加速する運命

 シェキーナの魔法を皮切りに、再び双方は距離を取り対峙した。

 ここまでの戦いでは、エルス達がアルナ達に優勢であり、そのまま戦い続けると言う選択も採れたはずだった。

 それでも一旦退いたのは、それがひとえにエルスの考え……指示によるものだったからに他ならない。

 長く共に旅をして、互いを思いやる彼等にしてみれば、事、戦闘中に於いては今更会話を交わさなくとも意思の疎通などいくらでも取れるのだ。

 

「エルス……あのまま攻め立てなくても良かった……っ!?」


 一同の先頭に立ってアルナ達に目を向けているエルスの背中へそう話しかけて、全てを言い終わる前にシェキーナは息を呑んでしまった。

 

「……エルス、あんた……。ウチはまだ……」


 メルルも驚愕の瞳でエルスを見つめそう呟く。

 そんな彼女の言葉を遮る様に、エルスは握りしめていた小瓶の蓋を親指で弾いて開いた。

 

 キンッ……と。

 乾いた……それでいて綺麗な音色が彼女達の耳に木霊した。


 封を切ったエルスは、躊躇ためらう様子も見せずにその小瓶を口へと運び、中身を一気にあおったのだった。

 その間、誰も……何も口にする事は出来なかった。

 それ程に、エルスの背中には有無を言わせぬ迫力があったのだ。

 

 エルスが、手にしていた小瓶を投げ捨てる。

 地面に落ちた小瓶は、澄んだ音を撒き散らして四散した。


「行こう」


 気負った気配も、力んだ様子も見せずに、エルスはただ一言そう言うとゆっくりと歩を進めた。

 それに追随するのは……カナン一人。

 シェキーナとメルルはその場に留まったままだ。

 それは何も、エルスの判断に異を唱えて……へそを曲げて動かないと言う訳では無い。

 エルスの「行く」と言う意味は、正しく戦場へと赴く……と言う事。

 メルルは言わずもがなだが、シェキーナも得意としている武器は弓矢であり、元来は後衛寄りのポジションなのだ。

 

 つまり……前衛としてのエルスとカナン。


 後衛としてのメルルとシェキーナ。


 これこそが、今のエルス達にはベストと言える布陣なのだ。


 無言で歩み来るエルス達の圧力に、アルナ達は動き出せずにいた。

 いや、それは今に始まった事では無い。

 この戦いが始まってより、彼女達はエルス達に気圧されていたのだった。

 それでも、エルスとカナンが自分達の元へとやって来るまで、ただ指を咥えて見ているだけと言う訳では無い。


「そ……蒼天に謳う無垢なる天人っ! 我が眼前の咎人に、その厚き慈悲持ちて罪の何たるかを知らしめ給えっ! 聖光アギオルス・破邪マウカイダ・光線レイヨンっ!」


 真っ先に動き出したのはアルナであった。

 慌てた様に彼女が両手を空へと掲げて呪文を唱えると、頭上には巨大な光の塊が出現した。

 そして勢いよく振り下ろした両手と連動する様に、その光塊から幾本もの光線が出現し、それらは狙い違わずにエルスへと向かって行った。

 凄まじい速度で周囲から襲い来る光線に対して、エルスはゆっくりと盾を構えて備えただけだった。

 そして直後、全ての光がエルスへと吸い寄せられる様に着弾する。

 凄まじい光と爆発。

 そんな爆心地に居るエルスが、ただで済む筈等無い。


 誰もが……いや、アルナ達はそう考えていた。


 火煙が去り、そこには……。


 盾を構えたままの姿で、エルスが微動だにせずアルナに強い視線を向けていたのだった。

 

「あれは……勇者のアルマ・闘気ムート……だと!? ……馬鹿なっ!」


 アルナはエルスの姿……そこから沸き立つ、“白く輝く闘気”を見てそう吐き捨てた。

 

 勇者であるエルスには、“勇者の闘気”と言う特別な闘気オーラを纏う事が出来る。

 エルスが「敵」と定め、その「敵」に全力を尽くす必要があると感じた時……。

 彼の身体を、勇者特有の“気”が覆うのだ。

 その効力は先程の通り。

 あらゆる攻撃に対して、高い防御力を発揮する。

 勿論、全くの無傷とはいかないまでも、今の攻撃でエルスが受けたダメージは軽微だった。


 そしてアルナは、その光景に目を見張り絶句していた。

 勇者では無く魔王である筈のエルスが、勇者特有の技能「勇者の闘気」を待とうなど、到底考えられない事だった。

 それは、以前に彼女の信じる「神」より受け取った情報と合致しない。

 アルナにとってそれは、ありえない事だったのだ。


 そしてもう一つ。


 エルスの纏う「勇者の闘気」は、相手を本当の「敵」だと認識して初めて発動する。

 アルナにとってエルスが自分を敵視する等と言う事は、先の事実よりももっと信じられない事なのだ。

 

