王龍の角

 畏怖……憧憬……感動……。

 エルスと王龍ジェナザードの攻防は、何時しか様々な……その場にいる者全ての視線を集めていた。

 アスタルとリリスへの攻撃もいつの間にか止んでいる。

 しかし当の2人もまた、王龍への反攻など忘れた様に動きを止めて、激戦が繰り広げられている方を注視していたのだった。

 

「おおっ!」


「グオオッ!」


 時折、エルスと王龍の咆哮が聞こえ、その都度大きな斬撃音が響く。

 その後に動きが止まる様子がうかがえない事を考えれば、双方どちらかが大打撃クリティカル・ヒットを受けたと言う事もない筈だった。

 ただそれはあくまでも、想像の範疇を超えない。

 何せ、エルスと王龍の攻防を肉眼で確認出来る者等、この場には居ないのだから仕方がない。

 

 だがその激闘も、永遠に行われると言う訳では無い。


 一際甲高い金属音を発したかと思えば、エルスと王龍の姿を誰もが確認出来る様になった。

 エルスの剣と王龍の爪が噛み合い、まるで鍔迫り合いの様な状態で双方ともが動きを止めたのだった。

 

 傾きだした陽を受け、エルスの剣と王龍の爪が眩い光を発している。

 

 そんな美しい光景とは裏腹に、剣と爪からは今にも砕けんとばかりの軋み音が聞こえていた。

 それは、信じられない様な力の応酬が行われている事を物語っている。

 

 力と力の拮抗。


 そしてそれもまた、長くは続かなかった。

 フッと力を緩めたエルスが、大きく後方に飛び退いたのだ。

 エルスと王龍が、大きく呼吸を乱していると言う事は無い。

 ただしその姿は、激戦の後を物語っていた。


 王龍の身体には、無数の切り傷が付いていた。

 そのどれもが、薄っすらと薄皮一枚を切らせただけで、大きく出血している個所など無かった。

 ただし体中びっしりと付けられているその傷は、如何に紙一重で攻撃を躱していたのかが分かるものだった。


 いや……紙一重でしか躱せなかったのか。


 そしてそれは、エルスも同様であった。

 彼の顔と言わず腕と言わず足と言わず……。

 鎧からむき出している部分には、鋭利な刃物で付けられたような傷跡が隙間なく刻まれていた。

 勿論、王龍同様に大きな出血を伴う部分は無かったのだが。

 正しく拮抗した戦闘であった。

 そしてそれは、未だ決着を見ていない。


「……なぁ、王龍。こんな様子見、俺は飽きちまったよ」


 先に口を開いたのはエルスだった。

 そしてその内容に、アスタルとリリスも、親衛隊候補生達も息を呑んだのだった。


 誰が見ても、人知を超えた戦いであった。

 少なくとも、その場に居合わせた者たちはそう感じていたのだ。

 しかしエルスの口からは、そうでは無いと発せられたのだった。


 ―――これは、互いに手を抜いているのだ……と。


「うっふっふ……そうですか? 私は中々に楽しいのですが」


 対して王龍は、エルスの言葉とは相反する答えを返した。

 勿論、それが真実でない事は、王龍の醸し出す雰囲気と声音が物語っていたのだが。


「そうか? けど申し訳ないが、俺はこれ以上あんたに付き合うつもりはない」


 そう告げたエルスは、再び剣を構えた。

 その瞬間、ありえない程の“殺気”が周囲を満たす。


「エ……」


「そ……んな……」


 それまでにエルスは、強い「闘気」を発してはいても「殺気」は放っていなかった。

 そしてこれまでも、エルスは殺す気の気配を纏った事など一度として無かった。

 アスタルとリリスは、初めて感じるその殺気に知らず冷たい汗を浮かべていた。

 声を絞り出すのもやっとであり、到底言葉として成り立っていない有様だった。


 そして候補生一同はと言えば、かつてない恐怖に襲われて佇むしかなかった。

 今の今までも、これと同じような状況にあり、傍から見る限りではその違いなど分かり様も無い。

 大きな違いは……その心中にあった。

 恐怖でその場より動けない……それはまさに、死を覚悟した……殺されると言う事を甘んじて受け入れ観念した胸中に他ならなかった。

 彼等は自身に向けられた殺気で無いにも拘らず、自らの命を諦めさせられる程の恐ろしさに襲われていたのだった。


「まぁ……決着をつける……と言う事ですのね?」


 そして王龍からも、エルスと近しい殺気が迸る。

 この場に居る者は誰一人例外なく、指一本動かす事も出来ず、ほんの僅かな時間であってもこの場に居たくない思いに駆られていたのだった。

 

