決断の夜

 「……一つ……問題があるんだが」


 大きな問題が一段落した事を見計らって、エルスはやや深刻にそう切り出した。

 それを受けたメルル、シェキーナ、カナンの表情に驚きや怪訝なものは浮かんでいない。

 何故ならば、彼女達にはその事に付いて心当たりがあったのだ。

 そしていずれは、エルスから切り出されるだろう問題だと言う事を知っていたからだった。

 神妙な表情をした3人の顔がエルスへと向かう。


「……今のままでは……俺は皆の足手まといだ。もし今、アルナ達と戦ったら……俺は僅かな時間も稼ぐ事が出来ずに……殺されるだろう……」


 それは冷静な分析であると同時に、エルスにとっては耐え難い……自らを見つめて告白する作業だった。

 これまでにも、自分の能力が低下している事を認めた発言もしてきてはいる。

 その時はどこか諦観した……運命に身を委ねた様な、穏やかな物言いであった。

 しかし今は、それを認める事が苦痛であるかのような表情をしていた。

 

 それもその筈である。

 命を賭した、魔界の命運をかける戦いが繰り広げられようとしているのだ。

 そんな中で、何も出来ないまま朽ちて行くなど、エルスには認める事も耐える事すら出来ないのだ。


「……そやな。今のあんたやったら、居らん方がまだマシっちゅーもんや」


 そんなエルスの告白を聞いて、真っ先にそう口にしたのはメルルだった。


「メルルッ!」


 そしてそれを、シェキーナが凄まじい剣幕で咎めた。

 メルルの言が真実だとしても、その言い様にはデリカシーの欠片も籠っていない様に感じられたからだった。


「……確かに、今のお前では戦力にならない。1万の兵をメルルに任せた今となっては、俺達の敵はアルナ達と言える。あいつ等は掛け値なしに……俺達と同格の力を持つ奴らだ」


 だが、カナンもメルルと同意と取れる意見を口にした。

 これにはシェキーナも、考えもなく噛みつく様な事は出来なかった。

 それは……彼女自身も、そう感じていたからだろう。


「なぁ……エルス。あんたが居っても、ウチ等の戦いには加われん。なら、このまま魔王城に戻って、城の守りを固めてくれへんか? それやったら……」


「ダメだ」


 メルルは、先程よりも幾分口調を和らげてそうエルスに提案した。

 そしてその内容としては、最も妥当なものだったのだ。

 しかしエルスは、その案を即座に拒否したのだった。


「……アルナが来る……。俺はもうこれ以上彼女に、俺の仲間に手を掛けて欲しくないんだ」


 絞り出す様な声……苦悶の表情……。

 エルスの話しは、それこそ苦渋の決断を語っていると言って良かった。


「アルナにはもう……誰も殺させない。そして……誰も彼女を殺させやしない」


 決断としては、立派なものだ。

 しかしそれも、力が伴っていて初めて、説得力を有するのだ。


「……エルス……今のお前では……無理だ」


 そしてシェキーナが、一同の言葉を代弁する。

 彼女も、この場で取り繕う様な意見は意味がない事を理解したのだ。


「ああ……分かってる……。……お前達を納得させるだけの力を出せないってことくらいは……な」


 そして、この話が始まって初めて、エルスは微笑を浮かべたのだった。

 それはどこか……何かを吹っ切った様な、そんな迷いのない微笑みだった。


「……だからメルル。俺に力を……貸してくれないか?」


 ゆっくりと……エルスはメルルの方へと視線を向ける。

 それに呼応するかのようにメルルの身体がビクリと跳ね上がり、そのまま硬直したのだった。

 

