剣雄二人

 エルスとアルナが対峙する最も近い処では、カナンとシェラが激しく剣を打ち合わせていた。

 互いに生粋の戦士。

 そして、共にその剣技には自信を持っている。

 そんな二人が渡り合えば、その攻防は常軌を逸したものとなる事は必然だった。


 カナンは笑っている。


 その戦いは、稽古や申し合わせで行われている訳では無い。 

 その一撃ごとが、互いの命を刈り取ろうかと言う程のものなのだ。

 それでもカナンは、その表情が緩む事を……口端が吊り上がる事を止める事が出来なかったし、引き締めようと言う気にもならなかった。

 

「……くくく」


 そんな自分に、戦闘中だと言うのにカナンは自嘲してしまっていた。

 度し難い……と言えば、この上ない性だと言うより他は無い。

 エルスの命……魔界の命運……そして、自らの生命。

 それらが掛かっているこの時にそれを楽しいと感じてしまっているのだから、正しく剣士とは何とも血塗られた性分だと思わずにいられず、そう考えても尚、その手を……その考えを否定しようとしない自分に呆れ返っているのだった。


「……ははは」


 シェラは笑っている。

 まるでカナンの笑いに呼応するように、シェラもまたその口から笑いが零れる事を抑えられなかった。


 彼女にも、気に掛けるべき事は多くある。

 特に、アルナの身を案じる心には偽りなど無い。

 先程見せられたエルスの力……それは正しく、全盛期を彷彿とさせるものだった。

 そんなエルスが、アルナへと向かって行ったのだ。

 元が僧侶であるアルナに、今のエルスと渡り合うだけの力は無い。

 如何にアルナが“不死身”の力を持っていようとも、戦闘技術で上回っていないのであれば勝てる道理が無いのだ。

 そして……アルナの能力にも限界がある……とシェラは考えている。

 確たる証左がある訳では無い。

 ただ何となく……シェラには確信に近い思いがあったのだった。

 それは彼女が、最もアルナに近い場所で彼女を見てきた結論と言っても良い。

 

 そんなアルナとエルスが戦っているのだ。

 自分が駆けつけないで、誰がアルナを護ると言うのだろうか。

 シェラのこの想いに偽りはない。


 ―――しかし、そうしない自分が確かに……いた。


「そ―――らっ!」


 力任せに大振りの……それでいて最速の攻撃。

 所謂“渾身の一撃”をカナンに向けて放つシェラ。

 世界でもトップクラスの戦士が、その力の限りに攻撃を放ったのだ

 これを受け切る戦士など、恐らくはいないと言って良い程である。


「……ふん」


 その攻撃を、カナンは更に一歩踏み出して躱して見せた。

 半身にしたその顔を……胸を……腹を……太腿を……掠める様にシェラの巨刀が通り過ぎる。

 カナンの何処にも触れなかった切っ先が地面に突き刺さり、大地を縦に斬り裂く。

 身の毛もよだつその攻撃を、カナンは正しく紙一重で躱して見せたのだ。

 それをシェラは目を見開き、驚愕と歓喜を以て見つめた。

 しかもカナンの動きは、そのままで止まると言う事は無く。

 攻撃の終わりで止まってしまったシェラの身体に、その剣を擦り上げる様に下方から放ったのだった。

 剣閃……と呼ぶに相応しい。

 凄まじい剣速の一撃がシェラへと迫る。

 その攻撃をシェラは、自らの左腕で止めたのだ。

 剣の打ち出し直後……その剣の根元に、自分の左腕を叩きつける。

 スピードの乗り切らないその鍔際つばぎわへの打撃で、カナンの攻撃は強制的に止められた。

 それと同時にシェラの腕当アームガードが砕け散り、彼女の腕より鮮血が迸る。

 そして殆ど同じタイミングで、双方は距離を取ったのだった。


「……あの一撃を躱すのか」


「……あの攻撃を、あんな止め方で防ぐとはな」


 二人の呟きは相手に向けられたものでは無く、それでも相手を称賛するものであった。

 双方ともに、先程の攻撃で相手を仕留められると思っていたのだ。

 それが覆される……そんな考えの通用しない相手を前に、二人は更に表情を緩めて行く。


 歪に……凶悪に。


「……時間がない……。次で決めさせてもらう」


 本当はもっと長く……永遠にでも続けていたいとの想いが籠ったシェラの言葉に、カナンもまた覚悟を決める。

 シェラが「次で決める」と言ったからには、次に来る攻撃には彼女の全てが込められている筈である。

 そんな攻撃を、如何に「剣匠」カナンであっても、容易に受け切る事など出来ない。


「お前の速さには本当に舌を巻く……。力ではこちらに分があったとしても、その攻撃が当たらなければ意味がないからな」


 巨剣を構え直して、シェラはカナンへとそう告げた。

 その分析は間違いでは無い。

 そもそも、力と速度を両立させる事は至難な事なのだ。

 故にカナンは「剣閃」に重きを置いており、シェラはその「力」を重視していたのだ。

 

