災厄、胎動す

 刻の過ぎ行くは、正に光と化した矢の如し。


 エルス達がアルナ達に対して陽動作戦を行ってから、すでに2ヶ月が経過していた。

 その間、魔族軍は時間を惜しんで訓練に勤しみ、その練度は驚くほど上がっていた.

 エルス達も彼等を良く指導し、その甲斐あってか通常よりも遥かに効率よく且つ高いレベルでの演習に取り組めた事は、アスタルやリリス、べべブルにとっても有意義であった。

 

 それでも、アルナ達の相手になるかと言えば……そんな事は無かった。


 



「……みんな……悪い知らせや」


 緊急に集められたエルス達一同を前に、メルルは神妙な顔つきで重い口を開いた。

 ただそれだけで、集められた面々には話の内容に想像がつくと言うものだった。


「……アルナ達が……動いたんだろ?」


 エルスがメルルの思考を読んでそう問いかけ、メルルもまたゆっくりと頷いて肯定した。

 たったそれだけのやり取りであったにも関わらず、その場の空気に緊張感が張り巡らされていた。

 

 いつか来る……。


 来ない訳がない……。


 そんな事は、その場の全員が分かっている事であった。

 それでも、そんな日が来て欲しくない……と、誰もが思っていた事も事実だった。


「……2ヶ月……2ヶ月か……。これは早いのか? それとも遅かったのか?」


 シェキーナは真剣な顔つきで一つ小さな吐息を洩らすと、誰ともなしに問いかけた。

 もっともその表情には、どこか諦念染みたものも滲み出ているのだが。

 

「……上出来……やろな―――……。あない露骨な陽動やったら、シェラかベベルあたりがこっちの意図を勘づいとったかも知れん。それでもこんだけ時間が掛かったんは、やっぱりべべブルの行動があいつらの思考を狂わせたんやろな―――」


 不意に2か月前の事を持ち出されて、当のべべブルが顔を赤くして俯いてしまった。

 やはり彼は、褒められる事に不慣れな様であった。


「……それで? こちらの取る対策は定まっているのか? 時間が無いのなら、すぐにでも行動する必要があるな」


 次いでカナンがそう提言し、アスタルとリリスもその事に頷いた。

 明日にでも現れる……と言う訳では無いのだが、のんびりと何もせずに待つと言う訳にもいかない。


「そやな―――……。アスタル、“隠れの宮”の建造状況はどないや?」


 カナンの問い掛けに、メルルはアスタルに報告を求める。

 アスタルは深く頷くと椅子から立ち上がり、一同を見回して口を開いた。


「此処より北の真央山脈に建造中の地下宮殿ですが、現在進捗率は4割ほどと言った処です。何分、この魔王城と同じ規模の宮殿……しかも、山脈をくり貫いての大規模工事です。また、極寒の山中工事ともなれば、これは致し方ないと考えられますが……」


 アスタルの表情には、その言葉とは裏腹な苦渋の色が含まれている。

 難所に城を築くのだから、手間取っても仕方ない……等と言う言い訳は、この際通用しない事を知っているのだ。

 もしもアルナ達が魔王城を攻撃したならば、この城に立て籠る魔族共々灰燼と化すのに疑いはない。

 その為の「隠れの宮」なのだ。

 完成が遅れる様な事など、決してあってはならない。

 

「そうか―――……しゃーない、近隣の村々からも人員を徴用しぃ。事はこの魔界全てに及ぶんや。強制連行も止む無しや」


 掛けている眼鏡を冷たく光らせて、メルルが感情の籠らない声でそう指示を出した。

 アスタルも、この建設計画が最重要である事は重々承知している。


「……承知しました……」


 断腸の思いを食いしばった奥歯で噛み砕き、彼はゆっくりと頷いたのだった。


 魔界大陸を南北に隔てる極寒山脈……それが真央山脈である。

 この魔王城は、山脈の南……所謂、南大陸側に位置している。

 そしてこの魔界は、丁度人界とは真逆の気候を有しており、人界で言う所の「極点」に当たる最北端と最南端が最も酷暑となっていた。

 大陸の中央には、1年を通して決して雪が消える事の無い山脈が連なっている。

 その真央山脈だが、多くの魔族より“御神体”として崇められている。言わば、神の山として存在しているのだ。

 神の御座を思わせる神秘のベールに包まれた山脈であると同時に、その冷気で来るものを寄せ付けず、人が住む事を決して許さなかった“死の山脈”でもあった。


 逆にメルルは、その立地を利用しようと考えたのだ。

 確かに、山肌にどの様な建造物を築こうとも人が長らく暮らす事など不可能だ。

 ただしそれも、地下ならば事情が違って来る。

 今まで誰も考えつかない事を発案し、実際に実行段階まで指示を出したメルルの聡明さは、改めて一同より感心される処となったのだった。


 だが、構想と実行では天と地ほどの差がある。


 過酷な作業現場である事に変わりはなく、鍛え上げられた魔族軍の者でも少なくない犠牲が出ている。

 ましてやそこに一般人が投入されれば、死が待ち受けていると言って過言では無いのだ。

 次期魔王のエルナーシャを存続させる為に、何も知らない村人を死地に送る……。

 アスタルにとってそれは、重苦の決断と言って良かったのだった。




「……アルナ達が今から人界を発とう思ても、準備期間入れたらここまでには優に2ヶ月は掛かるやろ。ウチ等は当分、今まで通りの活動で十分や。他の策は、ウチがある程度やっとくわ」


 メルルの言葉で、その日の会議は終了となった。

 彼女の、相も変わらない非情な指示に、アスタルは何処か落ち込んでいる様にも見える。

 リリスやべべブルと言った魔族勢だけではなく、エルス達も彼の心情を慮っていた……のだが。


 刻の過ぎ行くは、正に光と化した矢の如し。


 2ヶ月と言う時間で、大きく変わった……と言うよりも、成長した者がいた。


「アウタウ―――……」


 すでにハイハイを終え、ヨチヨチと歩くまでになったエルナーシャが、付き添いのレヴィアと共に会議の終わった部屋へと入って来た。

 しかも……言葉まで発する様になっている。

 彼女がこの世に誕生して、実際は未だ3ヶ月余りしか過ぎていない。

 それにも関わらずこの成長は、驚異的と言っても過言ではない。

 もしもこれが人界の子供ならば、ハッキリ言って有り得ない。気味悪がられるレベルだ。

 そしてエルナーシャが魔族だと言う事を加味しても、余りにも早過ぎる。


「はいは―――い。アスタルおじちゃんでちゅよ―――」


 しかしその事を、この場の誰も疑問視していなかった。

 それどころか、日増しに可愛くなってゆくエルナーシャに、誰もが目じりを下げていたのだった。

 先程までの深刻な表情は何処へやら、アスタルがエルナーシャを抱き上げて“たかいたかい”をすると、エルナーシャは無邪気に笑い声をあげていた。


「……エルナーシャ様。ここに、取って置きのお菓子があるだら」


 アスタルが独占状態だったエルナーシャに、べべブルが何処から取り出したのかお菓子を見せた。


「あ―――う―――……ベェブゥ―――……」


 目敏く……とは言えない。

 目の前に、見える様に晒されては、気付かない方がおかしいのだ。

 べべブルの持つお菓子に標的を付けたエルナーシャが、アスタルの腕から離れようともがきだす。


「ぬぅっ! 卑怯だぞ、べべブルッ!」


 主の意図を渋々汲んで、アスタルがエルナーシャを床へと下ろす。

 ヒョコヒョコと歩き出したエルナーシャは、真っ直ぐにべべブルの元へと行き、嬉しそうにお菓子を受け取ったのだった。


「……何がだら? 俺ぁ、エルナーシャ様に贈り物をしただけだら」


 シレッと悪びれた様子も見せずに答えるべべブルに、アスタルは先程とは違う意味で歯噛みしていたのだった。


「まったく―――2人共―――。エルナーシャ様の―――御前ですよ―――」


 モグモグとお菓子を頬張るエルナーシャを抱き上げて、呆れたようにリリスがそう声を掛けた。


「リース―――」


 エルナーシャはリリスに目を遣り、持っていたお菓子を掲げた。


「はい―――お菓子ですね―――。良かったですね―――」


 そんなエルナーシャに、リリスはにこやかな笑みを浮かべて答えた。

 

 そして、まるでコントかと思わせる様なそんなやり取りを、エルス達は温かい目で見守っていた……と言う事にはならず。


「エ……エルナ―――。こ……こっちへおいで―――」


 シェキーナが恐々と言った態で、ゆっくりと手を差し出すも。


「キーナ……やっ!」


 エルナーシャはシェキーナの顔を見ると、そう言ってプイッとそっぽを向いたのだった。

 実はシェキーナは、先日エルナーシャを強く怒ったのだった。

 勿論、意味もなく……ではない。

 燭台の蝋燭を無闇に触ろうとした事に、彼女は怒ったのだった。

 それ自体はエルナーシャを思った、正しく教育の一環である。

 ただその事を正確に理解出来ないエルナーシャには、それ以来忌避されていたのだった。


「はっはっはっ! シェキーナは当分、エルナは抱かれへんみたいやな―――。ほら、エルナ―――メルルお姉ちゃんでちゅよ―――」


 地味にダメージを受けて落ち込むシェキーナを尻目に、今度はメルルが名乗りを上げた。

 だがその試みも、見事に失敗を見る事となる。


「……メール……」


 メルルを見たエルナーシャは、何故だか怯えた様にリリスへとしがみ付き、その豊かな胸に顔を埋めたのだった。


「な……なんでや―――っ!?」


 シェキーナよりも更にダメージを受けたメルルが、床に膝を付き両手を付いて本気で落ち込んでいた。

 理由のハッキリしているシェキーナよりも、メルルの方が受けたショックは大きかった様だ。

 

「やっぱり、お前は腹黒いからじゃないのか? 子供にはそれが分かるんだよ」


 そう言ってカナンは、至極自然な流れでリリスからエルナーシャを受け取った。

 エルナーシャもまた、然して抵抗を覚えずにカナンの腕の中に納まった……のだが。


「ワンワンッ! ワンワンッ!」


 カナンの顔の体毛を引っ張って、エルナーシャは急激にテンションを上げていた。


「……俺は……狼なんだよなぁ―――……」


 エルナーシャのその行動に、カナンもまた地味にダメージを受けていた。


 そんな仲間達のやり取りを、エルスは微笑まし気に眺めていた。

 

 アルナが動き出した事を考えれば、この様な時間が後どれくらい作れるのかは……定かではない。

 この生活が、いつまでも続くなど有り得ないのだ。


 エルスはただ、愛すべき仲間達……愛おしいこの時間を噛みしめるかのように、一人静にその様子を見つめ続けていたのだった。

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