目的に向かい
エルナの相手をカナンに任せたエルスは、シェキーナを伴って練兵場へと向かった。
この練兵場では、魔王親衛隊候補生の面々は勿論、その他に所属する兵達も日夜訓練を重ねている。
エルスは専ら親衛隊候補生達を相手にしており、その他の兵を鍛えているのはシェキーナやメルル、カナンの仕事となっている。
特に魔導兵……戦闘手段を魔法に特化させた兵達を鍛えるのは、メルルとシェキーナの担当だった。
もっとも、メルルは政務にも従事している事から、主導しているのはシェキーナと言えるのだが。
練兵場までやって来た2人は、そこで二手に分かれたのだった。
エルスが親衛隊候補生達の前までやって来た時、彼等は指先までピンと伸ばした見事な直立姿勢で、綺麗な整列をして待っていた。
本日、エルスが彼等の訓練状況を視察する事は、事前に知らされていた。
そう言った意味で、教官であるエルスを規律正しく迎えるのは、ある意味で当然だと言えた。
「……へぇ」
それでもエルスは、彼等を見て感嘆の声を洩らしたのだった。
エルスがその様に感心したのには訳がある。
それは、一糸乱れぬ整列に機嫌を良くした……等と言う事では無く。
彼等の表情、目の輝き、そして体から発せられる意気……つまり、全体的な“気合い”を感じ取ったからだった。
「……ジェルマ」
エルスは居並ぶ候補生の中から、そのリーダー格であるジェルマの名を呼んだ。
「はっ!」
先頭に居たジェルマは大きな声で明瞭な返事をすると、一歩前に出て再び直立不動の姿勢を取った。
その声色、動きだけでも、彼の真剣な様子が十分に窺ると言うものだった。
「長い間、訓練を見てやれずに悪かったな。何か問題でもあるか?」
「ありませんっ!」
エルスの問い掛けに、ジェルマはそう即答した。
それは何も、本当はあるのにエルスには言わない……等と言う子供じみた返事では無い。
ジェルマには本当に、問題となるべき事が無かったとエルスは察した。
「そうか……戻れ」
「はっ!」
そしてエルスの指示に、ジェルマは先程と同じ様に返事をし、先程と同じ様に切れのある動きで元の位置に戻ったのだった。
エルスは彼とのやり取りだけで、この数か月ジェルマたちがどの様な訓練の取り組みをしたか、手に取るように分かったのだった。
人と言うのは、気を抜けばいくらでも楽をしようとする生き物だ。
どうしたって、誰でも自分自身には甘くなり、己に打ち勝つのは難しい事だった。
エルスと言う「監視者」「監督」が居なくなる事で、ともすれば彼等の訓練に対する気持ちは、いくらでも弛んでしまうだろう。
特に、誰も怒る者は居らず、別段ペナルティーも無いならば尚更だ。
いくら自分自身を叱咤しようとも、どうしても自分に対する甘えが顔を覗かせてしまう。
―――これ位で良いか。
―――これで十分だよな。
―――後は、明日にでもしよう。
自分に言い訳する言葉などいくらでも湧いて来て、それに抗うには余程強靭な精神力を要するものだ。
ただしそれも、あるものが備わっていれば跳ね返す事が出来る。
それは……目的意識。
自らの目標に向かうと言う行為は、誰でもない自分で自分に課した試練だ。
僅かな油断ですぐに気が抜けてしまいがちであっても、確固たる意志でその目標を掲げたならば、余程の事がない限りその意思は折れたりはしない。
そしてジェルマは……いや、この場に居並ぶ全員が、その自分に課した目標に向けて、エルスの居ない数か月も精進して来たと物語っているのだ。
「他に、何か問題のある者はいるか?」
エルスの問いに、誰も返事を返さなかった。
エルスは強く、大きく頷いた。
「そうか。なら今日は、久しぶりに俺と組打ちでもするか」
エルスの言葉には、流石に候補生の一同からどよめきが上がる。
「エルス様―――。組打ち―――ゆーんは―――」
「ウチ等全員と―――エルス様が戦う―――ゆー事ですやろか―――?」
シリカとメルカが、お決まりとも言うべき間延びした話し方で問いかけてきた。
