望み

 小高い丘の上に蜷局を巻いて鎮座する巨大な古龍エンシェント・ドラゴン……王龍ジェナザード。

 エルス達を悠然と見下ろす姿は、その光り輝く姿と相まって、正しく“王”と銘打つに相応しい威容を醸し出していた。

 

 ただ神々しいだけではない。


 未だ丘の麓に居ると言うのに、アスタルもリリスも、そして魔王親衛隊候補生一行も、その威圧を感じて足を踏み出す事さえ出来ずにいたのだった。


「さて……行こうか」


 そんな彼等の呪縛を解いたのは、投げ掛けられたエルスのいつもと変わらぬ声音だった。

 

 余りにも自然体。

 気負った様子も、力んでいる雰囲気すらない。

 気になる点と言えば、その顔に不敵な笑みが浮かんでいるだけだろうか。


 ゆっくりと先を歩き出したエルスにアスタルとリリスが続き、その後ろに意を決したのだろう候補生一同が連なって行く。

 

 程なく中腹に差し掛かる。

 そこまでは一同、意図せずして一言も発しなかった。

 

「ここから先は、アスタルとリリスだけが付いて来てくれ」


 巨大な、そして風格を感じさせる老竜エルダー・ドラゴンが居並ぶ前で、エルスが後方を振り返る事無くそう指示をした。

 老竜の脇を抜ければ、王龍の元まで遮る物は何もない。

 そしてそれは、言い換えるならば。


 王龍と対峙して、逃れる場所も隠れる処も無いと言う事だ。


 その様な場所に、レヴィアやエルナーシャ、そして候補生一同を連れて行く事など出来ない。

 それに老竜は先程、エルス達にこういったのだ。

 

 ―――身の安全を保障する……と。


 それは何も、王龍の元へ辿り着けば無効……と言うものではない。

 それとは逆に、王龍の正面に立たないのならば生かして帰すと言う言質に他ならなかった。

 言葉は通じずとも、エルスはそう解釈し理解している。

 そしてそれは、紛う事の無い事実だった。

 歩き出したエルスに続くアスタルやリリスに対しても、その場に残る事となったレヴィアにエルナーシャ、候補生一同に対してにも、老竜を始めとしたドラゴン達が手を出す様な素振りは見せなかった。

 

 真っ直ぐに……ブレる事無く進むエルスの歩みは力強く迷いが無かった。

 覚悟を決めたのかあるいは……諦めたのか。

 アスタルとリリスもエルスに遅れる事なく付いて行った。

 そして程なく、エルス達は王龍ジェナザードの至近距離まで辿り着いた。


「……お初にお目に掛かります。私はジェナザード。人の子らには、“最古龍”や“原初の龍”……“王龍”等と呼ばれています」


 その声を聞いたアスタルとリリスは、受けた衝撃を隠せなかった。

 

 余りにも柔和な……優しく丁寧な声音……。

 その容貌からは想像出来なかったが、声のトーンは正しく女性……。しかも成熟した大人の女性を思わせたのだ。

 不思議なもので、穏やかな女性の口調で話しかけられれば、表情の読めないドラゴンも笑っている様に感じられる。

 それで幾分、アスタル達の緊張は和らいだのだが。


「この度、こちらへはどの様な用向きでお越し下さったのでしょう? 我等の陣容を伺い見れば分かります通り、ここへ来た者はよもや生きて帰れるとは考えられない筈ですが?」


 次の言葉で、戦慄にも似た怖気おぞけが2人の背中を駆け抜けたのだった。

 改めて言われてみれば、ここは周囲を龍族で固められた、普通の思考で考えれば誰も近づく事などしない様な場所であり……状況だ。

 エルスの活躍により、余りにもとんとん拍子で事が運んだ事実もあって、アスタルにリリス……その他の者も、そんな“当たり前”の事を失念していたのだ。


「……つまらない脅しも前口上も要らないよ。俺と話したいのはそっちだろ?」


 もっともただ一人、エルスだけはそんな王龍の言葉に恐れ入ったりはしていなかった。

 それどころか、まるで挑発する様な言葉を返したのだ。

 ただ、彼の台詞に含まれている幾つかの文言ワードが、それを気付いた者の冷静を誘ったのだった。


「おっほっほ。ほんに面白い御方ですね。……そうです。私の方が貴方に興味を抱いたのは本当です」


 そして王龍はアッサリとエルスの言葉を認めたのだった。

 

