魔王城の戦い ― 9分前 ―
べべブルとゼルの戦いは、静かに……そして姿も見せずに繰り広げられていた。
彼等の辿り着いた場所は、分厚い石の積み重なった壁が周囲を覆う、窓の無い部屋だった。
その壁に等間隔で据え付けられている燭台には、弱々しい炎を湛える蝋燭が灯っていた。
お世辞にも明るいと言えないその部屋で、ただ剣と剣が打ち鳴らす音のみが響いている。
「……こんな所で戦おうなんてなぁ……場所選択を誤ったんじゃあないのかぁ?」
そんな暗闇から時折、ゼルの声が発せられる。
それは如何にもべべブルを馬鹿にしたような……蔑んだ様な台詞だ。
そして事実、ゼルはべべブルを馬鹿にしていた。
いや……格下に見ようとしていたのかもしれない。
「……よくもまぁ、喋る男だらな……。そう言っていないと、自分の立場が明確に出来ないだらか?」
ゼルの小馬鹿にした物言いを気にした様子もなく、べべブルからは冷静そのものの声が返って来る。
それがゼルには、やはり気に入らなかった。
その様に会話しながらも、そして姿を闇に溶け込ませつつも、双方は的確に相手の位置を探り当て攻撃し、また躱していた。
闇より聞こえるのは、二人の発する声と剣が空を切る音だけだ。
「ちぃ……顔に似合わず、弁だけは立つようだなぁ……。そんな奴の末路は、だいたい決まってるってぇ……のっ!」
そして初めて、剣が衣服を切り裂く音が発せられる。
「……ふん」
それにも、べべブルが焦りの色を浮かべた様子は無かった。
彼にしてみれば、明らかに格上の相手なのだ。
攻撃を受ける事は無いなど……全くの無傷で居られるなどとは微塵も考えていない。
「冷静……を装ってる声だなぁ……。けど、その落ち着きがいつまで……」
「どうせ、刃に毒でも塗ってるんだら? だども俺に、毒の類は効かないだら」
互いに相対する位置で姿を現し、ゼルの勝ち誇った声にべべブルの言葉が覆い被さった。
「な……に……?」
「下らないだらなぁ……この皮膚がピリつく感じは、麻痺系の毒だらか? どうせ、相手を動けなくして
べべブルに、完全に思惑を見透かされたゼルが歯噛みする。
そこには、先程まで無理に作っていた余裕など……ない。
「本っ当に……腐ってやがるだらなぁ……。一体、どれ程妬めば気が済むんだら。どうせお前ぇは、仲間達でさえ引きずり降ろそうって考えてるんだら? 自分の……立ってる所まで……なぁ」
べべブルの、自分の経験から来る言葉を受けてゼルは……その瞳に昏く冷たい光を宿し出したのだった。
「水の守護者、蒼く偉大な王、青龍に申し上げるっ! 偉大なお力の一端を我に貸し与えよっ! 願わくば、彼の敵を討ち滅ぼす刃となれっ!
朗々と呪文を唱え終えたリリスの魔法が発現する。
「……へぇ……やるじゃないか。竜神の片鱗を扱えるのか……」
アルナはリリスの前面に出現した青白く胴の長い巨大な生物……蒼き竜と対峙しながら、感嘆の声を溢した。
リリスが魔術で顕現したのは、先に相対した王龍ジェナザードを模した、それよりも二回りほど小さい竜だ。
体全体が青く見えるのは、その身体を構成する殆どが水であるからだった。
アルナの言う“竜神の片鱗”とは、精霊界で概念として存在している“精霊神”が振りまく息吹……力の欠片である。
その姿を確認した者はいない“精霊神”は、無作為に膨大な精霊力を振りまいている……と思われている。
それを利用する事は不可能では無いが、姿形が存在していない者に使役も出来ず協力も懇願できない。
精霊魔法では、“精霊神”の力を利用する事は不可能だった。
ただし、魔力で形を作り、そこにその力を融合させて行使する事は出来る。
もっとも、魔法使いとしての高い技能と、精霊魔法に対する深い造詣が無ければ不可能なのだ。
「でもな……その魔法……ちゃんと攻撃力を持ってるんだろうな?」
アルナは、やや小馬鹿にしたような言い様でリリスにそう言った。
ただ、当のリリスは術に集中するあまり、アルナの言葉など入ってきていないのだが。
ただ単に“竜神の片鱗”を利用するだけでは魔法としての強い効果を望めない。
どれだけの量を流用し魔法として使用出来るか。
この複雑かつ面倒なプロセス故に、誰もわざわざ“竜神の片鱗”を使おうとは考えないのだが。
アルナの問い掛けに答える事無く、半ばトランス状態に近いリリスは、まるで祈祷師の様に踊るような身振りで蒼龍を操る。