「俺にあいつ等と……アルナと戦うだけの力を……一瞬で良い、引き出せる様にして欲しいんだ」


 エルスの眼差しは、真剣そのものだった。

 それは、“ある事”に付いて確信を得ていると言った……メルルに白を切らせない強いものだった。


「……エルス……。そんな都合の良い魔法やアイテムなど、流石のメルルも……」


「……あるよな、メルル?」


「……」


 シェキーナが、エルスを宥めようとメルルに助け舟を出すも、エルスはそんな彼女の言葉を途中で遮り、改めてメルルに確認の言葉をぶつけた。

 そしてエルスに迫られたメルルは、沈黙を貫く以外に無かったのだった。


「……メルル。そんな事が、本当に可能なのか?」


 沈黙を破ったのは、カナンだった。

 彼もまた、真剣な表情でメルルに問いかけている。

 

「……何時……知ったんや……?」


 それに対しての答えは、メルルからエルスへと向けて紡がれた。

 否定では無く……質問に質問を被せる問答は、暗にエルスの言葉を認めていると言って良かった。

 もっともそんな事を問うまでもなく、エルスが勘づいてしまう事をメルルもある程度覚悟していたのだが。

 

 エルスが言っているのは、メルルがアスタル達に渡した“秘薬”の事だ。

 服用した者の能力を強制的に引き上げる……妙薬。

 しかしそれを使用した者は、間違いなく死に至る劇薬でもあった。

 メルルは、それをアスタル達に渡したと言う事は一切伏せていた。

 それは何も、人道的見地からであるとか、皆からの反感を買うからと言う理由ではない。

 

 それを知れば……間違いなくエルスも欲すると危惧したからだった……。


「……アスタル達の戦いを聞いて……な。あいつ等の実力だと、アルナは兎も角、シェラやベベル、ゼルの前にちょっとだって立っていられる訳がないからな。奮戦した……って言うのに、どうにも違和感を感じたんだ」


 それを聞いたメルルは、しまったと言う顔をして俯いた。

 

 エルスとメルルは、最も付き合いの長い間柄である。

 それも、ただ単に長く一緒にいると言う訳では無い。

 時には親子として……また時には男女として。

 そして今は、最も信頼のおけるパートナーとして共にいるのだ。

 そんな二人は、いわば双方に隠し事の出来ない間柄……と言って良い。

 勿論、考えが筒抜けであると言う様な、ある種精神感応テレパシーの様なものの話では無く。

 ほんの僅かな所作や、些細な感情の機微でも、そこに隠された何かに気付いてしまう……と言ったものだった。

 そしてそれが今、メルルにとっては裏目に出ていたのだった。

 

「……本当なのか……メルル?」


 シェキーナが、驚きを含めた表情で聞き質した。

 もしそれが本当だとしても、シェキーナにメルルを責める気持ちなど微塵もない。

 今、彼女が質問しているのは、純粋に浮かんだ疑問を解消する為だった。


「……ああ……持っとる」


 その問いに対して、メルルは躊躇いがちに、それでも簡潔に答えた。


「でもな。アレは薬何てもんやないで。命を削る……劇薬や」


 次いで出てきたメルルの話に、シェキーナは絶句を余儀なくされたのだった。


 戦いの場に立つ者としては、メルルの持つ“秘薬”は実に有難い物だ。

 それをシェキーナも理解しており、もしも自身がアスタル達の境遇に立てば、迷うことなくその薬を求めるだろう事も確信していた。

 

 退くに引けない戦い……と言うものは……ある。

 そして、それが分かっていながらもその場に立てない者の胸中を思えば、メルルがアスタル達に薬を渡した事は、彼等にとっては僥倖だったと想像した。


 しかしそれは、言い換えればエルスの行動を認める事となる。

 彼にとっては、今が正しく退く事の出来ない戦いなのだ。

 メルルの答えを聞いて、シェキーナもまた項垂れて肩を落としてしまった。


「けど……けどな。ウチはこれを、あんたに渡すつもりは……」


「……メルル」


 シェキーナは、エルスの違いようの無い未来を垣間見て愕然とした。

 だがメルルは、それでもエルスに断りを入れようとするも、当のエルスからの言葉で押し黙ってしまったのだった。


 それ程に……エルスの言葉には「迫力」があった。


 それは別段、エルスが凄んだとか大声を出した訳では無い。

 ただ、余りにも全てを受け入れたその表情は、メルルをして反論の余地を与えないものだったのだ。

 

