折れた翼

 エルス達とアルナ達の戦いが始まって、そう長い時間が流れた訳では無い。

 それでも今、この場で戦っているのは……エルスとアルナの二人だけであった。

 強大な力を持っていた面々であったが、同等の力を示す敵が相手では、この結果も頷けるもの。

 そして、共に強力な力を持っていればこそ、雌雄は一瞬で決すると言うものであった。

 それを考えれば、エルスとアルナの戦いもそう長く続くはずは無かった。


「エールース―――ッ!」


 地獄の底から呼び掛ける様な……それでいて歓喜に打ち震える様な声で、アルナはエルスの名を口にする。

 それと同時に、装備している巨鎚を振り下ろした。

 

「……アルナッ!」


 その攻撃を、エルスは右手に持つ剣で弾いて見せる。

 歪な程に巨大な鎚頭ハンマーヘッドを持つ戦鎚の一撃も、今のエルスであれば軽々と往なす事が出来るのだ。

 それどころか、あっさりと躱す事も不可能では無い。

 そうしないのは、エルスが躱す程でも無いと考えているのか……。

 それとも、躱す事が出来ないと考えているのか……。


 メルルの言葉で戦いを再開したエルスだったが、アルナの名を口にした声音を聞く限りでは、未だ完全に割り切ったと言う訳では無いように思われる。

 そんな想いが、エルスの行動から様々な選択肢を奪っているのかもしれない。


 アルナの攻撃を弾いたエルスは、そのままアルナに対して斬りかかった。

 それも1撃……では無い。

 目にも止まらぬ速さで、一瞬と思しき間に3連撃を繰り出していた。

 そして当然、アルナにその攻撃を躱す事など出来なかった。

 元々僧侶である彼女に、戦士としての高い能力を示すエルスの攻撃を躱す事など、不可能に近い行為である。

 更に今、エルスは勇者としての力を取り戻して入る。

 そんな彼の攻撃を、アルナが見切れる筈も無く。


「くっ!」


 アルナの目の前で、三度エルスの攻撃が弾かれ、その度に魔法光が弾け散った。

 当たり前の話だが、アルナは自身の周囲に強力な防御障壁を張り巡らせている。

 人界でも屈指の……いや、最高峰にある僧侶が作り出した防御障壁は、如何なエルスでも容易に打ち破る事は出来ない。

 自身の持つ剣が反発を起こし、打ち込みと同じくらいの力で押し戻されてはエルスと言えども体勢を崩す。

 アルナはそのタイミングで、再び巨鎚を振り下ろした。

 先程の攻撃で左腕が殆ど使えていないエルスに、装備している盾でその攻撃を防ぐ事は出来ない。

 したたかに体勢を崩しながらも、エルスはその動きでアルナの強撃を躱す。

 先程までエルスのいた場所……その地面が、恐ろしいまでの陥没を見せた。

 “勇者の闘気アルマ・ムート”を発動しているエルスであっても、その一撃を喰らえばただでは済まないだろう事が伺えた。

 

「……はぁっ!」


 それでもエルスは、即座に体勢を立て直して再び攻撃に移る。

 アルナも、自身の防御障壁を過信はしていない。

 剣を繰り出すのは、誰でもない「勇者エルス」。

 その一撃は、人界最高なのだ。

 エルスが攻撃に移ると同時に、アルナは一層神経を集中させる。

 防御障壁の強度を最大限に高める為だ。

 そんな神経をすり減らす攻防が、僅かの間に繰り広げられていた。


 殊更に大きなモーションを取って、アルナが戦鎚を振り下ろす。

 幾度か繰り返されたそのやり取りに、エルスは先んじて次の一手へと思考を巡らせる。

 そしてその瞬間こそ、アルナの狙っていた“瞬間とき”だった。

 先程と同じ様に、エルスがアルナの巨鎚を剣で弾く。

 その瞬間、アルナは左掌をエルスの方へと向けた。


聖光サクルスっ!」


 アルナがそう叫ぶと同時に、開いた掌から凄まじい光が発せられる。


「グッ!? しま……っ!」


 その攻撃には、エルスを傷つける様な効力は一切ない。

 故に、エルスの虚をついたと言える。

 出の早い魔法「聖光」は僧侶ならば殆ど誰でも使える、所謂「初歩の初歩」と言って良い魔法だ。

 効果は単なる目眩ましであり、瞳を持つ生物の眼を眩ませるだけの代物だった。

 駆け出しの冒険者ならば、その魔法で敵の……怪物の視界を奪い、その隙に攻撃すると言う事もあるだろうが、エルス達ほどの熟達者ともなれば殆ど使う事は無い。

 もっと効率の良い、効果の高い魔法をどんどんと習熟して行くからだ。


 だからこそ、今、この場で使う事には効果があった。


 完全に油断していたエルスは、見事にその視界を奪われていた。

 勿論、その効果が長続きする訳では無い。

 エルスの眼が見えないのも、ほんの僅かな間だけである。

 しかし、攻撃するアルナにすればその時間を作り出せればよかったのだ。


「……サクロ・ヴズルィーフっ!」

 

 目をやられ動きが暫時止まってしまったエルスの至近距離で、アルナは迷うことなくスラスラと呪文を唱え、魔法を発動した。


「ぐわっ!」


 今や自爆魔法と化している「聖爆」を至近距離で……しかも防御姿勢すら取らせてもらえずに、エルスはその身体全てで攻撃を喰らったのだった。

 その爆発には、アルナも勿論含まれている。

 だが、受けたダメージは明らかにエルスの方が上だった。

 先程からの蓄積した負傷に加え、左腕が思うように動かないのだ。


「ぐ……は……」


 吹き飛ばされ、あおむけに倒れたエルスは、すぐに起き上がれないでいた。

 

