双瞳の視線

 エルスの声を聞いて、アスタルが身体全体で振り返ってエルスと対峙した。

 身長で大きく上回るアスタルがエルスと対面すると、どうしたって威圧している様な印象を周囲に与えた。


「……何でしょうか、エルス様」


 しかしアスタルは、礼儀正しく腰を折ってそう返事をしたのだった。

 その姿は、整然と居並ぶ少年少女達に少なくない動揺を与えた。

 もっとも、当のアスタルには含むところなど何もないのだが。


 以前メルルへと話した様に、アスタルは……アスタル達はエルス達を気に入っている。

 短い時間であっても、共に過ごした時間で彼等はエルス達の事を信頼しているのだ。

 友情にも似た感情を抱いている彼等にしてみれば、その位の態度を取るなど何ともない事であった。

 寧ろ、エルスの方がその余りに慇懃いんぎんな態度に若干狼狽した程であった。


「あ……ああ。彼を一方的に退場させるのは余りにも可哀想だと思ってな。せめて彼の納得する形で話を終わらせたいと思ったんだ」


 エルスの案は、アスタルにとっても渡りに船だと言って良かった。

 ジェルマに対して厳しい態度をとったアスタルだが、それも彼が望んだ事ではない。

 最終的にジェルマを切る……と言う選択肢も止む無しと考えてはいたが、出来ればそうしたくないのが本音だった。

 将来の魔界……魔王軍を作り上げるに当たり、賛同しない者を切って行く……と言うのは余りにも非生産的なのだ。

 

「なるほど……確かにこれは、私がやや早計でしたか。それで……どの様になされると言うのでしょうか?」


 アスタルは、やや芝居がかった口調でエルスに問いかけた。

 リリスも先程から、笑いを抑えるので必死なようだ。

 そんな中で、当事者であるジェルマだけが置き去りにされている感がある。

 もっとも、ジェルマにはその様に感じている余裕など無かったのだが。


「此処にいる全員と、俺一人が戦う……ってのはどうだい? 俺が負ければ、潔くこの場を去る。彼等が全員降参すれば、俺の教えに従って貰うって言うのはどうかな?」


「……へ?」


「……プ……クク……」


 エルスの提案に、アスタルは何とも突飛な声を上げて絶句し、リリスはとうとう抑える事が叶わず声を洩らして笑い出したのだった。

 武闘派……とも言えるアスタルでさえ、ここは子供達に話して聞かせようとしていたのだが、当のエルスがアッサリとそれを台無しにしたのだ。

 そしてそれを予期していたのか、リリスは堪えていた笑いが限界を超えたのだった。


「ふ……ふざっけんなぁ―――っ!」


 そしてここで、再起動を果たしたジェルマが割って入る。

 つい先ほど、彼はアスタルに退場を言い渡された。

 それは偏にドロップアウト……今後、親衛隊に席を置く事も難しいと考えられる事だった。

 そんな彼に、エルスは言わば助け船を出したのだ。

 感謝こそすれ、噛みつかれる謂れなど全くない筈……であった。


「お前一人で、ここにいる全員を倒すって言うのかっ!? いくら強かろうと、そんな事なんて出来る訳が無いだろうっ!」


 激高したジェルマは、顔を真っ赤にしてそう叫んでいた。

 もっともそれは、エルスにとって……いや、アスタルやリリスにとっても想像していた反感……台詞であり、驚くに値しない事でもあった。

 何故ならエルスは、そうなる様にわざと先程の様な言葉を口にしたのだ。

 ただしアスタルにとっては、エルスの言葉を聞くまでは予想外であったが。


「いいや、やらなくても分かる……かな? お前が……いや、お前達が何人束になって掛かってこようが、余裕で勝てるってね」


 エルスはあえてお道化た口調を使う事で、ジェルマの神経を逆撫でしていた。

 いや……それだけに留まらない。

 この部屋にいる「魔王親衛隊候補」の少年少女達全員が、エルスのバカにしたような言葉と態度に怒りを高めていたのだった。


 ―――僅かに2人を除いて……。


「ほんにほんに―――」


「エルス様の言う通りどすえ―――」


 沈殿する一触即発の空気を震わせて、一際大きな声がした。

 全ての視線がそこに集中する。

 

