終わりの始まり ―決戦直前 継承―
月日は流れる……。
エルス達が魔界にて、アルナ達人族の軍勢を迎えることが決まった翌月。
予定通り魔王城にて、エルナーシャの生誕1周年を祝う催しが盛大に執り行われた。
初めての「誕生会」に、エルナーシャは終始上機嫌であった。
参加者から様々なプレゼントを貰ったエルナーシャだが、その中でも賛否が分かれたのがやはりと言おうか……エルスからの贈り物だった。
エルスの用意したプレゼントそれは……剣。
以前、王龍と相対した折に手に入れた、古龍の角を用いた剣だったのだ。
「……エルス……それは……どうかと……」
武具としての性能は申し分なく、また希少な古龍の角を用いた剣は美しくも妖しい光を刀身に湛える、正しく逸品である事に間違いはない。
ただしそれを、誕生日のプレゼントとして渡す事が適切かどうかと言えば……そうとは言い切れなかったのだ。
エルナーシャは満面の笑みで受け取っていたが、シェキーナの、やや引き気味のダメ出しを受けたエルスは、日を改めてプレゼントを贈ったのだった。
……半ば強制的に……ではあるが。
因みにこの時に送った物は、エルスが足を運んで手に入れた希少価値の高い鉱石を使用した髪飾りであった。
そんな一大イベントを無事にクリアし、更に時間は過ぎて行き……。
僅かに緊張感を孕んではいても、平穏と言って良い日常が繰り返された。
エルス達にも、アルナ達が侵攻して来ると言う事を気にした様子が見受けられず、エルナーシャの中に在った不安も徐々に薄れた頃。
「……アエッタ……。あんたに、ゆーておかなあかん事がある……」
深夜、アエッタを私室へと呼び出したメルルが、いつになく真剣な表情でアエッタにそう語りかけた。
アエッタも、そこに何かいつもと違う雰囲気を嗅ぎ取ったのだろう、神妙な面持ちで頷いて返した。
もっとも、普段から表情の抑揚に乏しいアエッタである。
ともすれば彼女の姿は、何ら普段と変わりない……と捉えられるかもしれない程自然体に見えた。
勿論、メルルにはアエッタの気持ちなどお見通しなのだが。
「もうすぐ……具体的には来週辺りか……。それ位には、アルナの率いる人族の軍勢が、極大陸に現れる予定や」
前置きも何もなく、いきなり本題に入ったその内容は、恐れていた……と言って良い話であった。
僅かに……アエッタの眼が開かれる。
それでもアエッタは、メルルの言葉に頷いて返すだけに留まった。
彼女には分かっていたのだ。
―――本題だと思えるこの話こそが……凶報の前置きだと言う事を。
アエッタのその考えを裏付ける様に、メルルは更に話を続けた。
「ウチ等はこれを迎え撃つべく、明日……此処を発つ。決戦は極大陸で行われるやろう」
それにもアエッタは、ただ頷いて答えた。
魔界の南極大陸から海を渡って上陸した南大陸沿岸には、魔族の集落がいくつか存在している。
人族の軍勢に上陸を許せば、民間人に被害が及ぶかもしれないのだ。
そうしない為には、極大陸にて人族を迎え撃つのは至極当然の戦略だった。
そして、アルナ達もそう考えているだろう。
「その前に……あんたに引き継いでもらいたいもんがある」
そう告げられたアエッタの表情が、初めて驚きの形に変わった。
引き継ぐ……その言葉からアエッタは、メルルの考えを確りと汲み取ったのだった。
「……嫌です」
だからアエッタは、迷うことなくメルルへとそう返答した。
アエッタの拒否を受けたメルルだが、その表情に変化は表れない。
彼女も、アエッタのこの答えを予期していたのだろう。
「メルル様……もう……戻らないおつもりなのでしょうか?」
アエッタの、メルルに問いかける言葉は震えていた。
いや、声だけではない。
小刻みに全身が震え、何かに怯えている様だ。
そしてメルルは、アエッタのこの質問にも黙して答えなかった。
「私は……嫌です。メルル様がもう……戻って来ないと言うのなら……私も……私も連れて行ってください」
そしてアエッタの眼には、何時しか涙が湛えられていた。
アエッタには分かったのだ……分かってしまったのだ。
メルルが……もう戻らないと言う事を。
そしてそれが意味するところも。
「……あかん」
そんなアエッタの懇願を、メルルはたった一言でバッサリと切って捨てたのだが。
「メルル様……あなたは私に、生きる術も……希望も……意味も与えてくれました。私が何者なのかを教えてくれたのは……メルル様です。私には……あなた無しの世界等考えられません……。後生ですので、どうか私もお連れ下さい」
