終わりの始まり ―決戦直前 約束―

 メルルがアエッタと、シェキーナとカナンがレヴィアと会い、それぞれ後の事について話をしていた様に、エルスもまたエルナーシャと共にいた。

 そうは言っても、エルスが出陣に際してエルナーシャとの別れを惜しんでいた……または何かを託していたと言う訳では無い。


「……でしたとさ。めでたしめでたし」


「うわぁ―――……」


 エルスはエルナーシャの寝室で、彼女のベッドで横になりながら、同じく隣で眠る態勢を取っているエルナーシャに本を読み聞かせていたのだった。

 本……と言っても、それ程難しい物では無い。

 所謂「絵本」と言う、幼子が好む様な絵がメインの本である。

 その容姿から勘違いされがちなのだが、エルナーシャは実年齢1歳である。

 驚くほどのスピードで知識を吸収しているエルナーシャであり、その言動には大人びた……と言うよりも生意気な部分が多くみられる彼女だが、その興味はまだまだ幼児のそれと大差ない。

 そしてエルナーシャも、寝る前に「絵本」を読んで貰う事を何よりも楽しみにしていたのだった。


「……ん? エルナ、まだ眠くならないのか?」


 普段ならば、本を一冊読み終えた時点で眠気に取り付かれているエルナーシャが、今夜は未だその眼を爛々と輝かせている。


「うん。父様、もう1つお話読んで―――」


 エルナーシャは期待に胸をときめかせているのか、やや興奮気味に次の話をせがんだ。

 エルスはそんなエルナーシャに苦笑いしながら、次の本を選んでいた。


「これ、これ読んで―――」


 他者の眼がある時のエルナーシャはどこか背伸びをした言葉遣いをするのだが、今の彼女は所謂“素”のエルナーシャであった。

 そしてエルナーシャが選んだ本は、「とある勇者の物語」だった。

 

 一つの王国が悪魔に襲われ、その国の姫君が連れ去られてしまった。

 成す術の無い王国は悲嘆に暮れるも、そこに一人の勇者が現れた。

 勇者は艱難辛苦を乗り越えて悪魔の居城に乗り込み、やがて悪魔を倒し姫を救う。

 王国は勇者を誉めそやし、勇者と姫君は幸せに暮らす。


 そんな、どこにでもある英雄譚だ。

 そしてエルナーシャは、この話が特にお気に入りだった。


「えへへ―――……。勇者は……父様……だね」


 随分と睡魔に取り付かれたエルナーシャが、呂律も怪しくそう漏らした。

 このまま放っておいても、エルナーシャはすぐに深い眠りへと引き込まれてしまう事だろう。


「……そうか? 俺はこんなに格好良くないけどな」


 だからエルスはやや声のトーンを落とし、エルナーシャに囁きかける様な声でそう返事をした。


「ううん……父様は……格好良いよ―――……」


 そう話すエルナーシャは、どこか誇らしげでもあり嬉しそうでもある。


「そうか? なら……この姫君はエルナか?」


 しかしエルナーシャは、エルスのこの言葉にはゆっくりと首を横へと振った。


「ううん……エルナはねぇ―――……父様と……一緒に戦うの……」


 例え子供の言葉とは言え余りにも想像の埒外からの回答に、エルスは思わず言葉を紡ぎ出せずにいた。

 この物語に勇者は1人しか出て来ず、他に戦う戦士の事は記載されていないのだ。


「エルナはねぇ―――……父様の隣で……戦うんだよ―――……」


 遥か未来に思いを馳せているのか。

 それとも、来るべき決戦を子供ながらに案じているのか。

 エルナーシャの言葉は、エルスと決して離れずに一蓮托生だと言っている様であった。


「はは……まだ戦場も知らないくせに……。そう言う事は、初陣を果たしてから言う事だろ?」


 そう返すエルスだが、彼の心情としてはエルナーシャが敵と戦う姿を想像出来ない……いや、想像したくないと言った処が本当だった。


 エルナーシャの敵となる者は、全てエルス達が排除する。

 

