先を目指して
旧魔王城が多くの命を呑み込み、アルナ達が追われる様に魔界を去った。
それから1週間の間は、流石に新魔王城“隠れの宮”には重苦しい空気が流れていた。
魔王がエルスに倒されてよりの後、魔王軍を……魔界の中枢を担っていたアスタル達は、多くの魔族に好かれ、信頼されていたのだからこれは仕方がない。
しかし、元は仇敵同士であり付き合いの長さでは遥かに短い……しかも種族さえ違うエルス達の落ち込みようが、それに拍車を掛けていたのだった。
そして、時折エルナーシャの口にする「あすたるたちは―――?」と言う無邪気な言葉が、事情を知る者達の心を無情にも抉っていたのだ。
ただ、この状況をアスタル達が望んでいるとは思えない。
何よりも、いつまでも悲しみに打ちひしがれていては、エルナーシャの教育にも宜しくない。
良くも悪くもエルナーシャの存在が、エルス達が立ち直る事に一役買っていたのは間違いなかった。
「お……おっほ―――っ! じゅ……獣人の身体能力っちゅーのは……す……凄いもんやな―――っ!」
メルルは今、カナンと共に人界中央大陸中心部……つまり、先日メルル達が陽動作戦に降り立った場所。メルルがアエッタと出会った場所から数時間移動した所を……疾駆していた。
アルナ達は、未だこの地に戻ってはいない。
普通に考えても、極大陸から王城に戻るには1ヶ月以上に及ぶ行程が必要なのだ。
どれほどアルナ達が能力に秀でていると言っても、僅か1週間やそこらでここまで戻る事は出来ない。
メルルはその間隙を突いて……と言う程でも無いのだが、「監視の目」としての使い魔を新たに作り出すべく、人界にまでやって来ていたのだ。
勿論、移動には件の移動魔法を利用している。
多量に魔力を使う故に、随員もカナン一人、移動も彼の背に乗って……としているのだが。
「……そうか? お前の事を考えてまだ速度を落としているほうなんだが……。なんなら、もう少し上げるか?」
そう言うとカナンは、それまでよりも倍するかと言う移動速度に上げた。
「お……おおおっ! ちょ……ちょー待……待ってーなっ!」
普段では到底体感できない速度に、メルルも思わず声を上げる……のだが。
「なんだ? 流石の大賢者様も、獣人の速さには舌を巻く……か?」
その顔にいたずらっ子の表情を浮かべたカナンが、どこか意地の悪い言い様をする。
もっともこの場合は、実際に悪戯をしているのと変わらないのだが。
「……い……いや……。ちょ……ちょーっと……気分悪い……」
その直後、カナンの背中では惨劇が繰り広げられたのだが、双方の名誉の為にここは描写を控えておくとする。
ただ、二人とも体を洗い衣服を洗濯するのに、半刻程の時間を無駄にした……とだけ言っておこう。
およそ1週間を要し、メルルは人界大陸各所に使い魔を用意して行った。
今回の使い魔は、以前のものよりもより多くの魔力をつぎ込んでいた。
使い魔となった動物の視覚、聴覚……そしてその行動を操作出来るようにしたものだった。
それにより、使い魔としての寿命……魔力が切れる時間は以前のものより短くなったものの、より詳細にアルナ達の動向を探る事が出来るのだ。
期間が短いと言っても、凡そ1年はその効力が切れる事は無い。
1年毎の更新ならば、姿が見られる事もアルナ達に見つかるリスクも低くなると言うものだった。
メルル達は目的地に使い魔を配すると、無事に魔界への帰還を果たしたのだった。
メルル達が戻って来た時には、城内はすっかりそれまでの雰囲気を取り戻していた。
エルス、シェキーナは親衛隊候補生達の訓練に付き合い、若いジェルマやシルカとメルカに指導を行っている。
彼等は、アスタル達が死に魔王城が爆発したと言う事しか知らされておらず、その背後関係までは知らなかった。
だからだろうか、彼等にエルスやメルル……他のメンバーに対しての
以前と同じように……いや、それ以上に強くなりたいと言う気概だけがエルス達には伝わっていた。
