潰走と竄伏と

 見渡す限りの一帯を呑み込み、更には大地を大きくえぐり取った爆発の中心部。

 未だ地面は、赤く燃えている部分を多く残している。

 そしてそこには……3つの影だけがあった。

 言うまでもなく、その影はアルナ、シェラ、そしてゼルであった。


 爆発の瞬間、その光に呑み込まれながらもアルナは、咄嗟に3人を護る防御障壁を展開していた。

 爆発の規模を考えればとても十分な防御魔法とは言えないまでも、そのお蔭でシェラとゼルは一命を取り留める事に成功していたのだった。

 2人共、とても「無事」と言い難い状況だったが、深刻な傷はアルナの回復魔法で癒してある。

 本来ならば致命傷となる傷も、アルナならば瞬時に回復できる。

 しかし今は、それを行うほどの余裕など彼女には無かった。

 先程の激闘でアルナは、幾度も命に関わる傷を受け、その度に“神の奇跡”を行使して治癒し続けた。

 そしてその後の大爆発である。

 アルナの魔力は底をつき、体力も限界を超えていたのだった。

 荒い呼吸を繰り返し、辛うじて立っているシェラ。

 横たわるゼルは、意識があるのかどうかも分からない。

 そしてアルナは。

 四肢を地面に付き、やはり呼吸を大きく乱し咳き込んでいた。

 

「ハァ……ハァ……ゴホッゴホッ……コフッ!」


 そして吐血し、地面に赤い花を咲かせたのだった。

 

「……フゥ……フゥ……アルナ……。ここは急いで……撤退しよう……」


 そんなアルナの姿を見たシェラが、焦りの色を顔に浮かべてそう提案した。

 彼女の傷も十分に酷く、他者を気遣っている場合では無い。

 それでもシェラは、血を吐くまでに疲弊したアルナの体調を憂慮していたのだった。

 だがしかし。


「わ……私に……ハァハァ……私に虫けら共から……逃げろと言うのか、シェ……ゴフゴフッ!」


 アルナはシェラの言葉を拒絶しようとして、それを全て言い切る前に再び吐血してしまったのだった。

 流石にアルナも、自身の体調が十分だとは言い切れないでいた。

 

「さっきの爆発は……周辺に住む魔族にも……見えただろう……。武装した魔族が……此処に来る事は……十分に……っ!?」


 そこまで話してシェラは、何かを感じ取ったのか虚空を見上げて怪訝な表情を浮かべた。

 

「……いや……すでに多くの魔族が此方へ……向かっているようだな……。奴ら……この事態も踏まえて……周囲に兵を伏せてでもいたのか……」


 そして、諦めの混じった声でそう告げたのだった。

 戦士の最高峰を極め、歴戦の勇者であるシェラは、風に乗って流れて来る僅かなときの声を聞き取ったのだ。


「……くそっ……虫けらどもめ……」


 シェラの言葉を聞いて、アルナがそう毒づく。

 それは、シェラの提案を聞き入れる……いや、聞き入れざるを得ないと理解したに他ならない。

 シェラとゼルは、到底戦える様な状態ではない。

 そしてアルナもまた、魔族に相対する程の体力も魔力も残してはいなかったのだ。

 この状態から考えれば、残される道は撤退……逃げ出す以外にない。


「……行こう……アルナ」


 ゼルを抱え上げたシェラが、アルナの決定を待たずに動き出す。

 アルナもまたゆっくりと体を起こすと、重い足取りでシェラの後に続いたのだった。


 結局アルナ達は、7日7晩の追撃を受ける事となった。

 昼夜を問わずに彼女達の後を追う魔族達に、アルナ達はただの1晩も体を休める事は出来なかった。

 体力も魔力も、十分に回復しない状況が続き、アルナも碌にシェラとゼルを回復させる事は出来なかったのだ。

 結果として、大陸の南端にまで追いやられ、そこで漸く追撃の手が緩まったと感じたのだった。


「……魔界から……撤退する……」


 そう言ったのはアルナだった。

 此処に至りアルナは、このまま魔界に留まり続ける愚を認識していた。

 警戒も露わとなった魔界を、準備も装備さえ万全でないアルナ達が動き回るには限界がある。

 多少手間だとしても、一度人界に戻って態勢を整える方が得策と言えた。

 それに。


「ここに……魔王エルスは……いない」


 アルナの決断は、この結論に至ったからだった。

 それにはシェラも頷き賛同する。

 魔族が、勇者エルスの為に命を懸けて戦う。

 そのようななど、到底考えられる事では無かったのだった。

 

