刻……来たれり

 月日の経つのは本当に早い。

 それが数か月ともなれば尚更だ。


 アルナ達が魔界侵攻を取り決めたと言う情報を得てより、更に2ヶ月が経とうとしていた。

 ここ最近では連日、メルルによる占いが行われ、アルナ達が今いる大まかな位置が探られていた。

 既に人界の極大陸へと上陸しているであろうアルナ達の同行を探る手段は、既に無くなっていたのだ。

 それでも、高い的中率を誇るメルルの占いである。

 それを基に、アルナ達が魔界へと降り立つであろう日時に目星を付けていたのだった。

 そしてそれも、いよいよ1週間以内との結果が出れば、俄かに慌ただしく且つピリピリとした空気に包まれる事もまた、仕方の無い事であった。





「おおっ! エルナ様っ! また腕が上がっておりますぞっ!」


 先程からアスタルは、エルナーシャの剣の相手をしていた。

 勿論、本格的な剣術の修行と言う訳では無い。

 紙を丸めて作った棒を使い、エルナーシャに剣術の真似事をさせていたに過ぎなかった。

 それでもエルナーシャの太刀筋は、到底生後5か月の赤ん坊が繰り出せるものでは無いのも事実だった。

 

 エルナーシャの成長は尋常では無く、もうヨチヨチ歩きとは言えない、確りとした足取りで動き回る様になっていたのだ。

 

「えっへっへ―――」


 更には言葉もハッキリとし、周囲の者が言っている事をかなり正確に理解出来るようにもなったいた。

 今も、アスタルの誉め言葉が嬉しかったのか、エルナーシャは顔を赤らめて振るう剣 (丸めた紙)に力を込めている。

 実際に、エルナーシャの剣の腕前は“真似事”と言うには鋭く、その手の才能に適性がある事を伺わせている。


「凄いだら、エルナ様。こら―――将来が楽しみだら」


 べべブルがアスタルの言葉に相槌を打つようにそう続けた。

 心底感心していると言ったべべブルは、その眼を眇めて……まるで眩しいものでも見るかのようにエルナーシャを見つめていた。

 そんな視線が恥ずかしいのか、エルナーシャの顔は更に赤くなっていた。


「もしもエルナ様が―――魔王様になられたなら―――歴代魔王様よりも凄い魔王様になれるかもしれませんね―――」


 リリスもまた、エルナーシャを嬉しそうに見つめながらそう言った。

 子供とは、褒めれば褒める程調子に乗るものだ。

 それも……良い方に。

 空回りさえしなければ、褒められた事に子供はやる気を出す。


「エルナ、まおうさまになるよっ! ぜったいっ!」


 そしてエルナーシャもまた、周囲の言葉に乗せられて、良い方向に力を付けていたのだった。


「アスタル様……べべブル様……リリス様……。会議が行われるとの事です……」


 そんなアスタル達に、部屋へと訪れたレヴィアがそう報告した。


「……分かった」


 先程までの、到底魔界3魔将とは思えない表情を改め、3人はやや厳しい顔つきで部屋を出ようとするも。


「あすたる―――また“おとうさん”たちとおはなし―――? エルナもいっしょにいく―――」


 エルナーシャが背後から彼等を呼び止めた。

 普段の話し合い……それ程深刻な会議で無ければ、大抵の場合エルナーシャも同席している。

 しかし今回は……彼女を同席させる訳にはいかない。

 話の内容を聞かせる訳にはいかなかったのだ。


「エルナ様。すぐに戻ってまいります故、また剣の稽古をいたしましょう。それまで……待っていてください」


 エルナーシャと視線を合わせる為、アスタルがひざまずいてそう答える。

 

 ……分かる者には、アスタルの表情に浮かんでいる苦悩が読み取れたかもしれない。

 

 だがエルナーシャは生後5か月……現在は3歳児相当と思われるが、それでも幼いと言って良い。

 そんな彼女が、大人の醸し出す機微を見抜くなど出来よう筈も無かった。


「……うんっ! エルナ、まってるっ!」


 エルナーシャは満面の笑みでそう答えてアスタル達を見送ったのだった。




「……アルナ達がもうすぐこの魔界に来る……。ウチの占いやと……もう1週間もあらへん」


 会議冒頭、メルルは勿体ぶる素振りも見せずに、単刀直入に切り出した。

 その言葉を聞いてアスタル、べべブル、リリスの身体に緊張が走る。

 しかしそれは、恐怖からではなく。

 出陣を前にした、武者震いの様なものであった。


「もう一回ゆーとく。今回ウチ等……エルス、シェキーナ、カナン、ウチは、アルナ迎撃には出ていかん。ウチ等は“隠れの宮”で、今回をやり過ごす算段や」


 メルルが淡々と、冷たさも含ませて話を進めて行く。

 ただしその冷たさにも、僅かに憂いが含まれている事をその場の全員が気付いていた。

 

 作戦を立てたとはいえ、メルルとて鬼ではない。

 アスタル達に親近感を覚えてもいたし、この5か月に及ぶ魔界での生活は彼女にとっても楽しかった。

 それでも……いや、だからこそ……である。

 誰かが非情な通告をしなければならないのだとしたら、それは作戦を立案したメルル以外にいないのだ。

 

