魔王城の戦い ― 2分前 ―

「……硬剣術ハルト・イスパーダ……」


 強く……静かにアスタルがそう口にすると、彼の構えた剣より強い光が発せられる。

 剣を硬くし、切れ味を増大させるアスタルの最も得意とする術だ。

 そしてその剣が纏う魔力光は、先の王龍との戦いで見せたものよりも数段輝かしい。


「……鋼盾術エスクド・カリュプスっ!」


 更にアスタルは、防御力を強化する術も同時に発動させた。

 これもまた、以前とは比べ物にならない程の光を発してアスタルを包んでいた。


 元来、この2つを同時に発動する技量を、アスタルは持ち合わせていなかった。

 この2つは全く用途の違う術であったし、それぞれの効果を最も有用にさせるにはどちらかに集中する必要があったのだ。

 しかし。


「……ほう」


 シェラはアスタルの使用した技を一目見ただけで、感嘆の声を溢したのだった。

 彼女が感心するのにも訳がある。

 その攻撃力、そして防御力はシェラが頷くほどの威力を有していると見抜いたのだ。

 それにアスタルの技が、彼の全てを懸けて発動されている事を悟ったからだった。

 それが証拠に。


 アスタルの鼻から……血が滴り落ちる。

 そこだけではなく、口から、目から、耳からも……。

 全霊を掛けていると言う事は、その形相からだけではなく全身が物語っていた。

 今やアスタルの身体から発する湯気は、彼の血液が気化したもの……いや、彼の命その物が沸き立っている様であった。


「獣牙……紫炎閃」


 それに対してシェラは、グッと身をかがめて力を籠める構えを取った。

 尋常では無い程の力が込められているのであろう、彼女の筋肉ははち切れんばかりに膨張しており、即座にでも飛び出してしまいそうな程に圧縮されている。

 

 永遠と思われる程の対峙と無言。

 だがそれはすぐに終わりを告げる事となる。


「……ふっ!」


 先に動いたのはシェラだ。

 神速……と揶揄して差し支えの無い動きが、アスタル目掛けて襲い掛かる。


「んんっ!」


 そんなシェラの動きに、アスタルは驚嘆と言える反応で応えた。

 他の者ならば……いや、他の魔王軍兵士の誰も、シェラの動きを捉える事無く斬り伏せられていたであろう動きをアスタルは捉え、あまつさえカウンターを狙ったのだった。


 刹那。


 シェラは歓喜に打ち震えていた。

 まさか自身が使うこの技に、追随する動きを見せる者が魔族に居るとは思っても見なかったのだ。

 それでも彼女の動きに淀みなく、一切の躊躇は見られない。

 

 アスタルもまた、自分の動きに驚きを抱いていた。

 反応を見せたのは、殆ど“勘”と言って良い。

 それでもそれが間違っていなかった事に、彼は至上の喜びを得ていたのだった。 

 勿論、満足を得てそのまま死出の旅へと向かう……等と言うセンチメンタルでこの場に居るのではない。

 アスタルは、命を削ってでもシェラに勝ち生き残るつもりだった。

 それ故の「硬剣術」であり。

 それ故の「鋼盾術」であった。

 アスタルは身体に負担を掛けてでも、生き残る可能性に賭けて術を発動したのだった。


 シェラの剣が身体に触れるよりも、タイミング的にはアスタルの剣がシェラを捉える方が早い。彼はそう確信した。

 そして、彼の剣が振り下ろされる。

 次の瞬間。

 シェラの剣が、迫り来るアスタルの剣と交錯する。

 そしてアスタルは、目を見開いてその“刻”を……見た。

 

 シェラの剣が、アスタルの剣を粉砕する。

 そしてその動きは、彼の剣を砕いて終わりと言う訳では無かった。

 彼女の剣は、アスタルの剣を斬り折った動きそのままに進み、彼の身体へとその切っ先を向けている。

 アスタルは身を捩りシェラの剣を躱そうとするも、その動きはほんの僅かなものだった。

 辛うじて即死の攻撃を免れる事は出来たのだが。


 アスタルの胸に、深い横一文字の傷が記される。

 その刀傷が、彼に死を齎すものである事をアスタルは即座に理解した。……致命傷だ。


 そして……刻が動き出す。


「ぐ……ぐはっ!」


 すれ違ったシェラの背中を見る形で動きを止めたアスタルは、胸から多くの血を流し、口からは多量の吐血をした。

 