 呆然自失となったアルナであったが、それもそう長い時間では無かった。

 防御姿勢を解いたエルスが動き出す。

 消えたと見紛う程の速度で大きく跳躍したと思うと、その空中で急激に方向転換を行い、アルナ達へと向けて滑空し迫ったのだ。

 

 その標的は……シェラ。


 瞬く間に最接近を果たしたエルスがその剣を振るう。

 シェラは先程とは違い、辛うじてその剣撃を防ぐ事に成功した。


 だが。


「ぐうううっ!」


 エルスの剣圧を堪える事が出来ず、大きく後退してしまったのだった。

 そのまま着地したエルスは、シェラには見向きもせずにアルナへと向けて歩み出した。

 

「……ま……っ!」


 アルナの元へと向かうエルスを阻止しようと、シェラは彼に声を掛けようとしたがその全てを口にする事が出来なかった。

 直後に襲い掛かって来たカナンの斬撃に、その口をつぐまされたのだった。


「カ……カナンッ!」


「……この戦いも、いよいよ佳境と言う訳だ」


 激しい鍔迫つばぜり合いの中で、カナンがそう告げたのだった。




 

 そして攻撃を開始したのは、何もエルスとカナンだけでは無い。


「うおっと!」


 シェキーナの放った矢をゼルは辛うじて躱すも、その二の腕には紅い筋が残っていた。


「もう……手加減など出来んぞ」


 そう口にしたシェキーナは、不敵な笑みと共に涙を流しながら、立て続けに矢を放つ。

 その激しい攻撃に、ゼルは回避も儘ならなくなっていた。


 シェキーナの流す涙。

 それは何も、エルスの命運を知って悲しんでいる訳では無い。

 

 いや……悲しい事に間違いはない。


 彼女の愛する唯一の男性が、残す処ほんの僅かな時間で命を落とすのだ。

 それを悲しまない者など居ないだろう。

 それでもシェキーナの胸中には、悲しみと同じ位に嬉しい気持ちが沸き立っていた。


 それは、今のエルスの姿を見る事が出来たから。

 それは、シェキーナが憧れ愛した、正しく「勇者エルスの姿」に他ならなかったからだ。


 シェキーナにとってエルスは、常に味方に背を向けている男なのだ。

 決して、シェキーナ達の背中を見る男では無い。

 そして最期の刻に、その姿を目の当たりにする事が出来たのだ。

 シェキーナもまた、胸の中に残っていた小さなわだかまりも払拭され……悔いる事など何ら無くなっていたのだった。




 対照的にメルルの表情は……いや、その瞳には暗色が影を差していた。

 それでも“第三の眼テルツォマティ”の能力を最大限に活かす事が出来るようになったメルルは、先程までと違いベベルを圧倒していた。


「ぐ……ぐああっ!」


 ベベルの周囲では、実に様々な魔法が間断なく発動していた。

 連続で……同時に……時には強力に。

 千変万化を見せるメルルの魔法によって、その攻撃を捌き切れなくなっているベベルは間違いなく追い詰められていた。

 それでも未だベベルが生きているのは……。

 メルルが“本気”では無かったからだった。

 

 不意に……メルルの攻撃が止む。

 殆ど満身創痍のベベルは、その事に怪訝な表情を見せた。


「……もう、ええ」


 そんなベベルに向かって、メルルはそう言い捨てる。


「……そ……それは……俺を……見逃してくれるって事か……?」


 息を切らし、声も絶え絶えなベベルの問い掛けにメルルは何も答えない。

 周囲の死闘が発する剣撃音、爆発音を背景に、メルルとベベルの間には不可思議とも取れる沈黙が流れていた。

 

「……元々、あんたには戦闘の意思なんか無かったんやろ? ウチ等と本気で戦おうって気も無ければ、アルナ達に肩入れするつもりもない……。そんなあんたを、ここで殺してもしゃーないやろ」


 メルルの話は、まさに正鵠を射ていた。

 ベベルにとっては、この戦いの結末などどうでも良い事だった。

 別段、エルス達に恨みがある訳では無い。

 さりとて、アルナ達に肩入れする理由など全く無いのだ。

 彼が……ベベル=スタンフォードがこの場にいるのは、状況に流されてだと言う事。

 そして最大の理由が。

 この戦いを見届け、その結末を報告する事にあったのだ。

 

「あんたは見逃したるわ。その代わり、いずれあんたの前に現れる者に、この戦いの事を伝えてやってくれ……。んで……死ね。それがあんたの……運命や」


 稀代の占術師であるアルナが「運命」と口にしたのだ。

 ベベルにはそれに付いて一切の反論も出来ず、疑問ですら問いかける事が出来なかった。

 

「……それなら……その運命って奴に……従うとしますか……」


 何とかその口端を吊り上げる事に成功したベベルは、最後までメルルに背を見せる事無く、この戦場を後にしたのだった。

 メルルはその言葉通りベベルに追撃を加える様な事はせず、彼の立ち去った方角を見つめ。


「……残りの人生……せいぜい悔い無いようにな……」


 誰に言う訳でも無く、そう独り言ちたのだった。


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