「今回、アルナ達と戦うんはアスタル、べべブル、リリスや。完全に格上の相手や。最初から全力で、出し惜しみせんと掛からんかったら……何もせん内に……死ぬで―――」


 アスタル達だけではない。

 エルスやシェキーナ、カナンからも緊張感が発せられた。


 ―――“死”と言うワードによって……。


「……心得ております、メルル様。我等3魔将、魔界を預かる者として、恥ずかしくない戦いをご覧入れましょう」


 力強いアスタルの答えに、メルルも強く頷いて答えた。

 これらの事は、既に最初から決まっていた事だ。

 今話し合われている事は、所謂最終確認以外に他ならない。

 

 だが時間は、人の心情に揺さぶりをかける……。


「……なぁ、メルル……。俺達も何か……援護出来ないのか?」


 ここに来て……エルスがそう提案をした。

 何の追加案を出す事も無く、ただ漠然とそう口にしただけのエルスへと、周囲の眼が全て集まった。

 実際の処、メルルは兎も角シェキーナやカナンでさえ少なからずそんな想いに駆られている……彼女達の視線はそう物語っていた。


「過大な仁慈じんじの施し、誠に有難く存じます。ですが……過度な憐憫れんびんは無用に願います」


 エルスの申し出に、強く反対の弁を述べたのは誰あろうアスタルであった。

 そしてべべブル、リリス共に、彼の意見に強く頷き賛同していた。

 拒否を露わとするアスタル達に、エルス達の方が驚きの表情を浮かべていた。


 アスタル達の出陣は、紛う事無く死出の片道切符である。

 

 それが分かって居て尚、彼等はエルスの言に反発するどころか、その声音には怒りすら含まれていた。

 その理由もまた、アスタルの言葉に言い表されていた。


 ―――憐み等不要……余計な情けは掛けないで貰いたい……と。


「しかしアスタル……アルナ達はお前達では……」


「……ふぅ―――……うるさいだらな―――……」


 それでも、なおも食い下がろうとするエルスに、べべブルが大きな溜息を吐き、普段では考えられない程の敵意をむき出しにしてそう呟いた。


「お前達は、私達の力を見くびっているようですが……これ以上の無礼は、もう許しませんよ?」


 リリスもまた怒気を滾らせ、冷たい視線でエルスを射抜いた。

 その眼には慈愛の欠片も無く、非情な炎が灯っている。


「我等の戦いにエルス……お前は不要だと言っているのだ。ここまで言われて分からぬと言うのならば、この締約も破棄とさせて頂く。お前達をこの魔界から追い払うために一戦も覚悟して頂くが……宜しいか?」


 そしてアスタルから、極大と言って良い殺意が吹き出した。

 冗談でも偽りでもない本気の殺気に、エルスは知らず汗を流していた。

 そしてそれは、その場にいるシェキーナやカナンも同様だった。


「……と言う訳で、異論もないようなので、我等はこれよりに取り掛かろうと存じます。メルル様、宜しいでしょうか?」


 フッと気を緩めたアスタルが、顔に意地の悪い笑みを浮かべてメルルへとそう問いかけた。


「……ああ、宜しゅう頼むわ―――」


 その笑みを同じく人の悪い笑みで受け取ったメルルが返答した。

 エルス達は先程のアスタル達は演技だと悟り、大きく息を吐いて椅子に座り直した。


「エルス様。先程の無礼な言、平にご容赦願いたい。しかし我等とてこの国を背負う者。そしてエルナーシャ様に忠誠を誓う者なのです。作戦を遂行する為、この命を懸ける事に何の躊躇ためらいがありましょう。それが民にまで苦労を背負わせた我等の、せめてもの責任の取り方なのです」


 アスタルは柔らかな笑みへと変えてエルスを見据えてそう言った。

 エルスの言葉は確かに、アスタル達の決意に水を注す行為だったかもしれない。

 それ以前に、未練や後悔を残しては更にその後……その先に後顧を引き摺る事となる。

 この作戦は、そう言ったものなのだ。


「エルス様。シェキーナ様、カナン様……メルル様。俺等ぁ、何も最初から敗けるなんて、これっぽっちも考えていないだら」


「私達にも―――策はあります―――。それにここは―――魔界です―――。地の利は―――私達にありますから―――」


 べべブルとリリスも、アスタルの言葉に続く。

 彼等の表情には、一切の曇りも見られない。


「……エルス……悔しいが、彼等の言う事ももっともだし……私達に出来る事は何もないようだ……」


 シェキーナが、エルスに優しく微笑みかけながらそう言った。


「そうだな。それにアスタル達の実力も、この数か月で随分上がっている。エルス、今のお前よりも……強いかもな」


 更にそう付け加えたのはカナンであった。

 ただしそれは、強ち冗談と言う訳でも無いのだが。


 エルナーシャがスクスクと成長する……と言う事は、エルスの力もまた順調に減衰していると言う事だ。

 そして今の彼は、王龍とまみえた頃よりも更に……弱くなっていた。

 勿論、未だアスタル達に後れを取ると言う事は無いものの、その“力の差”は実感できるほどに縮まっている。

 先程は協力を申し出たエルスだったが、事、彼に関して言えば……力が及ばない可能性すら孕んでいたのだった。


 シェキーナ達の言葉に納得した……等と言う事は全く無かったエルスだが、それでもその感情を抑え込み、笑顔を作って頷いたのだった。

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