勿論、この様な喋り方であっても、彼女達にふざけた様子は伺えない。
「そうだ」
そして彼女達が問い掛け通り、エルスの言う“組打ち”とは初日に彼が行った、候補生達全員とエルス一人が戦う乱稽古の事だ。
およそ10か月前に行われたエルス対候補生達の戦いは、エルスの圧倒的勝利で終わった。
候補生の面々はその時の事を思い出している様であり、汗を流す者や喉を鳴らす者など緊張している様子がそこかしこで窺われた。
「……そんなに緊張しなくても良いよ。俺の力は、以前よりも衰えている。お前達が俺に勝つ事も不可能じゃないよ」
そんな彼等に、エルスはやや砕けた口調でそう告げた。
アスタル達が逝き、6ヶ月が過ぎている。
その間も、順調に……エルスはエルナーシャにその力を吸い取られ続けていた。
エルナーシャがスクスクと成長すればするほどに、エルスの能力はどんどん失われてゆくのだ。
そして今現在のエルナーシャを見れば、それがどういう事かは言わずもがなであった。
もっとも、ここ最近では能力の低下がエルスにも自覚出来ない事を考えれば、もう殆どの「勇者としての力」をエルナーシャに与えてしまったかも知れない。
それでもエルスが高い能力を持つ戦士である事に変わりなく、この場にいる候補生とも1対1ならば“今は”負けない自信を持っていたのだった。
結局エルスは無事全員に勝利し、何とか面目を保ったのだった。
ただ、エルスには特に体面を気にしている様子はないので、本人に面目躍如と言った気持ちは無い。
訓練を終えて、エルスは各員に気付いた注意点を事細かに指示し、それを受けた候補生は真剣な眼差しでその指摘を咀嚼していたのだった。
「お疲れ様、エルス。久しぶりの候補生達はどうだった?」
候補生達との訓練を終えたエルスが汗を流しに向かう途中、同じく指導を終えたのであろうシェキーナが話しかけてきた。
その言葉は特に考えられた様なものでは無く、本当にただの挨拶程度と言ったものだったのだが。
「ああ……思っていた以上に……堪えたよ……」
シェキーナに答えるエルスの声音は、先程の様な覇気のあるものでは無かった。
どこか沈んでいる……落ち込んでいるとシェキーナには感じられ、その後の言葉に詰まってしまったのだった。
「いや……分かってた事なんだけどな。こうやって実際に剣を振るえば、嫌でも自分の力が衰えてるって実感しちまってな……」
シェキーナが言葉を言いあぐねていると感じ取ったエルスが、バツの悪そうな笑みを浮かべてそう付け加えた。
「……エルス……」
そんな彼の気遣いも、シェキーナの舌を滑らかにするものでは無かった。
「俺は……勇者の力なんかなくなっても、別に構わないって思ってたんだけどなぁ……。いざ、自分の力が弱くなってるって実感しちまったら、やっぱり寂しいものを感じるんだ……」
そしてそう続けたエルスが、シェキーナに向けて笑みを向ける。
彼女には、それは何とも悲しそうな……泣き笑いの様な笑顔にしか見えなかった。
「……まぁ、力が弱くなったって、戦いに於いての気構えや考え方、視線のやり方や動き方なんかまで衰える訳じゃないからな。まだまだあいつらに教える事が山ほどあるよ」
乾いた笑いを残して再び歩き出したエルスの背中を、シェキーナは悲しげな瞳で見つめていた。
それは彼が、本心を語っていないと知っていたからだった。
それはエルスが、力が無くなった事に対して悲しんでいると感じたからでは無い。
ましてや、教え子に抜かれるかもしれないと言う虚栄心から来るものでも無かった。
エルスが考えている事……隠している事……それは。
いずれ訪れるアルナ達との戦いに於いて、自分が戦力になり得ないと言う……焦り。
エルスは唯一人、自分だけが置いて行かれると言う事に怯えているのではないか。
シェキーナには、エルスがそう考えていると思えてならなかったのだった。
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