 そこには、幼さを残しながらも周囲の者達よりも一際美しく……一際異形な二人の少女が、造られた様な笑顔を湛えて立っていたのだった。


 淡く薄い赤紫と青紫の髪……。

 白く透き通るような肌は、魔界の者には見る事など出来ない。

 身に付ける着衣も、他の者とはかなり変わっていた。

 桃色の肌襦袢の上から、丈の短い単衣を羽織っている。

 それを体の前で重ね合わせて、紅く太い帯で閉じていた。

 その帯は背中で大きな結び目と共に輪を作っており、あたかも羽根を広げた蝶にも見える。

 彼女達の着物の色も、赤紫の髪を持つ少女は濃い青紫……青紫の髪を持つ少女が濃い赤紫と言う、明らかに“それ”と分かる様に演出したものだった。


「シルカに―――メルカ―――」


 リリスが、やや驚いた様な声音で二人の名を呼んだ。

 その声に、二人の少女は全く同じ笑みを浮かべる。

 寸分違わぬ二人の行動は、まるで鏡に映したかのように対称的だった。

 それに拍車を掛けるのがその顔に持つ瞳であった。

 赤紫の髪を持つ少女……シルカが赤と白。

 青紫の髪を持つ少女……メルカが白と青。

 非対称ながら瓜二つの顔を持つその少女達は、魔界では非常に珍しい……いや、魔族では殆どありえない、双子だったのだ。

 

「リリスさま―――」


「ウチ等二人は―――」


「エルス様を認めますえ―――」


「そやさかい―――」


「エルス様と戦わずともえーですやろ―――?」


 二人は以心伝心、交互に口を開きながらも淀みなく話したのだった。

 それは彼女達が双子であったからだろうか。

 そしてその話しぶりは訛りがあるものの酷く間延びしており、リリスの話しぶりにとても良く似ていたのだった。

 

「う―――ん……そうね―――……。エルス様―――どうしましょう―――?」


 シルカとメルカがこの場で口を開くとは思っていなかったリリスだが、彼女達の提案は想像の範囲内だった。

 リリスは困った様な表情を作り出して、白々しくエルスへと話を振ったのだった。

 そしてエルスの答えは決まっていた。


「ダメだよ、二人とも。そんな言葉でこの場を凌ごうなんて、ちょっと考えが甘いんじゃないかな?」


 エルスはまるで幼子を諭す様にそう言った。

 それを聞いたシルカとメルカの表情が、僅かにピクリと変化する。

 ポーカーフェイスを気取っている様だが、流石にエルスには通用しなかったのだった。


 それもその筈……と言おうか。

 エルスはもっと感情の読めない者達に揉まれて来たのだ。

 メルルにシェキーナは言うに及ばず、シェラ、ゼル、ベベル……。

 アルナとカナンを除けば、殆どの者が一癖も二癖もある者達ばかりだった。

 そんな曲者たちに比べれば、シルカとメルカの澄ました顔など読みやすい表情と言って良かった。


「エルス様―――」


「ウチ等はエルス様の為を思って―――」


「言ってるんえ―――」


 それでもエルスの言葉に納得がいかなかったのか、シルカとメルカはなおも食い下がった。

 それも今度は、先程の様な親近感をエサにでは無く、明らかに挑発的な言葉を以て。


「ウチ等が参戦したら―――」


「エルス様が苦戦する事になりますよって―――」


「あえて戦わんとこ―――ってゆーてるんどす―――」


 何とか笑顔を維持しようと試みているのだろうが、その瞳には強い力が宿り、先程の様な余裕は感じられない。

 そこに、本当に余裕を持ったエルスの言葉が返される。


「苦戦? 有り得ないな。そんな無駄な心配は良いから、全員で掛かって来る算段でもしたらどうだい?」


 エルスに演技力は……皆無だ。

 冷静な者ならば、それが明らかに「挑発返し」だと分かる程に。

 それが分かるリリスだから、それはもう笑いを堪えるので必死だった。


 そしてそれに気付けなかったシルカとメルカには、エルスによって完全にバカにされている……と感じ取り、今度こそは二人とも全く同じ怒りの表情を浮かべたのだった。

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