「だが……だがもし、『力』に『速さ』が加わると……どうなると思う?」


 そしてシェラは、グッと身をかがめた。

 それはまるで、猛獣が獲物に飛び掛かる直前の姿に似ている。

 

「断裂……紅焔斬」


 そう呟いたシェラの身体が、一気に膨張しようとする。

 筋肉と言う筋肉が悲鳴を上げ、今にもはち切れんばかりとなる。

 それをシェラは、意思の力で極限まで抑え込んだのだ。

 そんなシェラからは、一切の闘気が発散されていない。

 本来ならば外へと放出される「気」が、全てシェラの内部に集約されているのだ。

 

 元来、その様な無茶が可能である筈はない。

 それが証拠に、シェラの体中からは鮮血が溢れだしていた。

 その姿は、正しく全ての力をこの瞬間に出し切っていると言えるものだった。


「……面白い……面白いな」


 それに対したカナンは、ゆっくりと剣を正眼に構える。

 これにはシェラも、怪訝な表情となったのだった。

 元来、カナンは二刀流を得意としている。

 そんな彼が1本の剣で基本的な構えを見せたのだ。

 その姿は正統派剣士に見えなくも無いが、相対するシェラには警戒心を掻き立てられる“秘策”としか見えなかった。

 それでもシェラには、その事について熟考する時間など残されてはいない。

 彼女の「断裂紅焔斬」は、長く維持し続ける事の出来る技では無い。

 所謂「奥義」に属する技は、そうそう簡単に使う事も、いつまでも保って置けるような代物でも無いのだ。

 

「受けて見よっ! そして思い知れっ!」


 カナンの構えを確認して、シェラがそう吠えて地を蹴った。

 今までとは比べ物にならない、正しく神速の動きでシェラがカナンに肉薄する。

 その動きは、先程までのカナンの動きを完全に凌駕していた。

 そしてもしも、動きで同格であったならば、力で勝るシェラが勝利する事に疑いは無いのだ。

 正しく神の動きと力を以て、シェラは自身の愛刀をカナンへと振り下ろした。

 

「……凍滅……鬼神剣」


 シェラの剣がカナンを捉えると思われたその直後、カナンの剣がシェラのそれを……受け止めた。


「なっ!?」


 躱されるのではなく……受け止められる。

 その様な事態を想定していなかったシェラの動きが、ほんの僅かの間止まってしまう。

 そしてその瞬間に、カナンの剣が通り過ぎたのだった。


 剣を振り下ろした姿で留まる二人。

 まるで静止画の様に、彼ら二人の時間だけが切り取られたかのようであった。


「……同じ結論に達するのは……当然と言えば当然か」


「……な……何……?」


 背を向けたまま、カナンがそうポツリと呟き、シェラがそれに問い直す。

 そしてそう声を出したシェラの胸に、一筋の血筋が浮かび上がった。


「力を極めれば速さを……速さに自信を持てば力を……。いずれ両立しない双方を、それでも共に手に入れたいと思うのは……求道者の性なのかもしれないな」


 ゆっくりと振り返ったカナンの眼には、もはや戦いの激しさなど浮かんでいなかった。

 その眼を見たシェラもまた、この戦いが終わった事を察したのだった。


 ……自身の敗北を以て……。


「……お前も……力と速さ……その二つを追い求めていたか……」


 ゆっくりと片膝を付くシェラ。

 その声音には……そしてその瞳にも、もはや普段の彼女を思わせる圧は無い。

 それどころか、悔いなど無く満足すら感じさせる、どこか満ち足りたものだった。

 

「……相容れないがゆえに……求めてしまう……のか……グフッ……」


 一方のカナンも、全くの無傷でこの戦いを終えたと言う事は無い。

 彼もまた体中から血を流し、片膝を付かねば立っている事も儘ならない状態だったのだ。


 全身のありとあらゆる力を極限まで高め、更には精神力でそれを上回る力を引き出したのだ。

 体中の筋肉や神経が著しく傷つけられたとしても、決しておかしい事では無かった。


「……ああ……満足だ……。アルナ……すまない……」


 シェラはそれだけを呟くと、ゆっくりと地面に沈んでいった。

 その顔には、その言葉を裏付けるかのように邪気の無い笑顔が浮かんでいた。

 そんなシェラを、カナンは暫し見つめていたのだが。


「……ぐっ!」


 直後、彼の胸からは短剣の頭が顔を覗かせたのだった。


「カナンのダンナ―――? 戦場で動きを止めるたぁ……どうしちまったんだ?」


 そして彼の背後からは、悪鬼と思しき声が掛けられたのだった。

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