 彼女が生まれてより今まで、エルスを始めとした一同は皆、同じ想いで来たのだ。

 それでも……親の心子知らず……と言った処か。

 

「うん……だから……約束……。次の戦いには……エルナも……連れて……いっ……クス―――……」


 エルナーシャは言葉を言い切る前に、夢の世界へと旅立った様であった。

 そんなエルナーシャにシーツを掛け直してあげながら、エルスはゆっくりと彼女のおでこにキスをした。

 余程楽しい夢でも見ているのか。

 はたまたエルスとくつわを並べて、悪の軍団と戦っている処を想像しているのか。

 眠っていると言うのに、エルナーシャはとても楽しそうな笑みを浮かべている。

 そんなエルナーシャの顔を見つめながら、エルスがゆっくりとベッドから立ち上がると、タイミングを見計らったかのようにメルル、シェキーナ、カナン、レヴィアが部屋の中に入って来た。

 

「……別れを交わさなくても良かったのか?」


 シェキーナが、エルスに気遣いながらそう声を掛けた。

 表情にも言葉にさえ表さないが、その場にいる者は全員その気持ちを抱いていたのだが。


「いいさ。また……戻って来れば良い話だからな」


 エルスはシェキーナに振り返って、笑みを浮かべてそう答える。

 シェキーナはやや戸惑った表情を浮かべたが、すぐにエルスと同じ様な笑顔に戻って頷いた。


「それに、エルナには……言えないだろ?」


 そもそもの第一前提として、今回の出立はエルナーシャには秘密なのだ。

 別れの言葉など……言えよう筈も無い。


「それよりも、皆もエルナと話さなくて良かったのか?」


「ふふん……それこそ、戻って来てから話せば良いこっちゃ」


 エルスの言葉に答えたのはメルルだった。

 エルスはそれに何も答えず、ただ微笑んで頷いただけだった。


 戦いは、苛烈を極めたものとなる。

 それは、誰も言わなくとも皆が認識する事であった。

 相手は誰でもない、アルナ、シェラ、ベベル、ゼルである。

 強力な力、特殊な能力……そのどれもが、エルス達に負けず劣らずのものなのだ。

 そんな“敵”を相手に、双方ともが無事で……又はエルス達が一方的に戦いを終える事が出来る筈もない。

 エルスの言葉が……メルルの台詞が決して確信の持てるものでは無いと言う事は誰もが分かっていた事であった。


「……じゃあ、メルル」


 僅かな沈黙の後に、エルスはメルルにそう促した。

 それを受けてメルルは、微かに頷いて眠るエルナーシャへと静かに近付いた。

 そしてゆっくりと、まるで歌うように魔法の詠唱に入った。

 淡い魔力光が彼女の手に灯り、その光はやがてエルナーシャへと吸い込まれていった。

 エルナーシャに変化はない。

 先程からと同じ様に、規則正しい寝息を立てているだけだった。


「……よっしゃ。これでエルナは、10日間は眼―覚まさんやろ」


 そしてメルルが、魔法の成功を口にしたのだった。

 

「レヴィア……後の事は宜しく頼むよ」


 そしてエルスが、背後で控えていたレヴィアにそう声を掛け、彼女は僅かにお辞儀をしてそれに答えた。


「それじゃあ……行こうか」


 エルスはそんなレヴィアに強く頷くと、そのままその部屋の出口へと歩み出し、一同もそれに続いたのだった。

 

 日の出までは、まだ時間がある。

 一同は応接間に集まり、簡単な打ち合わせをした後仮眠をとる予定だった。




 そして日が昇る。

 陽光が周囲に光を射すと同時に、エルス達は魔王城を出立した。


 事前にメルルが占っておいた予定ならば、アルナ達が極大陸に着くまでには十分に間に合う行程だ。

 エルスは暫し、新魔王城“隠れの宮”の城門を煽り見て……踵を返して馬を進めた。

 そんなエルスに、メルル、シェキーナ、カナンが続く。

 

 そして、エルスの……エルス達の最後となる遠征が始まったのだった。

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