 もしもこの地に龍達による結界を張りたいのならば、明らかに侵入者たるエルス達に対して、これほど容易な侵入など許さなかったであろう。

 それだけの数と力が、この場に集うドラゴン達にはあったのだ。

 それでもエルス達が倒したドラゴンの数は、僅かに3体だけ。

 それに気付ければ、エルスの言葉と王龍の答えが偽りない事を見抜けたに違いない。


「……で? 何が聞きたいんだ? こちらとしても、あんたに呑んでもらいたい要求があってわざわざ来たんだけどな」


 エルスの話しぶりは、どこかぶっきら棒で相手の神経を逆撫でしている様にも伺える。

 ただしその顔には、どこか楽しそうな……いや、これから楽しむ事を期待している様な笑顔が湛えられている。


「……貴方は人族の子であり、勇者ですね? それにも拘らず、何故に魔族へと肩入れするのです? 貴方も、貴方の仲間も、驚くほど魔族達と折り合いをつけて生活しています。私はその理由に興味があるのです」


 グググッとエルスの方へと乗り出す様にして、王龍ジェナザードは自らの疑問……興味を口にした。

 王龍には、エルスの置かれている立場や状況までは理解出来ていない様であった。


「あんたの処には、聖霊ネネイは現れていないのかい?」


 聖霊ネネイならば、もしかすればこの王龍をも操ってエルスにけしかけるかもしれない。

 ネネイがそう考えても不思議ではなく、エルスがそう勘ぐってもなんらおかしい話では無かった。


「うふふ……。私は先日まで眠っていましたので……。彼の聖霊は現れておりません」


 聖霊ネネイを知っているのだろうか、王龍はその名を聞いても疑問に思う事無く、更に楽し気な答えを返したのだった。


「……ふぅ―――……。俺は聖霊ネネイとの契約で、勇者の力を与えて魔王を誕生させる為に一役買わされたんだ。ここに来たのは、俺を“魔王”と思い込んでいる仲間の手から逃れる為……。この地で世話になるんだ。この地の住人である魔族と揉め事を起こすなんてする訳ないだろ?」


 大きく溜息を吐いて、エルスは一気に事情を説明した。

 彼にしては随分と要領よく簡潔に話している処を考えれば、恐らくは此処に来るまでに答えを考えていたのだろう。

 エルスの話を聞いて、王龍の眼がスッと細められる。

 まるで何かを……値踏みしているかのようだ。


「……面白いですね……。勇者でありながら魔王を育てる破目に陥るとは……。それは聖霊の戯れ……? それとも確定事項……? しかしそれでは、余りにも被害が……。それでも輪廻を重ねる必然が……? ふむ……」


 そして小さく……何かを考え込む様にそう独り言ちた。


「それでこちらの要望なんだけどな」


 王龍の独白は誰にも聞こえず、エルスは自身の話を続けた。


「何かしら? 私達に出来る様な事ならばいいのだけれど」


 思考に耽るのを止めた王龍が、再びエルスに答えた。

 エルスの力強い瞳と、王龍の力ある瞳が交錯する。


「難しい事じゃない。って言うか、特に頼む事でも無いんだけどな。あんたには今まで通り、この魔界を“外敵”の侵入から護って貰いたいだけだ」


 それは確かに、今更頼む様な事では無かった。

 古龍……それも“原初の龍”とまで言われる存在ならば、自分の住まう土地を大切にしている。それは縄張り……テリトリーと言っても良かった。

 そこを不遜な者に侵されれば、誰に頼まれずとも排除に乗り出す習性を持っているのだ。

 

「その様な事で良いのかしら?」

 

 もっとも王龍は、エルスの言葉に対して「そんな事は言われるまでもない」とは言わなかった。

 エルスが望みとして口にしている以上、王龍としても折り合いがつくならば否やは無い。


 ―――勿論、無条件で要望を呑む……と言う事は有り得ないのだが。


「いずれこの地に、人族の軍勢が来るかもしれない。その時は魔族を……魔王を護ってやって欲しい。俺としても以前は兎も角、この地には愛着の様なものを感じてるからな。一方的に蹂躙されるのは……耐えられないんだよ」


 王龍には、エルスの提案を拒む理由など無かった。

 魔界を統治する魔王を護る事もまた、王龍が穏やかにこの地で暮らす理由に合致している。

 エルスの後方……老竜達の向うに、女性魔族に抱かれた幼子が、怯えた様子も見せずに王龍を見つめていた。

 王龍ジェナザードは、それが魔王だとすぐに理解したのだった。

 

「……分かりました。例え貴方が。この盟約は果たされるとここに誓いましょう」


 鷹揚に了承の言葉を告げた王龍に、エルスは無言で頭を下げた。

 あえて口にして感謝を示さなかったのは……。


 この次に王龍が発する言葉を……知っていたからだった。


「しかし、盟約には代償が伴います。此方が一方的に約束を押し付けられる訳には参りません故。その代償は……貴方達が勇気を示す事で支払ってください」


 そう告げた王龍の首が一気に……そして高らかと持ち上がる。


「ちっ……最初からその気だったくせに」


 自分もそうであったことなど口にせず、エルスはそう毒づいたのだった。

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