ありがとう

 圧倒的優位にあったエルスであったが、アルナとの決着を見るその直前……多量の吐血と共に、その場で膝を付いたのだった。


「く……そ……」


 その理由を、エルスは分かっていた。


 先程服用した薬の効果が……切れかかっているのだ。

 効用時間としては、メルルの明示していたものよりも若干早い。

 もっとも、エルスの振るった力を鑑みれば、それも止む無しと言った処であった。

 より強い力を引き出せば、その効果時間が犠牲になる……それもまた、メルルから聞き及んでいた事だからだ。


 ―――……命脈が尽きた。


 エルスは、その事を違う事無く理解していたのだ。

 そして彼は、そのまま前のめりに倒れ込んだのだった。

 

「……エールース―――!」


 そんなエルスと入れ替わる様に、先程まで倒れていたアルナが立ちあがる。

 肩口から切り落とされた右腕は未だに無く、その傷口からは夥しい出血が滴っていた。

 しかし彼女に、その事を気に掛けている様子はない。

 僧侶である彼女ならば、即座に放置されている右腕を繋ぎ合わせる事も可能だ。

 それであるにも関わらず、今のアルナにはよりも優先すべき事があったのだ。


「遂に……遂にこの瞬間が来たわね―――……エルスッ!」


 アルナは左手に巨鎚を構えて、エルスを見下ろしてそう告げる。

 その眼は既に常軌を逸しており、その口元は歪な程に吊り上がっていた。


「お前を殺し、再び蘇らせるっ! そしてエルスを……本当の勇者エルスを取り戻すのよっ!」


 アルナの瞳には、先程見たエルスの姿が焼き付いていた。

 

 疑いようもない、勇者エルス。


 神々しいまでに強く美しいエルス。


 優しく、温かい笑みを投げ掛けるエルス。


 その全てが、アルナが想い願うエルス像に他ならない。

 そしてそんなエルスの姿を垣間見たからこそ、その渇望は留まる事無く彼女の胸に満ちていたのだった。


 ズイッと一歩、エルスの方へと近づくアルナ。

 そんな彼女の接近に、エルスは気付いているのか微動だにしない。

 ただ呼吸を荒くし、時折吐血を繰り返すだけだった。


「安心して……エルス。その苦しみからも……すぐに解放してあげるから」


 表情に反して優しい物言いのアルナが、やはりそのセリフからは似つかわしくない行動を取る。

 持っていた巨鎚を高々と振り上げて、その狙いをエルスへと定めたのだ。

 僅かの躊躇も見せず、アルナはそのまま戦鎚を振り下ろすも。


「……っ!? メルルッ! 貴様―――っ!」


 アルナの攻撃は、防御障壁に阻まれてエルスを仕留める事が出来なかったのだった。

 そして彼女は、その障壁を張った者へと呪詛の声を投げ掛ける。

 言わずもがな、その人物とは……メルルだった。


 いつの間に近づいていたのか、メルルはエルスとアルナの至近にまでやって来ていた。

 そしてエルスを護る魔法防御を展開していたのだった。


「……もう……ええやろ……アルナ」


 そして彼女は、憐みを込めた目でアルナにそう話しかけた。

 アルナの攻撃を防いだ魔法防御をたわめる事無く、メルルはゆっくりとした足取りのままエルスへと近づくと、そのまま彼の元まで来て跪き、ゆっくりとエルスを仰向けに寝返した。

 そしてエルスの頭を自らの膝に置くと、優しくその髪をくしけずったのだった。

 その様子を、射殺す様な視線を向けて見ていたアルナが、再び手にした狂鎚を振り上げてメルルの展開する防御障壁に叩きつける。


「もう良いとは、どういうことだっ! 私の望みは、これから達せられようとしているのだっ! その邪魔を……するな―――っ!」


 渾身の力を以て、アルナはその障壁に攻撃を繰り返した。

 その度に、耳を劈く異音が周囲に響き渡り、眩い魔法光が四散する。

 それでも、メルルの防御障壁はアルナの攻撃に屈する事は無かった。


「何故だ……何故……これ程の障壁を……」


 どうあっても破れないメルルの結界に、アルナは愕然とした声を発した。

 