「……見事だ」


 ただしそのセリフを吐いたのは、アスタルでは無くシェラであった。

 彼女の持つ片手剣、その刀身が真っ二つに折れて床に乾いた音を響かせた。

 アスタルの剣もまた、シェラの剣を砕く事に成功していたのだった。


「……最大の……賛辞だ……」


 もはや立ち続ける事も能わず、片膝を付いたアスタルがそう答えた。

 それでもその顔には、苦悶も後悔も、怒りも悲しみもない。

 戦闘の終わりを告げる、どこか和らいだ表情となったアスタルは、その言葉を最後に床へと沈んでいったのだった。

 戦闘の余韻に浸るシェラだったが、直後の轟音に我へと引き戻される。

 アルナとリリスの戦っているであろう方角から、大きな破砕音が響き渡ったからだった。

 

「……アルナ」


 ポツリと零したシェラは、もはや振り返る事無くそちらの方へと駈け出していた。

 だから……気付かなかった……気付けなかったのだ。


 アスタルより発せられていた赤い靄が……床へと吸い込まれていた事に。





 ―――アスタルッ!


 リリスは、アスタルが絶命した事を知った。

 それは何も、精神感応が働いての事ではない。勿論、以心伝心などと言う事も無い。

 それはこの城に施された仕掛けと、彼女達が飲んだ薬物による副産物だ。


(……そう……逝ったのね……)


 アルナを圧倒しながら、リリスは更なる決意を以て攻撃を強めて行った。





 アスタルが戦いの中で逝った事を、べべブルも感じ取っていた。

 それでも彼に、その事について思考を割く事は出来なかった。

 べべブルのいる部屋には、目で見る事の出来ない……所在を把握する事の出来ない敵が今もいるのだから。

 

「……へぇ……面白れぇ技を使いやがるなぁ……」


 べべブルは出し惜しみする事無く“分け身”を使った。

 出現させた分身は実に……10体。

 、彼にとっては全力に値する数の分け身だった。

 そしてそれぞれが、全力で気配を探りゼルの居所を探る。

 しかしそれでも、ゼルの姿を……気配を掴む事は容易では無かった。


「……むっ!?」


 そしてそんなべべブルを嘲笑う様に、分け身の1体が倒されて霧散する。

 魔力で作り出した分け身であっても、急所を突かれれば術が解かれて消えてしまうのだ。

 更に1体、姿を掻き消されてしまった。

 

「お前が俺の姿を捉えるより、俺の剣がおまえを貫く方が早い様だなぁ……」


 実際にせせら笑うゼルの声が空間より発せられる。

 そんな声を聞かされても、べべブルは慌てた様子もなく新たに2体の分け身を作り出した。

 その様子を窺っているであろうゼルの声は、どうにも不満げなものへと変わっていた。


「……気に入らねぇなぁ―――……」


 もう1体、べべブルの分け身が消え失せ、べべブルが新たに追加する。

 

「なんだよ、お前……その余裕はなんだってんだ……?」


 何も答えないべべブルに、ゼルのいら立ちは募るばかりだ。

 そんなゼルに、べべブルは漸く口を開いた。


「……いんや―――……余裕って訳でも無かっただら。お前ぇの気配が分からなかったのは事実だったからなぁ―――……。俺ぁお前ぇと違って、暗殺者アサシンのスキルを持ってねぇかんな―――。……んだども、漸くその尻尾を掴んだだら!」


 べべブルがそう叫んだと同時に、彼の分け身が暗闇に攻撃を仕掛けた。

 その動きに合わせて、分け身の剣が何かを斬り付ける音がする。


「ちぃっ!」


 直後、ゼルの憎々し気な声が発せられた。

 分け身の攻撃がゼルの身体を捉えたのだ。


「お前ぇの隠形おんぎょうは大したもんだら! んだども、今の俺ならその気配の尻尾くらいは掴めるだら! んで……尻尾さえ掴めりゃあ、その闇ん中から“これ”で引っ張り出せるだら!」


 べべブルがそう説明し終えると同時に、彼の分け身は更にその数を増やす。


「くおっ!」


 それと同時に、見えざるゼルへ向けて、数体の分け身が攻撃を仕掛けた。

 四方からの攻撃に、ゼルが数カ所斬り付けられた気配がする。


 べべブルの出現させた分け身は全部で……30体。

 