それに比例する様に、ジェルマたちはめきめきと熟達度を上げて行ったのだった。
「……郊外に別荘を作る」
それから更に1週間が過ぎた頃、朝の会合でメルルは突然、そう提案を口にした。
現在の最高指導者は、エルス達人族の元勇者パーティメンバーだ。
人族が魔族を従えて指導すると言うのも何とも不思議な構図ではあったが、今現在ではそれも致し方ない事だった。
主だった人員は、魔王を含めて此れまでの戦闘で全て死亡している。
他の人物はと言えば、地位は兎も角として、能力的には物足りない者ばかりだった。
それにこの決定は、何よりもアスタル達旧首脳陣の切なる願いであった。
後継が育つまでと言う事でその申し出を受けたエルス達だったが、そこで際立ったのはメルルの有能過ぎる政治手腕だった。
あらゆる方面に博学なメルルは、多くの問題点を様々な観点から、的確に且つ私情を挟む事無く指示して行ったのだ。
強引な手腕には不満も少なくなかったが、そもそもメルル一人だけにも敵う者など今の魔界には居ないのだ。
それに目に見えて良い方向に改善されれば、その事に意見を言おうものならばそれはただの中傷にしかならなかった。
アスタル達の欠けた混乱から僅かな時間で立ち直りつつあるこの時に、メルルはまた突拍子もない事を提案したのだった。
「……え―――……っと……。説明をして貰えないだろうか?」
そう口にしたのはシェキーナだったが、その場にいるエルス、カナン、レヴィアも同意見だった。
何か必要なものの話ならば兎も角、いきなり別荘では説明も必要だろう。
「簡単な話や。此処には“自然”が少なすぎる。エルナの教育上、四六時中雪景色だけっちゅーのも問題ありやろ。あの子には、もっと自然と接して、色んな事に感銘を受ける心を養って貰わなあかん。その為には、小さい頃からの環境ってのは大事や。所謂“情操教育”って奴やな」
メルルの説明に、一同からは「おおっ!」と感嘆の声が返された。
ここ最近のメルルを見ていれば、その様に「人らしい感情」を示される事自体が驚きに値するのだが、どうやらそれについてメルルは不満であるらしかった。
「……あんたらなぁ……。ちょ―――っと聞くけど、まさかエルナをずぅ―――っとここで育てよう―――思とったんとちゃうやろうなぁ?」
その顔には大いに不満であると言う意志と、逆にエルス達へ信じられないと言った意味を込めた表情がアリアリと浮かんでいた。
それを受けてエルス達は、それぞれに頭を掻いたり苦笑を溢したり、視線を宙へと泳がしたりして誤魔化している。
冷静に考えればそれも仕方の無い事で、この中に「まともに」子育てを行った者など一人としていないのだ。
エルナを大事に扱うと言う気持ちは同じなれど、その為にはどの様な環境が適切か……とまでは考えに至らなかったのだった。
「……ええか? 今すぐ……っちゅー訳やなくとも、早い段階で余裕が出来次第、魔界各地に別荘を建築して行くんや。可能やったら、その土地土地の有力者に協力させたらええ。なんせ、次代の魔王が過ごす場所なんや、嫌や―――ゆー奴も居らんやろ。まぁ……もし居ったら……」
そこまで話して、メルルは喉の奥を鳴らして笑った。
眼鏡を光らせて口端を吊り上げるメルルの、ガラスの向こうに浮かぶ瞳を誰一人として見れなかった……いや、呆れてみようとは思わなかった。
誰も聞きはしなかったが、メルルの考えは誰もが理解する処だった。
魔界各所の村落に、魔王の別荘を作る様に……命じる。
積極的な村は、次代の魔王エルナーシャに好意的と言える。
逆に、その命令を渋る様な所は、今後も非協力的な態度をとる事が容易に考えられる。
そう言った村は、強制的に改革させる……それがメルルの考えであった。
つまり別荘建築に
いつもながら色々と知恵の回るメルルに舌を巻きながら、一同は彼女の提案に頷き賛同したのだった。
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