 アルナ達は、そのまま極大陸へと渡り、人界へと退いて行ったのだった。





 メルルの言葉を聞いた一同の元から、エルスは一人……抜け出した。

 

 アスタル達の戦い……。

 そして……憤死。


 アルナの行動……。

 そして……所業。


 メルルの決断……。

 そして……その咎。


 考える事が山の様にあり、それらはすぐに纏まり結論付ける事の出来ない事ばかりだったからだ。

 考えを整理する為に、エルスは一人部屋を抜け出て……テラスへとやって来ていた。

 この新魔王城“隠れの宮”は、文字通り山の中……所謂「地下」にある。

 それでも出入口以外に幾つかの場所は山肌に通じており、外の景色を伺うと共に外界の空気を取り入れる役目も果たしていた。

 常冬の厳寒にあるテラスは、エルスの頭を冷やすには打って付けだった。


「……エルス」


 そんな彼の背後から、メルルの声が投げ掛けられた。

 エルスはそれに答えず、ただ只管に吹雪で視界の悪い景色を見つめていた……いや、睨みつけている。


「……ああするしか……他に手は無かったのか……?」


 そして振り返る事無く、エルスがメルルにそう問いかける。

 メルルの身体が僅かに振るえたのは、その質問に対するものだったのか寒さによるものだったのか。


「……いや……他の策も有るには有った……。けど、あれが最善やった……」


「……そうか」


 メルルの絞り出す様な返答に、エルスは一言、そう返しただけだった。

 メルルはそれ以上、説明も……言い訳もしなかったし。

 エルスもそれだけで、ある程度の事情は把握出来ていた。

 何よりも……メルルの心情を痛い程に理解出来ていたのだった。


 アスタル達が戦いを決めた事は、もう随分前からの決定事項だ。

 そこに「戦わない」と言う選択肢は無かった。

 そして、戦えば命はない……と言う事は言わずもがなである。

 メルルはそれを最大限、彼等の意向をくむ形で手を貸したに過ぎない。

 

 アスタル達が戦って、命を落とし、それでお終い。

 そうであってはいけなかった。

 今後、魔族にも人族に対して、総員を以て当たる気概を植え付ける必要もあった。

 アスタル達の死後、魔族を代表して戦う強者はそう簡単に現れず、また育たないからだ。

 団結力を強制的に齎す最大の良薬それは……敵である。

 互いに認めない、関知しない……ではなく、憎み合い否定し合う存在とならなければならない。

 その為には、アルナ達に悪者になってもらう必要もあったのだ。


「……それなら……俺はメルルを信じるよ」


 振り返ったエルスは、メルルへと笑顔を向けた。

 それは今までにない……何とも悲しい笑顔。

 メルルはそんなエルスを見て、胸が締め付けられる思いだった。


 アスタル達に助力して、エルス達が矢面に立ってアルナ達に相対すると言う方法も採れなくは無かった。

 ただしその場合は、エルスの死を含めたどちらかの陣営の……全滅と言う結果しか残されてはいない。

 魔界へ来てすぐのエルスに、その様な決断は下せなかったであろう。

 そしてみすみすエルスを死なせるなど、メルル、シェキーナ、カナンが許す筈もない。

 

 そして最大の理由は……エルナーシャの存在だった。

 彼女を残して、エルスには死を選択する事は出来ない。

 最初こそ、自身の能力をエルナーシャへと譲り渡す為だと考えられてもいたが、今ではエルスを含めて誰もが……エルナーシャを愛している。

 幼子のエルナーシャを、力も不完全なままに残してゆくなど、エルス達には出来なかったのだ。

 そしてそれは、アスタル達の望みでもあった。

 

「……でも……次は……」


 エルスはそれ以上、言葉を続けなかった。

 そしてメルルも、それ以上聞こうとはしなかった。

 

 一層強さを増した吹雪が、エルスとメルルに容赦なく吹き付ける。

 二人の想い……気持ちを、その狂風が雪景色の中へと攫って行ったかのようであった。


 それでも彼等は、その場から動こうとはせずに、互いに無言の視線を向け合っていたのだった。

 

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