突きつけられた罪
ベベルがメルルに見逃される形で戦線を離脱した。
もっともそれは、ベベルにとって助けられた……と言う単純な事では済まない。
それよりも、もっと重要な……大きな使命を彼女によって背負わされたようなものであった。
そして、ベベルの様に生き長らえる事を目的として戦いながらも、それを許されない人物が苦戦の真っ只中にあった。
―――ゼル=ナグニスである。
彼は以前より……エルスの仲間としてパーティの一員であった頃より、誰からも信頼を得る事が出来なかった。
もっとも、ゼル自身がそれを必要としていなかったのだから仕方がない側面もある。
それでも今……この局面に至っては、それが仇となっていたのだった。
「くっ! ……シェキーナの奴っ!」
雨の様に降り注ぐ……いや、この場合は風の様にと言うべきか。
襲い来る無数の矢を何とか躱しながら、ゼルは思わずそう毒づいていた。
今の彼がベベルの事を知ったなら、間違いなくベベルにも毒を吐き散らしていた事だろう。
殺気の籠ったシェキーナが本気になって放つ矢は、全力で動くゼルの身体に幾本もの赤い筋を付けている。
矢が1本、彼の身体を掠める度に。
ゼルの身体からは冷たい汗が噴き出していた。
ゼルは今……これまでに無い程、命の危機を感じていたのだった。
一方のシェキーナは、まるで精密機械の如く淡々と弓を弾いていた。
彼女は1度も、矢筒に手を遣る様な事をしていない。
そもそも彼女は、矢筒を持ってはいないのだからそれも当然だろう。
シェキーナは精霊魔法により、矢を放った直後に新たな矢を具現化し弓に
これならば彼女の精霊力が尽きるまで、矢が尽きる事は無くいつまでも攻撃が出来るのだ。
その速射攻撃に晒されては、ゼルがシェキーナへと接近戦を試みる事は出来なかった。
「ぐはっ! ちく……っしょう―――っ!」
そしてとうとう、シェキーナの矢がゼルの肩を捉えた。
力よりも速度を優先した攻撃だった事が幸いして、ゼルの肩が爆ぜる……と言う事は無かった。
それでも刺さった矢はゼルの肩を貫通し、彼の左腕を使い物にならなくしていたのだった。
そしてこの事が、ゼルの“本気”に火を点ける事となった。
「……何っ!?」
ゼルの身体が、まるで霞の様に消え失せる。
それは以前に森でゼルと対峙した時と同様の、気配が極限まで薄くなる等と言うものではなかった。
言葉通り……正しく、ゼルの“存在”が掻き消えたのだ。
少なくとも、シェキーナにはそう感じられた。
如何にシェキーナが弓の達人であっても、姿が見えず気配の知れない相手に矢を射る事など出来ない。
そして、
至急の対処を求められる中、シェキーナは更に上位の精霊から力を借りる事を決意したのだった。
「エ……エルス……」
無防備とも言って差し支えないエルスの接近を、アルナは驚愕の表情で迎えていた。
それは、自分達に……いや、アルナ自身に向けられている“本気の勇者”……その実力の一端を目の当たりにしたからだ。
味方であった時は、それはただただ頼もしいものであった。
どの様な強敵を前にしても、不思議な安心感を与えてくれる。
エルスの“
今アルナは、その事を痛感しているのだった。
それでも。
それでもアルナは、目の前の“魔王”に屈する訳にはいかなかった。
魔の者に膝を折るなど、自身の信じる神が許す筈も無い。
何よりも、彼女の信念がそれを許さない。
そして……。
今、エルスの軍門に下ってしまっては、彼女の「目的」が達せられないのだ。
―――魔王エルスを殺し……そして生き返らせ……魔族に憑りつかれているエルスを救い出す……。
アルナの力は、その為に神から得たと言っても過言では無かった。
この世では誰も体現した事の無い魔法……「蘇生」。
神から授かった力がアルナに宿っている限り、今の彼女にはそれが可能なのだ。
その為にも、目の前の“魔王エルス”を倒さなければならない。
「お……おおおぉぉっ!」
アルナは、己を奮い立たせるかのように雄叫びを上げた。
