ファウスト

 アスタル達が、来訪するアルナ達を迎撃すると再確認したその晩……。


 魔王城では、盛大と言って良い晩餐会が催されていた。

 当然、戦いに赴く事となるアスタル達を励ます夜会なのだが、これは……。


 ―――魔王城自体の“閉幕式”も兼ねていた。


 今回の作戦で、エルスやエルナーシャを含めた「居残り組」は、新たに竣工した新魔王城「隠れの宮」へと移り住む。

 当たり前の話だが、今まで暮らして来たこの魔王城を移動させる事など出来ず、このまま破棄される予定ではある。


 ただし、全くの放置……と言う訳では無い。


 この魔王城自体を、アルナ達を誘き寄せる「エサ」として維持し、彼女達が襲来した暁には最前線基地として迎え撃つ算段なのだ。

 

 そして、この巨大な魔王城にアスタル達3人だけ……と言うのでは、余りにも不自然だ。

 彼等の他にも、一般兵凡そ100人が徴兵された。

 全員……志願兵だ。

 それでも少ないと言って良い人数だが、それ以上の人数は割けない。

 今後、魔族が魔界を運営して行く上で、人員は多いに越した事は無いのだから。


 そして今夜の夜会は、そんな兵達の……別れの杯を交わす場でもあった。


 大広間を広く開放し、この城に詰める者全てが集い、既に思い思いの杯を傾けている。

 その中にはアスタル達も当然、エルス達も加わっていた。

 人界の貴族が開く儀礼を重んじる様なパーティなどでは無く、無礼講……ざっくばらんな雰囲気により、喧騒が大広間を支配していた。

 そんな“宴”を盛り上げたのは、シェキーナ、リリス、レヴィア、アエッタと言った重職に就く女性陣による手料理だった。

 もっともメルルは“呑み”に徹しており、こちらの方へは参加しなかったのだが。

 勿論、彼女達だけでその場に集う者達の全ての胃袋を満足させる事は出来ず、城仕えのメイドが総動員で給仕に勤しんでいた。

 夜会は深夜を超えても治まる様子を見せず、結局明け方まで続いたのだった。




「……お呼びですか? メルル様」


 宴もたけなわを迎えた頃……。

 メルルはアスタル、べべブル、リリスを私室へと呼び寄せていた。

 ある意味で夜会の主役がこぞって抜け出す等、本来ならばあってはならない。

 それに気付く者が、少なからず現れる事は容易に想像出来るからだ。

 事実、一般兵の中にも十数人、そしてエルスやシェキーナ、カナンと言った主だったものも気付いていた。

 因みに、エルナーシャは夜会には参加しておらず、既に眠っている。

 

「……ああ、よー来たな。ウチ等は明日早々にも此処を発つからな―――……忘れん内にこれを渡しとこう思ってな」


 執務机に備え付けられた椅子に深く腰掛けたメルルが、机に両肘を付き組んだ手を口元に当ててそう答えた。

 室内に灯りは灯っておらず、唯一の光源は大きな窓より差し込む月灯りだけだ。

 それでも十分な視界を保つ事が出来ていたが、窓を背にしたメルルの顔は暗く翳り、肝心の表情は一向に伺えない。


 ただ……彼女の掛けた眼鏡だけが、黒く縁取られた彼女のシルエットの中で……不気味に光り輝いている。

 そしてその机には、3本のガラス容器に入れられた液体が、不思議な色を月明りに浮かび上がらせている。


「……メルル様……これはなんだら……?」


 3人の中で最も夜目の聞くべべブルが、メルルの前に並べられたガラス瓶を食い入るように見つめている。

 

「これか……? これはなぁ―――……劇薬や」


 3人は例外なく、黒く塗りつぶされたメルルの顔がニヤリ……と笑いを浮かべている姿を想像していた。

 彼女の声音が、正しく悪だくみをしていると言っていたのだ。


「劇薬と言いますと―――毒か何かでしょうか―――?」


 ただしこれでは余りにも説明不足。さしもの彼等とて、これだけでは理解出来よう筈も無い。

 メルルの言葉から想像出来る答えを、リリスが探る様に発した。


「毒薬……やな―――。もっとも、これは相手に使う毒やない……あんた等が飲むんや」


 黒のメルルが、その表情を悟らせぬままに話を続ける。

 その話す内容から、アスタル達にはメルルの姿が悪魔の様に見えだしていた。

 そして彼女の持ちかける話は、悪魔との取引ファウスト……と思わせるような方向へと傾いている。

 

