魔界に訪れる戦雲

 さて、先の口論……メルルとシェキーナによる言い争いは、メルルと精霊ネネイに依る昨晩の会話を隠ぺいする為の……いわばカモフラージュだった。


 論法としてはシェキーナがメルルに噛みつき、それに答える事で彼女を怒らせ、話の本質をずらした上で問答を収束させる。


 メルルのプランはこうであり、それは概ね成功したと言って良かった。

 もっとも、途中でエルナーシャの乱入があるとはメルルにも誤算であり、さしものメルルも子供の“親”を思う行動力までは見誤った形となったのだが。

 それでも、メルルと聖霊ネネイの関係に固執する様な雰囲気はこの場より一蹴されていた。

 その上でメルルは、話を元に戻しゆっくりと語り出したのだった。


「昨夜、聖霊ネネイは、アルナ達が再び行動を開始した事を告げた。勿論、あいつ等の目的地は……此処、魔界や」


 そしてメルルの第一声に、もはや先程の案件を引き摺る気配は誰からも伺えなかったのだった。


「……と言う事は、アルナ達は私達がこの魔界に居ると確信したと言う事か……? それはやはり……」


「……ああ……。ネネイがアルナ達に言いよった」


「ちっ」


 シェキーナの呟きにメルルが継いで肯定の言葉を告げると、シェキーナはそう舌打ちして顔をそむけた。

 そしてそれは、この場にいる全員の心情を物語っていたのだった。


 毎度、聖霊ネネイは余計な事をする。

 それでも今回の事は、今までの中で最も面倒な事を呼び込んだと言って良かったのだった。

 エルス達は、命題を突きつけられているのだ。


 ―――再び、アルナ達から逃げる為に、魔界を後にするか。


 ―――アルナ達と対峙し、魔界に居残るか。


 そんな究極の選択を迫られているのだ。

 一同が押し黙るのも、仕方の無い事だと言えた。


 そして、その決定を更に困難とさせる話が、メルルによって続けられる事となる。


「今回、アルナ達が魔界に来るにあたっては、軍を動かすらしいわ……。それも、結構大規模な……な」


 エルス達の顔に、驚きと驚愕の表情が浮かぶ。


「……どれ程の規模なのだ?」


 一同が押し黙る中、口を開いたのはシェキーナだった。


「師団規模らしいで。兵員1万人以上やそうや」


「い……ち万人……だと!?」


 メルルの答えを聞いて、エルスが声を絞り出す様にそう呟いた。

 今の魔界に、アルナ達を加えた師団クラスの軍隊を迎え撃つ余力は……ない。

 人数は揃える事が出来る。

 魔族は、少し鍛えれば民間人と言えどもそれなりの戦力になるからだ。

 そして先の戦闘で、一般人の中にも人族に対する反感は高まっている。

 志願を募れば、数万人規模の人員を招集する事は不可能では無かった。


 だがそれを行えば、魔界の生活は一気に戒厳令下に置かれてしまう。

 そして多数の死者を出せば、もはや日常の生活を維持する事は長きにわたって難しくなるだろう。

 しかし、魔族軍だけでそれだけの軍隊に対する事は難しい。

 未だに練兵途中であると言う事、そして何よりも年の若いものが多いと言う事も問題だった。

 真っ先に若者を犠牲とする国家に、先は無い。

 そんな事は、考えるまでもない事だった。


 ましてや原因はエルス達にあるのだ。

 人族の揉め事をこれ以上魔界に持ち込み、あまつさえ被害を齎す事をエルス達は翻意としていなかった。

 元々魔界に来た理由もアルナ達の眼を欺く為だけであり、その為に魔界など犠牲になっても良いと言う考えからでは無いのだ。


「……今回は、ウチ等が矢面に立つしかないわなぁ……」


 そんなエルスの……いや、その場にいる全員の意見を代弁する様に、メルルは溜息交じりにそう口にした。

 それには、エルス達も神妙な表情で頷いて同意する。


 勿論、早々にエルス達が魔界を発って矛先を逸らす……と言う手段も採れなくはない。

 ただし、それでアルナ達が魔界侵攻を取りやめるのかと言えば……それも不確定なのだ。

 今まで散々、エルス達に裏をかかれて辛酸を舐めさせられていたアルナ達である。

 余程の確証でも与えない限り、アルナはエルス達が魔界を去ったと言う話を鵜呑みにはしないだろう。

 そして人界の王達も、これを機に魔界を滅ぼそうと考えているかもしれない。


 アルナ達のみならば、策を練れば翻弄する事も不可能では無いが、軍が……王達が……いや、人界が動いたとなればそうも言いきれないのだ。


「……そうだな……。エルナのいるこの世界を踏みにじらせる訳にはいかないもんな……」


 そして最後の理由は……これであった。


 エルス達が魔界を発つとして、エルナーシャを置いて行くかと言われれば……そんな事は出来ないだろう。

 エルナーシャは次期魔王となる人物である。

 将来、魔界を率いる人物が倒れてしまっては、人界に無用の戦乱を呼び寄せる事となってしまう。

 そうなれば、エルス達がこれまでにしてきた苦労も全て水の泡となってしまうのだ。


 何よりも、エルス達がエルナーシャを置いて逃げる様な真似が出来ない。