そして手に持つ巨鎚を力の限り振り下ろす。
その一撃は、狙い違わずエルスの頭部を狙い。
「なっ!?」
そしてエルスの持つ剣により、いともあっさりと受け止められたのだった。
先程の攻防とは違い、エルスが圧される事も、その戦斧を受け止める為に両手を使う事も無い。
無造作に構えた剣で、エルスはその凶悪な一撃を防いだのだった。
暫時、アルナは目を見開いてその事実を見つめていた。
だがそれも、そう長い時間では無い。
「く……っそ―――っ!」
再度手に持つ武器を振りかざしたアルナは、もう一度エルスへと向けて攻撃する。
そしてそれは、今度は簡単に弾かれたのだった。
それでもアルナの攻撃は止まらない。
「あは……あははっ……あっはははは―――っ!」
いつしかアルナは、引き攣った笑みで狂気の笑い声をあげながら、その狂鎚を振るい続けていたのだった。
アルナの職業……その体格……そして振るっている巨鎚を見れば、彼女がその様に乱打出来る筈はなく、正しく狂悪の成せる業だと思われた。
そしてエルスは、そんなアルナに悲し気な視線を送りながら、繰り出される攻撃を全て難なく捌いていた。
エルスにも気付いている。
アルナをここまで追い詰めたのは、誰あろう自分自身であると言う事を。
だからこそエルスはアルナを攻撃する様な事はしなかったのだった。
いや……出来なかったのか。
それとも……アルナを目の前にして、葛藤しているのかもしれない。
如何に悪女の如き形相で巨鎚を振り回すアルナとは言え、エルスにとっては愛していた女性に他ならない。
そしてその想いは、未だ色あせていなかったのだった。
「貴様がっ……例えっ……勇者と同じ力を発揮したとしてもっ……私はっ……お前をっ……勇者などとはっ……認めないっ!」
戦斧を振り回しながら、アルナはエルスに向けてそう吠えた。
その攻撃を防ぎながら、エルスはアルナが話す続きを待った。
「貴様がっ……勇者ならばっ……何故っ……何故っ! “あの大爆発”を防がなかった―――っ!」
最後に言い放ったアルナの言葉に、エルスは多大な動揺を受けた。
「ぐっ!」
それは彼の防御にも影響し、最後の一撃を受け損ねたエルスの肩に巨鎚が直撃する。
今のエルスは高い防御力を発揮しているとは言え、強力な攻撃を受ければダメージも受ける。
そしてエルスもまた、この攻撃で左肩に大きな損傷を受けたのだった。
それでもエルスは、膝を折る事は無くアルナの前に仁王立ちしていた。
対するアルナも一旦武器を引き、僅かばかり後退してエルスと距離を取った。
「エルス……お前が勇者ならば、あの魔王城で起きた爆発を防いでいた筈だっ! あの爆発に巻き込まれたのは、あの場で戦っていた戦士だけでは無いっ! 周辺の村にも被害が出ていただろうっ! 勇者だった頃のエルスならば、そんな暴挙を許す筈が無いもんなぁっ!」
アルナの口にしたこの言葉で、先程までとは攻守が逆転した。
実際の攻防は、アルナが一方的に攻め、エルスが只管防御すると言うものだった。
しかし精神的にアルナが圧されており、エルスが優勢だったのだ。
それがこの言葉で、その精神面でもアルナが優位となったのだ。
「周囲に村は幾つあったっ!? 5つか……6つかっ!? 巻き込まれた村は全滅だろうっ!? 誰が殺したんだっ!? お前だろうっ! 魔王……エルスッ!」
畳み掛けるアルナに、エルスは反論できないでいた。
事実としてはエルスが画策した訳では無い。
だが止めなかったのも真実だ。
もしもあの場でメルルの策謀を知ったとして、エルスは果たしてメルルを止めただろうか。
―――止めたっ! と言う自分がいる。
―――止められなかった……と呟く自分がいる。
どちらの声も嘘であり、どちらの声も本当なのだ。
そんなエルスの逡巡をアルナは見逃さず、明らかに隙を作ったエルスへと向けて、彼女は魔法を唱えたのだった。
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