アエッタの方も、退くと言う考えは無いようであった。
言葉こそ抑えられた、そして語調もゆっくりハッキリとしたものだが、その声音には強い意志が……願望が込められている。
そんなアエッタをメルルは、慈悲深い眼差しで見つめていた。
「ええか、アエッタ……。ウチが安心して戦いに向かえるんは、あんたって言う存在があっての事や。ウチの今までが無駄や無い……んで、これからも存在していける……。それを成し遂げてくれるんが、あんたって存在なんや」
まるで親が子供を諭す様な、そんな優しさがメルルの言葉には込められている。
すでにアエッタはボロボロと涙を流し、それを拭おうとしていない。
「でもメルル様……私は……私は……」
与えて貰えなかった親からの愛情……。
アエッタはメルルに、それを感じていた。
殊更に2人が親子の様な振る舞いをしていた訳では無い。
それでもアエッタは、メルルを本当の母親の様に慕っていたのだった。
そしてメルルもアエッタを、自分の全てを託す事の出来る娘の様に感じていたのだ。
メルルが椅子から立ち上がり、ゆっくりと執務机を回り込んでアエッタの前に立った。
そして彼女を、ゆっくりと抱きしめたのだった。
アエッタはメルルにしがみ付き、堰を切った様に嗚咽を洩らして泣き出した。
そうして暫くに時間が過ぎ、アエッタも幾分は落ち着きを取り戻した頃。
「アエッタ……あんたはこれから、ウチの全てを引き継いでエルナを補佐したってくれ。あの娘にはエルスの全てが注ぎ込まれたはずや。けど、力だけで何でも解決出来るほど、この世の中は甘くない。この魔王城にかて、エルナに刃向かう奴が居らんとも限らん。そんな時はアエッタ、あんたがエルナに助言したるんや。時には手を汚さなあかん事も出て来る。エルナが頷かん策を、秘密裏に行使せなあかん事もあるやろう……。けどな、それがウチの……ウチ等の役割や。分かるか?」
ゆっくりと、優しく語りかけるメルルの声に、アエッタは彼女の胸に顔をうずめたまま頷いた。
「その為には、知識がいる。魔法だけやったらあかん。力だけやったら、抑えつける事しか出来んのや。選択肢は多い方がええ。その為には、膨大な知識が……力を持った知識が必要なんや」
そこで漸くアエッタは、メルルの胸から顔を話して彼女の顔を見上げた。
アエッタの見たメルルの顔は……母親の様に慈悲の溢れた様でもあり……まるで囁きかける悪魔の様にも見えた。
「あんたには今まで、魔法を教えんとただ魔力の向上……実践のみを教えてきた。なんでか分かるやろ? 魔力を使う……っちゅーんは、本人の感性に依る処やから口でゆーても分からん。けど、魔法の知識は与える事が出来るからや」
アエッタは何も答えない。
しかしメルルにはそれが、彼女が理解していると汲み取ったのだった。
そしてゆっくりと、メルルはアエッタを引き離した。
アエッタもまた数歩下がり、改めてメルルと対峙したのだった。
「……これが……知識の宝珠や」
そしてメルルは、ゆっくりと開いた掌の上に、淡く光る炎……まるで
それを見たアエッタの眼が見開かれる。
一目見ただけでアエッタには、それがどれ程重みを持つ物なのかを理解したからだ。
「あんたに、これを授ける。いや……引き継いでくれ。これを受け取ればアエッタ……あんたは悠久の刻の中で死ぬ事は無い。無限の刻を生きて、可能な限り知識を蓄えてゆくんや。これはあんたにしか任されへん……ウチの切なる願いや」
そしてメルルは、ゆっくりとその手を差し出した。
アエッタもまた、ゆっくりと己の手を差し出しその炎を受け取った。
「あんたには……辛い思いばっかりさせるなぁ……。ウチを……恨んでるんとちゃうか?」
メルルが、どこか苦笑とも取れる笑みを浮かべてそう呟くも。
「いいえ……メルル様。私は……あなたの弟子として……そして、娘として……この宝珠を引き継いでゆきます」
それに対してアエッタは、泣き笑いのような表情を浮かべながら、手にした宝珠をゆっくりと胸に抱いた。
宝珠は、まるでアエッタの身体に吸い込まれる様に消えていった。
「その力をどう使うんかは……あんた次第や。エルナの為に、あんたが最善やと思う手段を取ったらええ。……エルナの事……宜しく頼むで」
「……メルル様」
そしてアエッタは、再びメルルの胸に飛びこみ、メルルもこれを受け入れて彼女の背中を抱いたのだった。
淡い月明りの射し込む部屋で、ただ沈黙だけが流れて行った……。
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