魔王城の戦い ― 分割 ―

 アルナの言葉が……その身体から発せられる殺気が魔王の間を埋める。

 それにはさしものアスタルやべべブル、リリスは勿論、シェラやゼルでさえも口をつぐんでしまったのだった。

 

「エルスは……魔族に取り付かれているだけだっ! 魔王の妄執に心を奪われてしまっただけなのだっ! 私は……そこから彼を……エルスを解き放ってみせるっ!」


 語気は荒いものの、アルナはその内にあるエルスへの想いを声高に口にした。

 それを聞いたゼルは不思議そうな表情を浮かべている。どうにもアルナの心情が理解出来ない様だった。

 ただシェラは……彼女は、アルナの想いに気付いていた……いや、以前の彼女ならばそう考えているだろうと知っていたのだ。

 もっとも、最近のアルナの行動や言動は、到底そうは思わせないものだったのだが。


「……エルス……? 勇者……エルスか? あの悪名高い勇者が、魔王を名乗ったと言うのかっ!?」


 わざとらしく……と言う程白々しい物言いでは無かった。

 アスタルは、改めて勇者エルスの数奇な運命を鑑みて驚くと共に可笑しくなったのだった。

 

「そいつはいいだらっ! 勇者エルスがここへ来るっつーんなら、俺等の配下に加えてやってもいいだらっ!」


 べべブルもアスタルに便乗し、どこか卑下した様な言い方をわざと使って笑った。


「そうですね。勿論、まずは償いを済ませてから……と言う事になりますが。戦力「だけ」は、魅力的ですから」


 殊更に「だけ」と言う部分を強調して、リリスはその様に賛同するとやはり口元に手を当てて笑い声をあげた。

 なまじ美人なだけに、厭らしい表情を作ったその笑いは、誰が向けられても気分を害するだろう。


「黙れっ! と言っただろうっ! お前達っ!」


 そしてアルナも、大いに激高したのだった。

 既にその殺意を隠そうともせず、目を吊り上げてアスタル達を睨みつけている。

 ただしアルナの殺気を向けられても尚、アスタル達に動じた気配はない。


「……シェラ……殺せ」


 大きく息を吐きだして幾分冷静さを取り戻したアルナは、静かに傍らで控えていたシェラにそう命令した。

 静かに……とは、何も落ち着きを取り戻した訳では無い。

 それどころかその声音は深く、重く、冷たく、鋭く……。

 この世の呪詛を全て内包したかのような声だった。

 その余りの迫力に、シェラでさえも気圧されそうになったものの、それで動きを阻害されると言う事は無かった。


 シェラが腰に差した剣を引き抜いたと同時に、アスタルが彼女へと急襲して一撃を振り下ろした。

 やや不意打ちの感があるアスタルの攻撃だったが、それでもシェラは危なげない動作であっさりと受け止めたのだった。

 アルナはとゼルはその一連の攻防を見て、明らかに見下したような笑みを浮かべた。


「ふん……薄汚い魔族風情にはお似合いの攻撃だな。初めにシェラを狙うと言うのも、分を弁えぬ屑らしさだ」


 言葉にこれ以上ないと言う侮蔑を込めて、アルナがアスタル達にそう言い放つ。

 

 もっとも……実際は「あっさりと」と言うだけでは無かったのだが。


 完全に格下と見ていたアスタルの斬撃は、殊の外鋭く重かった。

 シェラはその事に、最初は意外感と驚きを……そして次の瞬間には期待感を抱いた表情を浮かべたのだった。

 

「……面白いな……お前」


 剣を合わせた状態で押し合いながら、シェラは自分の表情が緩む事を抑えられなかった。

 一合打ち合った感想で言えば、技量ではシェラがアスタルを大きく上回っている。彼女は即座に、その事を正確に見抜いていた。

 ただ、アスタルはまだ力を全て見せていない。

 その事もシェラは感じ取っていた。

 

 シェラとまともに打ち合える様な相手は、エルスとカナンぐらいしか彼女は知らない。

 そんな現状に、彼女は内心、興味索然としていたのだった。

 彼女の本意は、アルナを守り抜く事。

 その事を今まで、僅かな時間も忘れた事など無かった。

 ただ……戦士としての自分も存在しており、その自分が強者を求めているのだ。

 今の彼女の望みは、アルナを護ると言う事を除けば、エルスかカナン……若しくは自身と同程度の力量を持つ者と、命を賭して心行くまで戦いたいと言う事だった。


 そんな望みを叶えてくれるかもしれない存在が現れたのだ。

 シェラが心の内でフツフツと闘気をたぎらせるのも致し方ない事だった。

 