 エルナーシャが次期魔王である事を考えれば、ここで魔界を見捨てて逃げる様な真似など出来よう筈がない。

 そんな事を他者が知れば、それがどの様な理由であれ魔界をないがしろにした……と言う悪評が立たないとも限らないのだ。

 それにエルナーシャは外見上、何処をどう見ても「魔族」であった。

 神秘的な紫色の瞳と、それと同じ色を持つ髪は人界では見られないものだ。

 それだけに留まらず、頭からは2本の角が短いながらも生えている。

 そして背中には……翼。

 鳥の羽根の骨格に薄い皮膜を張り付けた様な翼は、羽毛などを蓄えておらず、色は濃紺なれどもその触感は人の肌のそれに近い。

 普段は綺麗に折り畳まれているものの、その外観は所謂コウモリの羽根に酷似していたのだった。

 人界にも、「有翼人種」と言う種族が少ないながらも存在している。

 ただしその誰もが、鳥の様に羽毛を蓄えた羽根を有しており、その姿も鳥であった面影を残していた。

 しかしエルナーシャは、どう見てもそれ等に合致する容姿ではない。

 そんな彼女を魔界以外に連れ出せば、すぐに魔族だとバレてしまうだろう。

 エルナーシャには、魔界以外に安住の地が無いのだ。


 エルスの言葉に、一同も力強く頷いて答えた。

 そしてそれが、今後の方針を決める事となったのだった。


 ―――アルナ達人族の軍勢を、魔界にて迎え撃つ。


 ここでエルス達が倒れてしまっては、アスタル達の命を賭した戦いが無駄になるかもしれない。

 もっとも、元々アスタル達はエルナーシャの為に戦ったのであって、エルス達の事は物のついで……であるかも知れなかったのだが。

 それでも、そうなったとしてもエルス達に他の選択など考えられなかったのだった。


「アルナ達は、この魔界への侵攻準備に取り掛かっとる。軍隊が動くんや……すぐに整うって訳もないやろう……2ヶ月か、3ヶ月か……半年もかかるとは思えんけどな」


 方向が定まったと理解したメルルは、人族の状況についてそう語った。

 数人のパーティが旅に出るのと軍が遠征準備を整えるのでは、その期間だけ考えても全く違う。

 最短で2ヶ月……しかしこれは、準備がかなりスムーズに行われた場合に限る。

 実際はもう少しかかるだろうが、それでもそう遠くない未来なのだ。


 戦の話となって、エルナーシャただ一人が暗い顔を浮かべていた。

 エルス達が戦うと知れば、その心情は想像するまでもないと言うものだった。


「そんで……や」


 そしてメルルが、今までよりも一層真剣味の増した声で一同に話し掛ける。

 思わず、エルナーシャの肩がビクリと震えた。

 だが次の瞬間には、メルルの顔には意地の悪い笑顔が浮かんでおり、エルナーシャはどう言う状況なのかすぐに理解出来なかった。


「来月はエルナーシャの、生誕1周年や。そこで、パァ―――ッと盛大に誕生パーティを開こうと思うんやけど……どうや?」


 そして続けられた話で、エルナーシャは呆気にとられたのだった。


「おお、そりゃー良いな」


 エルスが満面の笑みでメルルの案に同意すると。


「考えてみれば、エルナはまだ1歳……なのか?」


 シェキーナが、途中まで感慨深い声で呟くも、最後にはそう疑問を洩らし。


「1歳には到底見えないけどな」


 カナンが可笑しそうに、それに答えた。


「腕によりをかけて……ご馳走を御用意致します……」


 レヴィアは、密かに熱意を燃やし。


「プレゼント……何にしようかな……」


 アエッタもどこか楽しそうにそう呟いたのだった。

 もっとも、当のエルナーシャはその会話、そして雰囲気について行けていない。


「と……父様……。あの……“誕生パーティ”とは……何でしょうか?」


 そして、不安そうな表情を浮かべてエルスにそう問いかけたのだった。

 未だかつて、その様な催しを体験した事の無いエルナーシャには、それがどういったものか知らないのも無理はない。


「んん? エルナが生まれた日を、1年毎にみんなでお祝いするんだよ。……生まれて来てくれてありがとうってな」


 笑顔で答えたエルスを見つめていたエルナーシャの顔が、みるみると変わって行く。

 勿論……満面の笑みへと、だ。


「ほ……本当ですか!? 父様、母様!?」


 エルナーシャが零れそうな笑顔を湛えて、エルス、シェキーナ、メルルへと顔を向ける。


「ああ、ほんまや。来月が楽しみやなぁ」


 静かにうなずくシェキーナ、そしてメルルもまた笑顔でそう答えたのだった。


「はい……はいっ!」


 エルナーシャは、それは幸せそうな表情で答えたのだった。


 そこには、先程まで渦巻いていた深刻な空気など何処にも無い。

 今は、来たる来月の誕生パーティに向けて、皆が楽しそうにそれぞれの考えを口にしている。


 だが勿論、定められた未来は……変えられようもなかった。

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