「……メルル」


 そしてそんなエルスに、何故かカナンが助け船を出した。

 カナンとしても、みすみすエルスを死なせるような真似はしたくない筈である。

 それでも彼がメルルを促すのは、彼もまた……戦士だからであろうか。

 死地を求める……と言えば恰好が良いだけにも聞こえるが、死すべき時を逃す焦燥は彼にも容易に理解出来たからであった。


「……シェキーナも良いな?」


 そしてカナンは、シェキーナにも了承を求めたのだが。


「良い……訳……無いだろうっ!」


 シェキーナは断固拒否の構えを取ったのだった。

 飲めば命を……失う。

 そんな薬を、事もあろうにエルスへと授けるのに同意するなど、シェキーナには出来無かった。


 沈黙が……静寂が周囲を満たす。


 誰も……何も話さない。

 待っているのだ……。

 

 メルルはもう……エルスに反論できない。

 なまじ彼の気持ちを痛感してしまっている彼女は、もう止める術を持っていないのだ。


 カナンは……エルスの考えに共感していた。

 彼の死など望んではいないが、戦いの場に立ちたいと言う気持ちは同じなのだ。


 残るはただ一人……。


 エルスの「決断」に唯一“否”を突きつけているシェキーナの「決断」を、その場にいる全員が待っていたのだった。


 そして。


「……分かった……」


 シェキーナは……決断した。


「……ただしっ!」


 しかし、条件付きではあったのだが。


「私が薬を使わせないっ! 私がお前に、その薬を使う様な事はさせないっ! ギリギリまで使わない事っ! それが条件だっ!」


 まるで怒っているかの様な双眸をエルスへと向けて、シェキーナはそう告げた。

 その瞳には、当然の事ながら怒気が含まれている様な事は無い。

 声音も、まなじりも、眉根もつり上がってはいるものの、その瞳には哀願の色が濃く浮かんでいた。

 そんなシェキーナに、エルスも優しい瞳を浮かべて、柔らかい笑みで頷いて答えたのだった。

 




「ええか? これはアスタル達に渡したもんとは、物が違う。心して聞きや」


 そう話すメルルが、小瓶の首を摘まんでユラユラと揺らす。

 その動きに合わせて、中の液体が焚火の光を集め、キラキラと金色の光を発した。


「これは、アスタル達に渡したもんを更に改良した……いわば、完成品や。これを飲めば、自らの命を燃やして大きな力を引き出す事が出来る」


 メルルの声も、そしてその瞳も真剣そのものだった。

 その場にいる全員が、息も殺してその話に聞き入っていた。

 誰も……肝心な質問はしなかった。


 ―――何故今、その薬を此処に持ってきているのか?


 ―――何故メルルは、その様な薬にわざわざ改良を重ねたのか?


 そんな事は、聞くまでもない事であった。

 彼女は知っていたのだ。


 ……こうなる事を。


「……その代り……効果時間も極端に短い。そうやな……四半刻30分が精一杯やろ。使う時は、ウチが合図する。それまでは、絶対に口にしたらアカン……ええな?」


 その瓶をエルスに私ながら、メルルはそう念を押した。

 エルスもまた、喉を鳴らしながらその瓶を受け取った……のだが。


「先程の話を聞いてなかったのか? エルスに、その薬は使わせない! ……絶対にだ!」


 シェキーナは、メルルの言葉に異議を唱えた。

 それでも、エルスがその薬を受け取る事を止めはしなかったのだが。


「……ああ。宜しく頼む」


 そしてエルスも、シェキーナへ微笑んでそう答えたのだった。

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