「……行くぞ」


 低く……重く……当然ながら冗談でもなく。

 エルスが攻撃を仕掛けると公言した。

 戦いの場において、それは何とも有り得ない事であり……滑稽でもあった。

 これから攻撃しますよ……と言って攻撃する等、本来ならば有り得ない。

 奇妙な騎士道でも持ち合わせていれば話も別だが、エルスはそんな無用な事に頓着していない。

 もっとも今行われているのは、あくまでも王龍が求める「代償行為」であり、命のやり取りでは無いのだが。

 そういう意味では、エルスのこのセリフも強ちおかしな物では無いのかもしれない。


 エルスの言葉に対して、王龍は身構える事で答えた。

 グッと力を籠める様に身を固めて、エルスの攻撃に対処しようとする。

 それに対してエルスもまた、腰を落として今にも飛び掛からんと言う態勢を取る。

 

 誰一人……息も出来ない……。

 いや……息をしてはいけないと言う強迫にも似た思いに囚われている。

 息を吸おうが吐こうとも、その瞬間エルスと王龍の攻撃に晒される……そんな幻覚にも似た雰囲気がこの場を支配しているのだ。

 そしてその刻は、間もなくやって来る。


 一際高い金属音が周囲に満ちた。


 その直後、アスタル達を捉えていた呪縛が……解ける。

 エルスは王龍の後方へと移動しており、剣を振り下ろした姿勢で動きを止めている。

 そして王龍もまた、右手を薙いだ状態で静止していた。

 先程とは位置関係も、双方の姿勢も全く変わっている。

 その行程を、誰一人追う事は出来なかった。


 ただ……決着の行方だけは誰の目にも明らかだった。


 空中で激しく回転していた長く鋭い先端を持つ物体が、地面に突き刺さる。

 それは……エルスの剣ではない。

 白銀の光を放つ、不思議な模様を持った……王龍の角だった。

 エルスの一撃は、王龍の攻撃を掻い潜り、その角を見事に切断していたのだった。


「う……うおおおぉぉっ!」


 先程までの状況から一変、波紋の様に歓声は広がり、それは何時しか怒号となっていた。

 状況から見れば、それがエルスの勝利以外の何物でもない事は、その場の誰もが理解していた。

 アスタルも、リリスも、レヴィアも、エルナーシャも……そして、魔王親衛隊の一同も、それまでのしがらみや確執を超えて、皆一様にエルスの勝利を喜んでいたのだった。

 

「……おい……あれはだと解釈すれば良いんだ?」


 そんな熱に浮かされない者が……約1名。

 それは誰あろう、エルスだった。

 エルスの顔には、不満がありありと浮かんでいた。

 そしてその言葉を投げ掛けられた王龍には、どこか“してやったり”と言う気配が滲み出ている。

 言うまでもなく……表情からは読み取れないのだが。


「どう……と言われましても……。貴方が私の角を切った……そう言う事で良いのではありませんか?」


 答える王龍の声音は、どこか笑いを堪えて今にも吹き出さんばかりである。

 状況が良く分からないアスタルとリリス、それに候補生一同は、それまでの歓喜など忘れ、理解が追いつかないと言った雰囲気が流れていた。

 

「ふざけるなよ。あんた……最後の最後で手を抜いただろ?」


「さ―――て……? そう言う貴方こそ、最初から私を倒すつもりなどありませんでしたね? あの間合いでしたら、私の頭を貫く事も出来たでしょうに」


「はっ。俺は最初から、あんたの角を狙ってた……って、あんた、全部計算してたって事なのか!?」


「おっほっほ……さ―――て……どうでしょう?」


 周囲の唖然とした状態を置いてけぼりに、エルスと王龍の会話は続いて行く。

 

「それで……わざと俺に角を切らせて……何考えてるんだ?」


 狐と狸の化かし合いは、エルスが白旗を上げる事で一段落ついた様であった。

 エルスも王龍も、最後まで本気を出す事無く、決着をつけたのだった。


「ああ……あれは……次期魔王様への贈り物とでも思ってくださいませ。気になさらなくとも、角などいずれまた生えてきますから」


 本当に、全く、僅かばかりも気に掛けた様子を見せずに、王龍は軽い調子でエルスにそう答えたのだった。


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