第三の眼

 そして翌日。

 アルナ達に率いられた人族の軍隊が、異界通路ゲートを通って魔界へと現れた。

 

 その数……総勢1万有余人。

 

 1個師団からなる大部隊であった。

 

「……来おったな―――……。ある意味、壮観ってやっちゃ」


 そしてその様子を、メルルは遥か上空より眺めていた。

 普通の者ならば……いや、余程視力に自信のある者であっても確認出来ない程高高度より、メルルは使い魔とした鳥の視線でその光景を確認していたのだった。

 魔界で生息する鳥の中でも、特に高い場所を飛ぶことで有名な肉食鳥。

 さしものアルナ達も、肉眼で視認出来ない位置からの観察など、気付ける筈も無かったのだった。


 アルナ達の所在を把握する事に成功したエルス達は、まずは先手を取ったと言って良かった。


「さて……次の一手はどう打つつもりなのだ?」


 メルルの手際に感心しながら、シェキーナが次の行動予定を彼女に尋ねた。


「まずは……あいつ等が動き出してからやな―――……。万一、3方向に分かれて進軍してくれれば占めたもんや。3カ所同時に攻撃したるさかい、その混乱に乗じてあんた等は一騎打ちに持ち込んだら良え。もしも軍を分けずに行軍するっちゅーんやったら……それこそ、こっちの思う壺やで」


 兵を分けようが纏まって行動しようとも、結局はメルルの作戦通りだと言う事だった。

 改めて……そしてしみじみと、メルルの狡猾さに舌を巻くエルス達だった。


「ウチ等に出来る事は、まずは体力の温存や。アルナ達のおる場所程や無くても、此処かて十分に暑いからな。アルナ達がウチ等に最接近を果たすんは……大よそで2日や。それまで、無駄な動きなんかせんと万全の体力で臨めるように待機やで」


 実のところ……エルス、シェキーナ、カナンにとって、「待機」と言う何もしない時間の方が苦痛だった。

 メルルの言う事をよく考えてみれば、暇だからと言って稽古もしてはいけないのだ。

 体を動かして汗を搔く事に不快感を覚えなくとも、暑さでじっとりと肌を湿らす汗には我慢出来そうになかったのだった。




 

 エルス達にしてみればある意味で「苦行」とも言える時間を堪え、いよいよアルナ達の軍がエルス達の潜む野営地へと近づいていた。

 メルルの予想通り、アルナ達は軍を分ける様な事はせず一団となって行軍していた。

 1万人の兵士が規律正しく進む様……それは正しく勇壮と言って良い光景だった。

 もっとも……その1万人の兵力は、そのまま魔界の脅威となる武力なのだ。

 ただ眺めているだけで素通りさせる訳にはいかなかった。


「……ほな……行こか」


 いつになく気合の入った……と言うよりも、どこかウズウズとしている様に伺えるメルルが口火を切った。

 その言葉に、エルス、シェキーナ、カナンが頷いて答える。

 

 一目見ただけならば、まるで今からこの場より出立して冒険にでも向かうのかと言う程……彼等の表情には気負ったものが感じられなかった。

 勿論、命を懸けた……乾坤一擲の戦いを前にして、それが分かっていない……と言う訳では無い。

 また、そんな状況にも拘わらず戦いを楽しむ……と言う様な楽天的思考や戦闘狂の感性も皆無だ。

 

 ただ、此処までの流れはエルス達の想定通り……。

 驚く事も、興奮する様な事ですらなかったのだった。

 そして……本番はここからなのだ。





 一方のアルナは、此処までの道中にエルス達からの……又は魔族からの攻撃を受けない事にを感じていた。

 当たり前の話であるが、アルナ達も魔界に到着してからの状況を、様々な角度から幾通りもシミュレートしていた。

 

 だが……そのどれもが不発に終わったのだった。


 アルナとしては、異界通路を潜った直後に攻撃を仕掛けてくれる事が望ましかった。

 ダラダラと時間を無為にするよりも、早々に接敵した方が彼女としても分かりやすかったと言う事もある。

 それよりも何よりも、漸くエルスと会える……殺せるのだ。

 それは、今のアルナにとって何事にも代えがたい悲願でもある。


 シェラは、今の状況を怪訝に思っていた。

 アルナの様に痺れを切らしていると言う事は無い。

 寧ろこちらの焦燥を誘って、更には体力の消耗を狙うと言う点では、彼女の考えにも合致する処があった。

 