 メルルとて魔法使い。防御魔法も使用出来る。

 世界屈指の「大賢者」が展開する魔法防御は、高い効果を発揮する事も頷ける話だ。

 それでも、メルルは防御魔法のスペシャリストと言う訳では無い。

 やはり防御魔法に長けている「僧侶」には及ばないのだ。

 その事を知っているアルナが、メルルでは防ぎきれないと思う攻撃を仕掛けて……目的を達せられなかったのだ。

 アルナが絶句するのも、仕方の無い事と言えた。

 そしてその理由を、アルナも理解する事となる。

 

 ゆっくりと顔を上げたメルルには、既に“第三の眼テルツォマティ”が開眼していた。

 彼女の特殊能力を以てすれば、強固な防壁を築く事も不可能では無い。

 アルナ達を攻撃した「破界炎星招来」の様に、同じ魔法を同時に発動すれば、その効果は3倍以上にもなって現れるのだ。

 メルルが防御魔法に「第三の眼」の効力を上乗せしていれば、アルナの攻撃を悉く防いでいる事も頷ける。

 瞬時、アルナはその結論に至ったのだが。

 すぐにその考えは自身により否定されたのだった。


「な……メルル……何だ……その瞳……」


 ―――メルルの3つの瞳には……翠色の光が灯っていたからだった。


 今までならばメルルが特殊技“第三の眼”を発動した場合、その瞳にはそれぞれに違う色の光が宿る。

 緋……蒼……紫……。

 メルルが「第三の眼」を発動した場合、瞳に宿る色はこの三色だった。

 しかし今は、そのどれでもない色……。

 まるでメルルの髪の色を浮かびあがらせたような。

 いや、それよりもまだ美しい、純度の高い宝石を思わせる翠が浮かび上がっていたのだ。


 そしてそれが、通常の“第三の眼”とは違う事をアルナは理解したのだった。


「エルスは……あんたにはやらん……。エルスは……ウチが連れて逝く」


 メルルの浮かべる瞳には、怒りも悲しみも、恐怖も恨みも込められていない。

 ただ……慈愛だけが湛えられている。

 余りにも優しいと言えるメルルの瞳に、アルナは一瞬言葉を失ったのだが、彼女の口にした言葉が脳内で反芻され、すぐに現実へと引き戻されたのだった。


「な……何をっ! エルスは誰にも渡さないっ! エルスは……エルスは……っ! きゃあっ!」


 反論を試みたアルナだったが、その直後にメルルから発せられた眩い光とそれに伴う圧力で、僅かの抵抗をする事も無く吹き飛ばされたのだった。

 メルルが展開したその光は、まるで結界の如く彼女を中心として半円形に拡大して行き、周囲を純白の世界へと染め上げて行った。

 そこには横たわるエルスと、それを抱くメルル以外に誰もいない。

 まるで瞬時に、異世界へと転移を果たしたかのような……そんな錯覚を起こさせる空間が広がっていたのだった。


「……すまんなぁ……エルス。今のアルナは、あんたの見たくない姿やろうと思ってなぁ……」


 優しく話しかけるメルルに対して、エルスは薄っすらと瞼を開いて彼女を見るだけだった。

 もはや……言葉を発する事も困難なのだ。


「その代り……」


 エルスから返事が返って来ずとも、メルルには彼が何を思い、何を口にしたいかが分かっていた。

 メルルはゆっくりとエルスの額に自らの額を宛がい、目を閉じた。

 

 ゆっくりと……エルスの意識に、メルルの思考が流れ込む……。


 それは……過ぎ去りし遠き日……。


 そこではエルスが……メルルが……アルナが……。

 

 シェキーナが……カナンが……シェラが……べべルが……ゼルでさえも……。


 笑っていた……。


 エルス達の旅は、決して楽だったと言う訳では無い。

 苦難の連続だったと言って差し支えの無い、辛く苦しい旅であった。

 それでも顧みれば、エルス達にとっては正しく……楽しかった日々だったのであろう。

 メルルは最期に、エルスにそんな「美しい日々」の記憶を見せたのだった。


「メ……ルル……が……とう……」


 そう口にしたエルスは、僅かに開いていた瞼をゆっくりと閉じた。

 しばしその状態でいたメルルだったが、やがてゆっくりと額を離し、そしてエルスへと口づけをした。


「……何や……もう逝ってもうたんか……」


 そして漸く顔を上げたメルルは、僅かに笑みを浮かべてそう呟いた。

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