 そしてそれは、アスタルも同じであった。

 剣を交わらせた瞬間、彼は悟っていた。

 

 ―――この者が、俺の人生に最高の終幕を齎してくれる……と。


 元より武人肌のアスタルは、“極戦士”の異名の通り戦士を極めたシェラに、自分の矜持と似通ったものを感じ取っていたのだ。


「……こっちへ来い」


 剣を引いたアスタルは、スタスタと部屋の右手にある扉へと進んで行った。

 その隙だらけな後ろ姿は、明らかにシェラを誘っている。


「……本当に……面白い」


 それがアスタルの思惑だと、シェラも気付いている。

 罠などは警戒していない。アスタルの為人ひととなりが、そんな物に頼らないと語っている。

 ただし、何かしらの意思を以て、シェラをどこかへ連れてゆこうとしているのだ。

 そしてシェラは、それを知りたいと考えていた。


 彼女にしては珍しく……と言うよりも恐らくは初めて、アルナに許可を求める事無くアスタルに付いて行ったのだった。




「……ちっ……シェラの奴め。仕方がない……ゼル。残りをお前が片付けろ」


 アルナの命令が、今度はゼルへと飛んだ。

 その言葉に、ゼルはピクリと眉を動かし、一瞬未満の間だけ不快な表情をした。

 しかし再びいつものアルカイックスマイルに戻したゼルは、愛刀を構えてべべブルとリリスに向かい合った……のだが。


「……お前……醜い奴だらな……」


 直後にべべブルより投げ掛けられた言葉に、ゼルの動きが止められてしまった。

 

「……ああ? 醜いのはお前の方だろうが」


 やや苛立ちを募らせたドスの聞いた声で、ゼルがべべブルへと返事をする。

 いつも何処か斜に構え、何事につけて怠惰な動きを見せる彼は、自分以外の事には無関心である様だった。


 少なくとも彼は、誰に対してもその“本心”を見せようとはしなかった。


 それが今は、べべブルに対する敵愾心を隠そうともしていない。

 それにはアルナも、少なからず意外感を露わにしていた。

 そんなゼルに、べべブルは明らかなせせら笑いを浮かべている。


「……お前……馬鹿だらな? 俺の言ってるのは、何も容姿の事じゃあないだら。お前の心の事を話してるだら」


 普段のゼルならば、その様に安っぽい言葉を挑発とは取らないだろう。

 それでも今の彼に、べべブルの言を無視する事など出来なかった。

 もっとも……べべブルはそれを瞬時に見抜いて、そう舌戦を仕掛けたのだが。


 アルナの命令を受けた時に見せた、ゼルの表情……。


 それに、べべブルも見覚えがあった。

 それは当然の事だ。

 彼もまた、その様な表情を少なくない頻度で浮かべていたのだから。


 べべブルは、周囲の者よりその容姿のお蔭で、何かにつけて見下されながら過ごして来た。

 幼少の頃より始まり、それは魔王軍に入隊しても無くなる事は無かった。

 高い地位に付き、面と向かって卑下される様な事は無くなっても、相手が内心でどう考えているのかが分かっていたのだ。


 いや……そう思い込んでいた。


 自分以外の人間を信じられずに、相手が常に自分を蔑んでいると信じて疑っていなかった。

 その時の自分と目の前のゼルが、べべブルには重なって見えたのだ。


「……貴様……殺してやるよ」


 殺気を漲らせて、ゼルが死の宣告を口にした。

 それを受けたべべブルは、然して動じた素振りも見せず涼しい表情をしていた。

 まるで……出来るものならばやってみろ……とでも言っている様である。


 いや……ゼルは間違いなくそう受け取った様だ。


 ゼルがべべブルへと飛び掛かる。

 だがべべブルは、その攻撃を大きく横に跳び退いて躱したのだった。

 べべブルはそのまま、部屋の左にある扉へと向かって走り出した。

 ゼルは、まさか自分の攻撃を躱されるなど想像していなかったのだろう、暫しの間動きが止まってしまっていた。

 呆然自失の表情を浮かべていたのは僅かの間、即座に怒気に顔を赤らめたゼルがべべブルを追おうと動き出す。


「ゼル……追うな。そんな必要はない」


 その動きを察したアルナが、すぐにそう指示を出すも。


「う……うるせぇっ! 俺は奴を殺すんだっ! 命令するんじゃねぇっ!」


 子供の様に喚き声を上げて、ゼルはアルナの命に従う事無く駈け出していた。

 べべブルはそれを待っていたかのように、ゼルの動きを確認すると扉を開けて外へと駈け出していった。


「……ゼルの馬鹿め……」


 これにはアルナも、大きな溜息を吐いてそう零すしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る