 しかし、想定はしていなかった。


 何故なら、エルス、メルル、シェキーナ、カナンと言った、お世辞にも気の長いとは言えない面子が揃っているのだ。

 果断速攻を得意としている面々が、敵が懐深くまで進軍して来るのを、指を咥えて見ている……と言う事が考えつかなかったのだ。

 もっとも事ここに至り、シェラはエルスの……いや、メルルの意図を正確に見抜いていた。

 ただし、今更それに気付いた処で対処のしようがない事も事実であり、シェラは「初戦」で後れを取ったと認めざるを得なかった。

 彼女が、そんな思考に囚われていた直後だった。


「あ……あれは……なんだ―――っ!?」


 一人の兵が“それ”に気付き、驚きと動揺の波紋は見る間に全軍へと広がっていった。

 そしてシェラもその兵が指差す先……上空へと顔を向けた時。

 彼女の眼にも“それ”は誤認のしようがない形で映り、目を見開き絶句していたのだった。





「天空に輝く狂星達……その猛る力を大地に降らせ……。地を這うか弱き者どもを蹂躙し、覇者の此れ有りを見せつけよ……。漆黒の闇夜より、紅蓮の業火を撒き散らせっ! 破界クェアダムンド・炎星コミティス・招来インボカシオンっ!」


 ゆっくりと……そして長い詠唱をメルルは完成させた。

 彼女の額には、既に3つ目の瞳が見開いている。

 つまり……メルルの十八番“第三の眼テルツォマティ”が行使されている事を差す。

 

 まるで神官が天へと祈りを捧げる様に、メルルは呪文の完成と共に両手を空へと掲げた。

 その呼び掛けに応えるかのように、天空には巨大な“影”が出現した。

 雲一つない蒼青に、明らかな異物と言える……黒。

 影は徐々にその形を現わし、とうとう誰にでも分かる姿を見せつけたのだった。


 ―――隕石である。


 そのままでも、まるで小山ほどはあろうかと言う威容。

 それに気付いた人界の軍勢は、パニックになる事すら忘れているかのように、呆けた表情を空へと向けていた。

 

 ただし、メルルの魔法はそれで終わり……と言う訳では無かった。

 

 この巨大な隕石の落下であっても、今のアルナならば防いでしまう。

 元々の資質に加えて、今は何か得体のしれない力を身に付けているアルナである。

 メルルは、彼女渾身の魔法でさえアルナは防ぎ切ってしまう事を予想していた。


 だからこその……“第三の眼”


 だからこその……なのである。


 自身の精神と魔力を3分割し、それぞれ同時に魔法を行使するスキル“第三の眼”。

 しかしこれは、何も別々の魔法を同時に使う事が出来る……と言うだけではない。


 1つの魔法を同時に発動させ、融合させる事で更に強力な魔法へと仕立て上げる事が出来る……と言う、隠された能力も持ち合わせているのだった。


「こ……こんな……事が……」


 空を見上げ、アルナは言葉を絞り出すだけで精一杯であった。

 今や、シェラ、ベベル、ゼルは声を出す事も出来ずにいたのだった。

 メルルの作り上げた巨大な隕石は、その姿を更に大きく成長させ……。

 終には、アルナ達が見上げる空一杯をその威容で占めたのだった。

 アルナが以前に見たメルルの魔法「破界炎星招来」は、確かに巨大な隕石を敵に降らせる凶悪な魔法だった。

 メルルはそれを、前面に展開する魔族の軍勢に向けて、3つ同時に放ったのだった。

 それにより魔族軍は崩壊した。

 仲間だった頃は、その魔法を頼もしいと感じていたアルナだった。


 だが、敵に回してその攻撃に晒されれば、この攻撃が如何に恐るべきものなのかを痛感する事となった。

 それでもアルナには、その魔法を防ぐ自信があった。

 で隕石を放たれようとも、彼女にはそれらを悉く防ぎきる確信があった。

 

 しかし今は……そんな考えなど微塵も残されてはいなかったのだった。


 目に見える隕石の大きさだけでも、以前見たものの優に3倍以上はある。

 メルルの“第三の眼”は、単純に3倍の威力を魔法に与えると言うちゃちなものでは無い。

 同時に、同じ規模で、同一の魔法力を込められた魔法は特殊な反応を起こし、土台となる魔法を踏み台にして更に威力を上げるのだ。

 相乗効果と言って良いその反応により、メルルの作り上げた隕石は空の青を闇夜のそれに変えてしまう程の変容を遂げていたのだった。


 メルルが、翳していた両手を振り下ろし。


 空を覆う巨星が、勢いよく落下を開始する。


 アルナは、広範囲に展開させようとしていた防御魔法を狭域に切り替えて、自らを中心としてシェラ、ベベル、ゼルを護るだけで手一杯となっていた。


 巨大な隕石は大地へと着弾し夥しい兵士を捕食すると、直後に大爆発を起こした。

 眩い閃光……凄まじい熱量……。

 阿鼻叫喚の生き地獄……等と言う光景など、何処にも無かった。

 何故なら、その攻撃に晒された兵士達は、その姿を現世に残す事すら許されなかったのだから。


 ―――メルルの、『真の破界炎星招来』は此処に……完成した。

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