「エルス―――ッ!」


 そこへ、アルナの追撃が襲って来る。

 狂鎚の一撃が、エルスの正面……正しく真上から振り落とされた。


「ぐふっ!」


 殆ど無防備で攻撃を喰らったエルスは、口から血を噴き出して呻き声を上げた。

 アルナとて、先程の攻撃でダメージを負った筈であった。

 それでも彼女には、瞬時に怪我を回復する“奇跡”がある。

 そしてそれも折り込み済みの“自爆攻撃”なのだ。

 アルナの二撃目がエルスへと叩き込まれるも、その攻撃は即座に飛び退いたエルスが躱す事に成功する。

 再び距離を取る二人だが、その様子は対照的だった。

 息も荒く、疲労困憊のエルスに対して、アルナの方はまだまだ余裕を見せている。

 それを悟ったのか、アルナが口を開いた。


「ふふふ……もうボロボロじゃない……魔王エルス。とっととくたばったらどうなの?」


 瞳に嗜虐的な光を湛えて、アルナはエルスにそう告げる。

 それに対してエルスは何も答えず、ただジッとアルナを見据えていた。


「……気に入らないね」


 そんなエルスの様子に、先程まで歪に吊り上げていた口端を下げて、アルナがポツリと呟いた。

 そして次の瞬間には、鬼女もかくやと言う程の険しい顔つきとなった。


「その眼……まるで勇者だった頃のエルスと同じ様なその眼っ! その眼に宿る光が気に入らないんだよっ!」


 アルナは手にした巨鎚を地面に叩きつけて、忌々し気にそう言い捨てる。

 エルスは正しく満身創痍……立っているのも辛そうな程だ。

 それでもその瞳に宿る光だけは失っていなかった。

 

「その眼で……その瞳で私を見るのを……止めろ―――っ!」


 そう叫ぶと、アルナは無策とも言える程無防備にエルスの方へと駈け出した。


 アルナには……エルスの瞳がまるで、自分を映す鏡の様に見えていたのかもしれない。

 彼女がそう考えていたかどうかは定かでは無い。

 ただその取り乱し様は、そうとしか……まるで怯えているのか、それとも恐怖しているとしか思えない程だったのだ。

 

 アルナの動きを見て取ったエルスもまた、彼女を迎撃する為に行動を開始する。

 

「うおおっ!」


 雄叫びと共に、渾身の一撃を放つ為に闘気を高めた。

 彼女の叩きつけるような巨鎚の一撃から、エルスは驚くほど速く……そして、まるで飛ぶ様な動きで上空へと逃れたのだった。


 ―――その瞬間、蓄えていた“勇者の闘気”が一気に解放される。


 ―――眩い純白を放つ闘気はその出力も相まって、まるでエルスに翼を与えたかのようにも見えた。


 ―――その光景を、アルナは呆然と見つめていた。


「……勇者……エルス……」


 アルナはエルスの姿を見て、思わずそう口にしていたのだった。

 その姿は、正にアルナが……彼女が追い求めた姿に他ならない。

 美しくも力強いその光景は、アルナの記憶にあるエルスとたがう事は無かったのだった。

 そんな情景を見せられては、アルナが動きを止めてしまうのも仕方の無い事であった。


「アルナ―――ッ! 勝負だ―――っ!」


 エルスの啖呵にアルナの意識が漸く覚醒するも、その動きは精彩を欠いていた。

 

「聖爪っ! 鷲撃斬っ!」


 そしてエルスは、右手に持つ剣をまるで天へと掲げる様に構えた。

 それと同時に彼の剣は、“勇者の闘気”が流れ込んだかのような純白色の光を発する。

 先程アルナが使った「聖光」とは一際違う、柔らかくも眩い光……。

 アルナはその様子を……エルスが取る一連の動きを、まるで他人事のような表情で眺めていた……のだが。

 

「があぁっ!」


 強烈な傷みにその意識が一気に覚醒し、アルナは悲鳴を上げて倒れ込んだのだった。

 エルスの放った渾身の一撃は、強固なアルナの防御障壁を易々と斬り裂き、彼女の右腕へと襲い掛かり……斬り落としたのだ。

 

 夥しい出血を撒き散らして倒れたアルナは、自身の身体に起こるべき“奇跡”が発動しない事に、驚きの表情で傷口を見つめていた。

 どれ程の重傷を負っても即座にそれを癒す、正しく“神の奇跡”。

 しかし今、アルナの切り落とされた右腕は一向に元へと戻らないのだ。

 それが、勇者の力で斬られた事によるものなのか、聖属性の攻撃に対しては効果が発揮されないのかは分からない。

 ただ事実として、アルナの右腕は元へと戻らず、その痛みが何時までも消え無いと言う事だった。


 起き上がる事すら出来ずにいるアルナの元へ、エルスがゆっくりと近づいて行く。

 そんなエルスの姿を、アルナは畏怖でも悲哀でもなく、どこか誇らしい気持ちで眺めていた。

 先程感じたエルスに対する気持ち……。

 

 エルスは……魔王では無かった。


 エルスは……勇者だった。


 このまま「勇者エルス」に止めを刺されるのなら、満足して逝く事が出来る。

 アルナはこの時、そんな考えに囚われていたのかもしれない。

 

 そしてエルスが、その瞳に悲しみを湛えてアルナを見下ろしていた。

 

 ―――戦いは……決着した。


 そんな空気がこの場を支配していた……のだが。


「……かはっ!」


 突如、エルスが多量の吐血をして跪いた。

 急激に彼の闘気も鳴りを潜め、明らかにその力も弱まっている。





 運命の刻が……すぐ目の前にまで迫っていた……。

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