ドラゴン・ウォール

「こ……これは……」


「エルス様―――……これは少し―――まずいのでは―――……」


「う―――ん……」


 アスタルとリリスはエルスにすり寄り声を掛け、それを聞いたエルスが頭を掻いて考え込んでいた。

 今、エルス達の前方には下位龍ロウアー・ドラゴンが……5体。

 更に左右にも3体ずつ。

 つまり11体のドラゴンに行く手を遮られているのだった。

 

「アスタル……リリス。1人で3体を相手にする自信は?」


 エルスは周囲を見回しながら、彼の背後で身構えているアスタルとリリスにそう声を掛けた。

 

「ハッキリ言って……ありません」


「命がけで―――足止め程度が―――関の山かと―――」


 そして帰って来た答えは、あまり芳しくないものだった。


「そうか―――……前方の5体は何とかなるんだがなぁ―――……。ここはやはり、撤退するしか……ん?」


 エルスの一人語りに、アスタルとリリスは空いた口が塞がらずにいた。

 1体でも強力なドラゴンが5体、前方に壁を作っているに等しいのだ。

 それを見ても怯むどころか、その事自体を問題にしていないエルスに、二人は改めて感心するやら驚かされるやら。

 しかしエルスは、自分の言葉を言い切る前に何かに気付いたのだった。

 ゆっくりと前方上空に瞳を向けたエルスに、後ろの二人も釣られてその視線を追いかける。

 そしてそれは、後方で待機しているジェルマたちも同様だった。

 一同の前方……ドラゴンの壁の向う側に、下位龍より一回り大きく見るからに理知的な雰囲気のドラゴンが舞い降りてきたのだった。


「……ふぅ―――……ようやく、お出ましか―――」


「あ……あれは……」


「……老竜エルダー・ドラゴン―――……ですね―――……」


 エルスは老竜の出現に安堵の声を洩らしたが、アスタルとリリスが呟いた言葉には戦慄染みたものが含まれている。

 そしてそれと同じ気配が、後方からも漂って来る。

 言葉では無く気配……なのは。後方では誰一人として声を出せずにいたからだ。


 老竜……エルダー・ドラゴンもまた、古龍エンシェント・ドラゴンと同じぐらいに遭遇が稀な龍だ。

 そして、誰であろうとも出来れば出会いたいとは思わないだろう。

 例えば下位龍を1対1で倒せる技量を持つ者であっても、老竜を見かけたなら息をひそめてやり過ごすだろう。

 もしも目の前に老竜が現れたなら、全てを投げ出して逃げているに違いない。

 通常の認識下で言えば、老竜は十分に“最強のドラゴン”と言うに足る力を保持しているのだ。

 

 その老竜が、悠然と翼をはためかせて……エルス達の前に降り立ったのだった。

 一同が畏怖するのも当然と言えば当然だった

 たった一人の例外を除いて……だが。


「ちょっとあいつと話して来るから、みんなは少し離れていてくれ」


 明らかに気圧されているアスタルとリリスに、エルスは本当に普段と変わらぬ口調で、まるで知り合いと会話に向かう様な物言いをした。

 即座に彼の言葉を理解出来なかった二人だが、半ば強引に後方へと押されエルスを見つめながら後退ったのだった。

 その結果エルスは、11体の下位龍に半包囲される形となる。


「い……一体何を―――……」


「か……考えていはるんや―――……」


 それは誰が見ても無謀であり、待ち受けるのは“死”以外の何者でも無かった。

 思わず零れたシルカとメルカの台詞は、その場にいる全ての者の気持ちを代弁したものか。

 

 後方で微動だにせずエルスを見つめる老竜を余所に、下位龍達が彼との間合いを詰める。

 如何に勇者と言えども、これだけの数のドラゴンから一斉に攻撃を受ければ、ただで済むはずがない。


 ……筈だった。


 エルスを取り囲むドラゴン達が一斉に動き出すその前に。

 エルスの姿が掻き消えた。

 突然、標的を見失った下位龍達は、まるで呆気に囚われたかのように動きを止めてしまう。

 そしてそれは、後方で待機していた一同も同じであった。

 更には、威圧を放つ老竜も……。

 ただしそれは、ほんの僅かな間だけだった。


「グオオオオオォォォッ!」


 突如、老竜が怒りとも思える咆哮を発した。

 全ての……アスタルやリリス、親衛隊候補生の面々は勿論、下位龍の眼も声の発した方へと向けられた。


 そしてそこには。


 老竜の背中に立つエルスと、そのエルスに怒りを顕わとする老竜の姿が映ったのだった。

 まるで小山の様な老竜の背中……その頂点に立っているエルスに向けて、老竜は長い首だけで振り返ってエルスを睨みつけている。

 だがエルスは、そんな老竜と対しても飄々と言っていい姿で不敵な笑みを浮かべていた。

 そして。


「おい、俺達は戦いが目的じゃない。お前達の主と話したいんだ。案内してくれないか?」


 本当に……まるで友人に頼み事でもするかのように、エルスは老竜にそう要求した。

 それまで射殺す様な視線を浮かべていた老竜だったが、エルスのその態度に呆れたのか、その怒気を急激に弱めて行った。

 若しくは、彼の中に何かを見たのだろうか。

 

『……なるほど……、中々に面白い人の子の様だ……。我が主と話をしたいと言うのならば是非もない。此処よりの道程は安全を保障しよう……。ただし、我が主により殺されても我は関せぬがな』


 エルスを見据えながら、老竜はゆっくりとした……それと分かる口調でそう話した。

 残念ながら一般の者が「龍言語」を聞いても、それはドラゴンの唸り声にしか聞こえないだろう。

 しかし確かに意味を持っており、それを理解出来る者ならば会話が可能なのだ。


「……え?」


 ただしその様な難解な言語を、誰でも会得している訳では無い。


「いっけねっ! 俺、ドラゴンの言葉って分からなかったんだっ!」


 やはりと言おうか当然と言うべきか、エルスもまた「龍言語」には精通していない。


「お―――いっ! 誰か、ドラゴンと離せる奴、いるか―――っ!?」


 何とも魔の抜けた、そして雰囲気をぶち壊す、エルスの恍けた言葉がアスタル達に向けられた。

 先程から連続で呆気にとられるしかなかったアスタルとリリスだったが、流石にその言葉には吹き出さずにはいられなかったようだ。


「ふ……ふわっはっはっ! エルス様、リリスが龍言語に精通していますぞっ!」


「エルス様―――っ! 老竜は王龍に会う事を―――承諾してくださいました―――っ! 此処よりの―――道中の安全も―――保証してくれるそうです―――っ!」


 エルスに近づく……と言う事は出来なかったが、彼等はその場より大きな声でエルスに答えたのだった。


「おおっ! 老竜、サンキューなっ!」


 二人の返答を聞いたエルスは、二っと笑みを浮かべて老竜に感謝の意を述べた。

 そんなエルスに感じ入ったのか、老竜もまた薄っすらと笑みを浮かべた……様に見えたのだが、ドラゴンの表情を読み取れる者は残念ながらこの場には……いなかった。




 エルス達は老竜の言葉通り、その後の道中にドラゴンから迫害を受ける事は無かった。

 勿論、無数に終結している下位龍達がどこかに行ってしまった……と言う訳では無い。

 少し気配を探れば、そこかしこにドラゴンの強圧な気勢が感じられる。

 ただそのドラゴン達は、驚くほどジッとその場で待機しているのだった。

 龍の通り道。

 まるでそう思わされるほど左右にドラゴンの気配を感じながら、一行はズンズンと先を進んだのだった。

 まるで無防備を思わせるエルスを先頭に、僅かに緊張感が抜けきらないアスタルとリリスが続く。

 その後ろには、やや顔を青くしているレヴィアと、状況が分かっていないのかキャッキャとはしゃぐエルナーシャ。

 そして、まるで生きた心地がしないと言った表情を浮かべた候補生が付いて行った。

 彼等にしてみれば、恐らく二度と体験出来ない事かも知れない。

 それ程貴重な経験であるにも拘らず、一体何人の者がこの雰囲気、情景を覚えていれるのだろうか。


「あ……あれが……」


「お……王龍―――……」


 森が開け、小高い丘を臨む場所に出た。

 その丘の中腹には、明らかに老竜と分かるドラゴンが、遠目に分かる限りで10体前後。

 そしてその頂点には……。

 老竜よりも更に巨大であり、そして長い身体で蜷局を巻いて。


 白銀に輝く鱗を持つ、神々しいと言うに相応しい龍がそこに鎮座していたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る