彼女の動きに合わせて、蒼龍は大きく上昇したかと思うと、天井付近で急激に角度を変え、急直下でアルナへと襲い掛かったのだった。
「ぐ……ぐぅ……」
極大の防御障壁を展開してこれを受けるアルナは、先程までの余裕はどこへやら、苦悶の表情で耐えていた。
アルナの防御障壁と、リリスの蒼龍が激しい攻防を展開し、その接点では激しい魔力光が発していたのだった。
そして静かに……半ば意識を保てていないリリスは、それでも次の一手を行使すべく準備を始めていたのだった。
「むうっ!?」
「こ……これはっ!?」
これまで、ただお互いだけを見つめて無心に剣を振るっていたアスタルとシェラだったが、強烈な波動……空気を震わす激突の様な物を感じ、その動きを暫時止めてしまっていた。
方角からして、それはアルナとリリスがいる場所である事は分かった。
しかしどの様な事が起こりその様な現象が起きているのか、今の2人に知る術はない。
ただシェラはここに来て、アルナを置いて来た事に懸念と後悔を抱いていたのだった。
「……これまでだ」
意識の手綱を取り戻したシェラは、再びアスタルへと向き直るとそう口にした。
それを聞いてもアスタルは、一向に緊張感を解こうとはしない。
シェラの言う「これまで」と言う言葉が、戦いを切り上げる事では無く、決着をつけると言う意味に他ならない事を知っているからだ。
「残念ながら、お主の思い通りにはいかぬよ」
そしてアスタルは、シェラの言葉に対して真っ向から否定の意を示した。
シェラの眉が僅かに跳ね上がる。
「……良いだろう。では、その身にも分かる様にしてやろう」
シェラが再び剣を構える。
そしてアスタルは、それに応える様に剣を打ち込んだ。
シェラの動きが変わる。
いままよりも数段早い動きで、アスタルの剣を受けるのではなく躱して、彼の側面へと回り込んだ。
彼女は今まで、何も手を抜いていた訳では無い。
いや……もしかすれば己の楽しみを優先する余り、無意識に手加減していたかもしれないが、シェラ自身にはその様な意識は無かった。
ここまで、楽しい……と感じる事の出来る打ち合いをして来たのだ。
それをもっと続けていたいと感じたとしても、それで彼女を責める様な事は出来ないだろう。
もっとも。
命を懸けた“殺し合い”を繰り広げている最中に、“楽しい”と感じる事自体が度し難いとしか言えないのだが。
兎に角、アルナのいる方角に異変を感じて、シェラのギアが切り替わったのは確かだ。
集中を高めたのか身体能力を向上させたのか。
その動きは紛う事の無い、“極戦士”シェラのものであった。
「むおおっ!」
側面に回り込んだシェラから、無造作とも言える一撃が振り下ろされる。
そうは言っても、その攻撃は恐るべき速度と威力を有していた。
辛うじてそれに対応出来たアスタルは、全力を以てその攻撃を受け止める事しか出来なかった。
「……ほう」
そこにシェラの、感嘆を込めた声が洩れ出される。
先程とは違う攻撃だと言う事は、誰よりもシェラ自身が知っている。
ただ敵を殺す為だけに放った一撃なのだ。
これまで、その一撃を無傷で切り抜けた者など数える程しか存在していななかった。
それを考えれば、シェラが思わずその様な声を洩らすのもまた、仕方の無い事であった。
だがそれで、シェラが攻撃を引く……と言う事は無い。
二撃……三撃……四撃……。
アスタルの防御など意にも介さず、シェラはあらゆる角度から、そして彼の持つ剣ごとアスタルの身体を斬り裂こうと攻撃を繰り出した。
重く……速く……。
正しく強烈にして凶悪な剣に、アスタルは大きく後退を余儀なくされたのだった。
彼の予想に反して、シェラからの追撃は無かった。
そしてそれにより、アスタルにも覚悟と……準備の時間が齎される。
「……お名前を聞いておりませんでしたな」
静かに……重い声がアスタルより発せられる。
その尋常で無い雰囲気を感じ取ったシェラは、態勢を整えてアスタルに向け剣を構え直す。
「シェラ……アキントスだ」
彼女の返答に、アスタルは小さく頭を下げて謝意を示した。
「……かたじけない……私はアスタル。魔王軍3将軍が一角。……参る」
言葉だけを聞けば落ち着いた風情を感じさせるアスタルだったが、シェラへと剣を構え一歩踏み出した彼の顔には、死相を孕んだ決意の表情が湛えられていた。
そして彼の全身からは……赤い湯気の様な……
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