きた……。もう……ウチの興味を引くもんはこの世界に……無い。エルスの居らん世界に、興味なんか無いんや……」
「そ……それならば……私も……」
不老であるメルルの言い様は、何とも実感がこもっていると共に何処か疲れを感じさせるものが含まれていた。
彼女の独白を聞いていたシェキーナだが、メルルの気持ちにも共感するところがある。
シェキーナはメルルの言葉を継いで、同意を示そうとしたのだが。
「……ウチは……悪い女やなぁ……。み―――んな、エルスの事が好きやのに、最後の最後は……独占しようとする。恨まれてもしゃーない女や。エルスと一緒に死のう思てるシェキーナ……あんたの想いでさえ、ウチは実行させへんねんから……」
シェキーナに全て話させずに、被せてメルルがそう言った。
思わず言いあぐねたシェキーナであったが、メルルの言葉に自身の名を上げられて……彼女は僅かに驚愕の表情を浮かべた。
「メルル……今……何と……」
だがシェキーナが言葉の全てを口にする前に、大きな変化が眼前で展開された。
「ほな、エルス……逝こか……」
メルルはシェキーナの問いに答えず、まるで生きているエルスに話し掛ける様にそう呟く。
するとエルスを抱くメルルの身体から、碧色の炎が沸き立ったのだ。
「メルルッ!」
「この炎で、ウチはエルスと一緒に逝くわ―――……。シェキーナ……後の事は、宜しく頼むで―――」
「ま……待てっ! メル……ッ!?」
メルルを呼び止めようとしたシェキーナだったが、直後に発生した、今度は翠の結界が彼女を包み込んで押し飛ばす。
成す術の無いシェキーナは、その光に呑まれながら意識を奪われてしまったのだった。
翠の炎がエルスとメルルを燃やす。
間違いなくエルスの身体は燃焼していると言うのに、その炎はまるで彼を優しく包み込んでいるかのようであった。
「エルス……よう頑張ったなぁ……。あんたは紛れもなく……最後まで勇者やったで―――……」
翠の炎でその身を焼きながら、メルルは一人……そう呟いたのだった。
白の結界の外に追いやられていたアルナは、それでもその中に入ろうと足掻いていた。
それは偏に、エルスを取り戻すために他ならない。
だがアルナがどれ程その中へと侵入を試みようとも、どうにも入る事が出来なかったのだが。
そんな白の結界の中心部から、今度は翠の結界が出現した事をアルナは確認した。
一気に勢力を拡大する翠の結界は、目の前にある白の結界を覆いつくす勢いがある。
「くっ! メルルッ! エルス―――ッ!」
アルナは知れず、そう叫んでいた。
迫り来る翠の結界が彼女の身体を包み込もうと言うのに、アルナはそこから逃れようとはしなかった。
「……ベベルッ、あなたっ! 離してっ! 離してよぉっ!」
そんなアルナを後ろから抱き上げ、突如現れたベベルがその場から大きく退避する。
寸での処で助けられたアルナだったが、当の彼女はベベルの腕から逃れようともがいていた。
それでも、アルナにはベベルの腕から抜け出す程の力が……もう無かった。
「エルス……エルス……。何故……どうして……。力が……私の力が無くなっちゃった……。これじゃあ……エルスを生き返らせる事が出来ないよぉ―――……」
ボロボロと涙を溢しながら、アルナは憮然自失と言った態でそう独り言ちていた。
そんな彼女を抱えて疾駆しながら、ベベルはアルナの顔をチラリと盗み見た。
今の彼女に、先程までの狂気な表情は見られない。
それどころか、まるで1年前のアルナへと戻った様な印象まで受けた。
「力を……抜かれたのか……。こいつも……利用される側だったか……」
未だ拡大を見せる翠の結界から逃れながら、ベベルは誰に話すでもなくそう呟いていたのだった。
何もない、荒涼とした大地でシェキーナは目覚めた。
すでに白の世界も……碧の結界も無くなっている。
勿論、その場にはエルスも……メルルも居ない。
カナンとシェラ、ゼルの亡骸も消え失せていた。
「……エルス……?」
呆然とするシェキーナがポツリ……とそう呟いた。
だが当然の事ながら、その言葉にエルスが答えてくれるような事は……無い。
「エルス―――ッ! メルル―――ッ!」
それでもシェキーナは、まるでその姿を追い求める様にそう叫んだ。
しかしやはり、その声は虚しく周囲に溶け込み消え去るのみ。
やがてシェキーナは、ガックリと肩を落として地面に両手両膝を付いた。
「……卑怯だぞ……メルル……」
そしてそう呟いた。
「私も……一緒に逝きたかった……。私も……エルスと共に……逝きたかったのだ。それを……」
彼女の見つめる先に1つ2つと雫が零れ落ち、地面へと吸い込まれていった。
「私にだけ……生きろなどと……重荷を科すなど……メルル……ずるいではないか……」
シェキーナの手が、力の限り大地を掴む。
まるで何かを……求める様に。
まるで失った何かを……悔やむ様に。
そしてまるで……恨む様に。
「エルス―――ッ!」
そして顔を上げたシェキーナは、虚空へと向けて最愛の者の名を叫んだ。
その慟哭は……周囲一帯に響き渡るも……。
いずれは霧散し……溶け込み……。
そして吹きすさぶ風が、何処かへと連れ去ってしまったのだった……。
こうして……後に「エルスの乱」と銘打たれた、元勇者パーティによる戦いは……幕を閉じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます