斯くて、優しくも陽だまりの日々

 エルスと王龍ジェナザードの会話は何とも穏やかなもので、周囲の雰囲気まで和らいだものとしていた。

 肌を刺す様な雰囲気が霧散し、辺りには何とも気の抜けた……いや、至極普通の夕暮れが訪れていたのだった。

 戦いの終わりを確信したアスタルとリリス、レヴィアとエルナーシャに魔王親衛隊候補生の面々も、何時しかエルス達の周囲へと集まっていた。

 

「あれを……エルナに……?」


 エルスの眼は、先程彼が斬り折って地面に刺さったままとなっている“王龍の角”に向けられていた。

 自然と一同の眼も、そちらの方に向けられる。

 沈みゆく残り僅かな夕日を浴びて尚、その角は美しく輝きながら起立していた。


「はい。私達にはそうでもありませんが、貴方達には貴重な物なのでしょう?」


 それは王龍の言う通りだった。

 龍の骨や爪、牙や角と言った硬骨や硬角質の部位は、人が武器や防具を作るに際して極上の材料となる。

 とりわけ、古龍の角等は最上級と言う言葉でも足りない程の素材であった。

 エルナーシャへの贈り物と言うのであれば、これほどの物は他にないだろう。

 因みにエルスの持つ武器もまた、古龍の角を加工して作れらたものだった。


「……って事は、俺に会いたいってのは口実で、実際はエルナと会うつもりだったのか」


 ニッと口角を上げたエルスに、王龍もまたニヤリと笑みを浮かべ (た様に見える)答えとした。


「私共が魔界で生活する以上、新たな魔王様がどの様な方なのかを知らないでいる訳には参りません。それに、友好的な関係を早いうちに築いておくことは大切でしょう?」


 王龍の言う事は、いちいちもっともだった。

 魔王がどの様な人物なのか。

 その性格は、野心は、覇気は。

 為人ひととなりを知る事は、その地に住む者にとって重要な事だった。

 また、その人格がどうであれ、権力者と早い段階でコネクションを作っておくことは大事な事と言える。


 ただし……。


「どんな方も何も……なぁ……」


 エルスは勿論、アスタルとリリスも王龍の言葉に苦笑いを浮かべている。

 将来は兎も角として、今のエルナーシャは……未だに乳児の域を超えない。

 一体どの様な人物と育つのか、それは誰にも分からないのだ。

 それに今、エルナーシャと友好を約束した所で、それを彼女が成長した折まで覚えているとは断定できない。

 

「うっふっふ……良いのです。今の魔王様を見れば、どの様なお方となるのか窺い知れようと言うものなのですから」


 そう言って王龍は、じっとエルナーシャを……彼女の瞳を見つめた。

 エルナーシャもまた視線を逸らす様な事はせず、確りと王龍の眼を見返している。


「……綺麗な……美しい瞳です。それだけで、彼女が健やかに育っている事が分かりました。今後とも末永くお付き合いさせて頂ければ幸いですわ。魔王様が成長された暁には、こちらからごあいさつに伺います」


 そして、エルナーシャは王龍の眼鏡に適った様であった。

 王龍から知れず、優しい雰囲気が醸し出され、エルナーシャもまたそれを感じ取ったのかキャッキャとはしゃいだ声を出していたのだった。





「ところで勇者殿。貴方は中々に愉快な魔力の使い方をされていた様ですが」


 一通りの話を終え、エルス達はいよいよこの地を後にしようとしていた折、王龍が思い出した様にそう問いかけた。

 話と言うのは、龍族と魔族の在り方についてである。

 そしてそれは、改めて話し合うと言う必要のない事でもあった。

 言うなれば……再確認とでも言おうか。

 互いの住処を犯す事無く共存する。

 問題は個々で解決し、決して大きな対立とはしないと言うものであった。

 魔界と言う大自然の中では、魔族も龍族もその一部である。

 どちらが主でどちらが従と言う事は無く、ただ住み分けを徹底すると言う事だった。

 

 勿論、どの集団にも“はねっ返り”と言う者が居り、そう言った取り決めを無視したりもする。

 しかしそれに対応するのは、種族単位では無く個別で……と言う事になったのだ。

 それもまた……自然の成り行きだと捉えられたのだった。


「……ん? 魔力を使った足場の事か?」


 王龍の問い掛けに、エルスはまるで友人に答えるような返事をした。

 改めるまでもない事だが、王龍とは伝説にも謳われる程の、所謂“原初の龍”その一体である。

 神と同列視される程の存在と何とも気さくに話す様な存在は、恐らくこの世でもエルス位である。

 少なくとも、その場にいる全員がそう考えていた。


 ……実際には、あと何人か存在するのだが。


「ええ。魔法では無く体内の魔力を魔力のまま、実用に耐えうる強度で使いこなすとは非常に興味深いですわ。あれは一体……」


 この世のどんな存在よりも長く生き続けている古龍は、総じて知識への渇望を抱いている。

 王龍ジェナザードもまた、多分に漏れず興味を持ったものに対する知識欲は旺盛な様であった。


「ああ、あれは俺の師匠……いや、仲間のメルルから教わった……ってゆーか、叩き込まれたんだ」


 エルスは王龍の問い掛けに対して、然して隠す様な素振りも見せずに素直に答えた……のだが。


「……メルル……? それは……もしかすると……“マーキンス”を名乗る者……でしょうか?」


「んん? ……ああ、確かに彼女の名はメルル=マーキンスだけ……ど!?」


 暗い声で再度問いかけられた事に、エルスは何とはなしに答えていたのだが。

 みるみる雰囲気を悪くする王龍に、エルスはギョッとして言葉を詰まらせてしまった。

 どんよりとした雰囲気を醸し出し始めた王龍に、エルスもまた何と声を掛けようか迷っていた。

 ただその理由が分からない以上、エルスとしてもどの様な態度をとって良いのか分からない。

 彼は意を決して、王龍に再度問いかける事としたのだった。


「おい……王龍……? その―――……メルルと何か……あったのか?」


 それでも、どうにも物怖じした様な聞き方となったのは、メルルが過去にどの様な事をしようとも、どうにもであったからだ。

 つまり。


 ―――多分……遥か昔に王龍達と何かあったんだろうな―――……。


 エルスの思考にはその考えが浮かび、それに反する思案が浮かばなかったのだ。


「え……ええ。私が直接に相対した訳ではありませんが……。お話は“仲間”より、窺っていたもので……」


 自身がどの様な状態であったのか王龍も気付いた様で、その声にはどこかうら恥ずかしさが滲んでいた。


 ―――一体……何をやらかしたんだ……メルル……。


 龍族の頂点に座する古龍の顔を曇らせるなど、何をしたら出来るのだろうか。

 エルスは驚愕と共に、軽い頭痛を覚えていたのだった。





 それから2日後……。

 エルス達は無事、魔王城へと帰還を果たしたのだった。

 あれからメルルの事が発端となり、王龍とエルスが再び対峙し、血で血を洗う戦いを繰り広げた……と言う事実はない。

 結局王龍は、過去にメルルと何があったのかを話さなかった。

 そしてエルスもまた、それを聞かなかった……いや、聞きたくなかったと言うのが本当だった。

 その場にいない人物の事で……それも、王龍が直接被害を被った訳でも無いのに争いを起こす等、無駄以外に何物でもない事はエルスと王龍には良く理解出来ていたのだった。


「さて、今日から改めて候補生達の面倒を見て頂くのですが……」


 練兵場へと向かう廊下を歩きながら、エルスの前を行くアスタルがそう口を開いた。

 昨晩、ザンドンの村から返って来たばかりだと言うのに、翌日から訓練だとはエルスも思っていなかった。

 それでもアスタルからの強い要望があり、すぐに稽古の再開が決定されたのだった。


「……まぁ……俺は別に構わないけどな。それよりも、あいつらはちゃんと集まってるんだろうな?」


 不承不承と言った態で、エルスはアスタルの後を付いて行く。

 そしてエルスの後をリリスと、エルナーシャを抱いたレヴィアが続いていた。

 

「心配には及びません」


 やけに自信たっぷりに答えたアスタルに、エルスは幾分訝しんだ。

 結局、帰還の道中においても、エルスは候補生達と一切会話を交わす事は無かった。

 それどころか、より一層距離を置かれている様にさえ感じていたのだ。


「……まぁ……別に良いけどな」


 気乗りしないと言った感じのまま呟いたエルスは、かなり重い足取りを引き摺って歩いたのだった。





 練兵場へと到着したエルスは、視界に映る異様とその雰囲気に呑まれていた。


 一分の隙も無く、見事に整列した候補生達が、背筋を伸ばし直立不動でエルスを迎えたのだった。

 誰も口を開く事は無く、強い光を湛えた瞳をエルスに向けている。

 そしてそれも、数日前とは全く違っていた。

 彼等の眼に宿るのは、怒りや憎悪と言った負の感情ではない。

 気合いと闘志……中には憧憬まで混じっている。

 

「……え……と……」


 彼等の前に立ったエルスは、逆に彼等に気圧されていた。

 そしてその姿を見たアスタルもまた、誇らしげに胸を張っている。

 もっともリリスは、今にも吹き出しそうな笑いを堪えるので精一杯の様子だった。


「エルス様っ! 全員、準備整っておりますっ!」


 一同を代表して真っ先に口を開いたのは、誰あろうジェルマだった。

 その顔には、どこか晴れ晴れとして訓練に望む、爛々とした瞳が輝いている。

 その余りの変わり様に、エルスはすぐに言葉を返す事が出来ずにいた。


「エルス様―――お下知を―――」


「ウチ等は―――どんな事でも必死で取り組みますよって―――」


 次いでそう口にしたのは、シルカとメルカの双子だった。

 口振りこそ大きな変化は見られないものの、その醸し出す気勢はジェルマに劣らぬものだった。

 彼等だけではない。

 ジェルマとシルカ、メルカの言葉に、その場の全員が頷いている。

 どうやら彼等の中で、エルスに対する評価は大幅マイナスから極大プラスとなった様であった。

 

 一体何事かとアスタルを見るエルスだが、アスタルは肩をすくめるだけで何も答えない。

 

「エルス様―――。早速―――彼等に指導を―――」


 ニコニコと笑顔を浮かべたリリスが、エルスの後ろからそう声を掛けた。

 その言葉を聞いたエルスは流石に状況を理解したのか、小さく頷いて了承した。


「……いいか……お前達は……俺の様にはなれない」


 エルスの、最初の言葉はこれだった。

 だがその言葉に、誰も異論を唱えるどころか、驚く素振りさえ見せない。


「俺は……勇者って力を授かった……“特別”な存在みたいだからな。俺の様になれるとすれば……此処にいる次期魔王『エルナ』だけだ」


 全員の視線がエルナーシャへと向けられる。

 その場にいる候補生たちに目を向けられたエルナーシャだが、怯えるどころか嬉しそうに笑っていた。


「そしてお前達は、エルナの力になるべく訓練して行く。その結果次第では、魔王に次ぐ力を得るのも夢じゃない。……どうかエルナの傍にあって、彼女の力になってくれ」


「……はいっ!」


 エルスの、ともすれば懇願の様な言葉に、候補生達は皆、迷う事無く声を揃えてそう答えた。

 それを聞いたエルスもまた、大きく頷いたのだった。


「……よしっ! それじゃあ、早速始めるからなっ!」



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