 常態ならば10体が限界だと言う事を考えれば驚異的な数だ。

 そして、そう広くない室内での戦闘ならばそれで十分だった。

 多くの空間をべべブルの分け身が埋めている状態ならば、気配の薄い相手でも発見する事は容易だ。


 べべブルの分け身が1体、またゼルの手によって消される。

 それと同時に、攻撃を仕掛けたゼルへと数体の分け身が攻撃を返した。


「ぐおっ! んの……野郎っ!」


 そう捨て台詞を吐くゼルの能力に、べべブルは舌を巻いていた。

 もう何度か分け身の攻撃を受けて手傷を負っているにも関わらず、その“跡”を一切残さないのだ。

 アスタルと同じ様に全身から血を流し、足元に血溜まりを作っているべべブルとは対極的……と言えた。

 もっとも今、べべブルが出現させている分け身の数は、彼にとって限界をとうに超えていたのだからそれも仕方がないのだが。


 更に相打ちと言う形で、新たに手傷を追いながらも分け身を消し去ったゼルが、漸くその姿を現した。

 その顔には、憤怒の形相がありありと浮かんでいる。


「……お前如きに……お前如きになぁっ!」


 その言葉にも怒気が存分に含まれている。

 

 ……いや……その声はもはや、呪詛のそれと言って良かった。


 そしてそれは、べべブルがゼルから引き出したかった“素の”感情だった。

 ただし……同時にそれは、虎の尾を踏む行為となったのだが。


 ゼルの姿が再び……消える。

 その様子は、先程と然して変わらない。

 変わったのは……。

 一切の気配が……いや、その存在さえも掻き消えたかの様に掴めない事だった。


「ば……馬鹿なっ! 何処にも奴の存在を……掴めないだらっ!?」


 30体に及ぶ分け身も、それぞれ空間を探る様にその場で動きを見せる。

 今までは見えない……感づかないと言うだけで、実体はそこに在ると確信出来ていた。

 事実それで、ゼルに攻撃を当てる事が出来ていたのだ。

 しかし今は、その微かな気配……存在……それらが一向に感じられない。

 いや……そこにいるのかどうかさえも確信が持てなくなるほどであったのだ。


 そんなべべブルの驚愕を嘲笑う様に、数体の分け身が同時に弾け飛ぶ。

 それでも、その周囲の分け身たちはゼルの気配を感じる事が出来なかった。


 今や……ゼルは本当に「姿を消した」のであった。


「……この技を見せるのは……本当に久しぶりだぜぇ……。なんせ、エルス達にさえ見せた事の無い、俺の取って置きだからなぁ」


 ゼルの声音には、べべブルを見下している要素は含まれていない。

 侮っても、蔑んでもいない。

 ただ只管に、怒りと憎悪だけが込められていた。


 数体の分け身が殆ど同時に霧散させられ、べべブルはそれでも新たな分け身を発現させる。

 だが、ゼルの居場所はようとして知れない。

 それでも、べべブルに焦りの色は全く無かった。

 何故ならば……。

 最後に狙う標的を、彼は明確に理解していたからだ。


 そして。


 その“刻”はやって来た。


 べべブルの脇腹に、強烈な傷みが走る。

 言うまでもなくこれは、ゼルの攻撃によるものだ。

 ここまで至近距離に近づいていると言うのに、べべブルにはゼルの気配……その影を感じる事さえ出来ない。

 しかしこの瞬間こそが、べべブルの待ち望んでいたものだった。


「……本当に……なんて奴だら……。こうやって腕を掴んでいても……お前ぇの“存在”を感じる事が……出来ねぇだら……」


 べべブルの傷を受けた場所、それは……所謂人体の急所だ。

 即死には至らずも、すぐにそれと同じ状態が待っている。


「んだども……これで終わりだらぁ……」


 見えないゼルから漸く、驚きを表す気配が感じられた。

 べべブルにはそれで……十分だった。

 

 べべブルの脳裏に、様々な想いが蘇り。

 彼はそれだけで、満足の行く気分になっていた。

 ゼルが最後に何かを叫んだようにも聞こえていたが。

 自らの身体を自爆させたべべブルには、もう何も聞こえなかった。





 べべブルの去った方角より巨大な爆発音が鳴り響き、リリスの身体を震わせる。


 ――――べべブルッ! あなたまでっ!


 吐血し、片膝を付いてさえ術の行使を弱めないリリスの思考に、新たな感覚が流れ込んで来た。

 それでもリリスは気丈に……そして断固たる思いで、術を維持し続けたのだった。

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