「私達に……この場で服毒して死ね……と……?」


 アスタルには未だ話の先が見えていない。

 いや、3人にもメルルが何を言いたいのかが分からなかった。

 今更メルルが、3人に向けて自害しろなどと言う訳がない。

 そうしたいならば実力行使でいつでも彼等を亡き者に出来たし、このタイミングで死を勧める意味も不明なのだ。


「……死ね……ゆーてるんと同じやわな―――……けど、それは今、この場でやない」


 ガラス瓶の1本を手に取り、それをユラユラと振って中の液体を弄ぶメルル。

 僅かに体を横にした事で、月明りに照らされたメルルの横顔が漸く3人にも伺えるようになった。

 そして3人は3人共にハッと息を呑んだ。

 彼女の瞳に湛えられている光が、余りにも悲しそうだったからだ。


「これはなぁ……先日開発に成功したばっかりの新薬や。効果は……能力の強制的な底上げや。……これを呑んだ者は自分が元来持っとる能力を大きく上回る力を、短時間やけど無理やり引き出す事が出来るっちゅー代物や」


 コトリ……と音を立てて、メルルは持っていた瓶を再び机の上に戻した。

 そしてアスタル達3人は、息を呑んでその瓶を凝視していた。

 

 今、メルルが話した内容は、それだけ聞けば魅惑の……喉から手が出るほど欲しいアイテムである。

 ただし世の中に、それ程都合のよい物等中々存在しないのも事実だ。

 メルルが「毒薬」と言った以上、それに見合った反作用が必ず齎される事を、アスタル達は察していた。


「……気―――ついたか? これを飲んだら、めっちゃ力が出せる代わりにその後間違いなく……死ぬ。これはそう言った代物や」


 再び窓に背を向けたメルルの表情は、またもや黒い闇の中へと溶け込んでいた。

 そしてメルルの提案は正しく悪魔との契約に他ならない。

 強大な力と引き換えに、魂を差し出せと言うのだ。

 そしてメルルが、昼の会議の場でこの事を言わなかった事、アスタル達3人だけをこの場に呼び寄せた理由が、彼等にも漸く理解出来たのだった。


 この様なアイテム等、例えアスタル達が望んだのだとしても、エルスが賛成するわけなど無い。

 それこそ、その薬を使うのならば自分達が前へ出て戦うと言い出しかねない。

 そうなれば、この作戦自体が瓦解してしまう。

 エルス達が“隠れの宮”へと発つ直前……このタイミングでしか、この薬の受け渡しは出来ないのだ。


「飲む……飲まんはあんた等の判断に任せる。効果時間は、その能力をどんだけ引き出したかで変わるけど……一刻位2時間は持つやろ。……っちゅーても、引き出した力に振り回されて、時間前に死ぬかもしれんけどな―――……」


 3人はゆっくりと歩を進めて、メルルの前に並べられた瓶を各々手に取った。

 それだけメルルに近づいていると言うのに、3人にはやはりメルルの表情を窺う事が出来なかった。


「……ありがとうございます、メルル様。これで奴らに一泡吹かせてやる事が出来そうです」


 アスタル達の表情に、迷いなど一欠けらも浮かんでいなかった。

 元より圧倒的に格上な相手との戦闘なのだ。

 こちらに犠牲無くして、どうして立ち向かう事など出来よう。

 

「……それから……この城の新しい仕掛けについても説明しとくわ」


「魔王城の……新しい仕掛け……ですか?」


 この事もまた、アスタル達には初耳であった。

 この城を枕に討ち死に……。最悪はそう考えていたのだ。

 いや……戦いとなれば、間違いなくそうなるであろうが。

 此処は魔界を統べる魔王の巨城「魔王城」である。

 それは単なる城には留まらず、強固な要塞の役目も果たしていた。

 事実、エルス達が前魔王を討伐に訪れた際、内部に仕掛けられた様々な技巧ギミックに彼等も手を焼いたものだった。

 ただし、結局はそのどれもがエルス達を足止めする役割を果たせず、魔王の間への突破を許しているのだが。

 アスタル達にしてみれば、仕掛けとは以前からある妨害装置の事だと思っていたのだ。


「そや……取って置きの“秘策”ってやつや」


 そうしてメルルは、アスタル達にその概要を説明した。

 アスタル達はメルルの話す内容を、驚きでも恐怖でもなく、感心を以て聞いていた。

 もっとも話の内容からしてみれば、その様に聞き入れられたのはアスタル達だからこそ……なのだが。


「……なるほど……流石はメルル様。それならば間違いなく、彼奴等を退ける事が出来ましょうな」


 話を聞き終えたアスタルが、満面の笑みを浮かべてそう答えた。

 べべブル、リリスもアスタルの言に頷いて答えている。

 寧ろ驚きの表情……だと思われる気配を醸し出していたのはメルルの方だった。


「……話は以上や。……あんた等の奮戦を祈るわ」


 その言葉で、この場での話は終了となった。

 アスタル達はメルルに一礼すると、確りとした足取りで部屋を後にした。

 そして彼等は、最後までメルルの表情を窺い知る事は出来なかったのだった。


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