魔王親衛隊……候補
メルル達が「陽動作戦」へと旅だったその日の午後……。
エルスはアスタルとリリスに懇願された通り、次期魔族軍親衛隊の面々に稽古をつけるべく、魔王城にある練兵場へと来ていた。
エルスに同行したのは、アスタルとリリスだけでは無い。
エルナを預けられたレヴィアも来ていたのだった。
そしてエルスの前には、幼くも目をギラギラとさせる少年少女達が並んでいた。
(……どうにも歓迎されていないな……。ま、それも当然か……)
エルスは一同を見渡しながら、そんな事を考えていた。
少年少女達の眼付がきついのは、何も血気盛んな年頃だからだけでは無い。
目の前にエルスが……前魔王を倒した勇者であり人族だったからに他ならない。
「良いか、お前達っ! 今からこの勇者エルス様が、お前達に戦いのご指導をして下さるっ! この様な機会は少ないっ! しっかりと学ぶんだ、良いなっ!」
アスタルがエルスの隣に並び、少年達に檄を飛ばす。
「は……はい……」
それに対する彼等の返事は、どうにも歯切れの悪いものだった。
現在、魔界での最高指導者であり、軍事を掌握しているアスタルの言葉には誰もがしっかり応えたいと考えていた。
しかし彼の告げた内容にはどうにも納得のいかない処がある様で、どうしても戸惑いがちな返事しか出せなかった。
そしてその心情が分かるアスタルだから、少年少女達の今一つ覇気の無い返事に対して、怒る事も出来なかったのだった。
「し……司令官殿っ! お聞きしたい事がありますっ!」
一際大きな声で、一人の少年が一歩前へと進み出てそう告げた。
漆黒の短く刈り上げた髪に、褐色の肌。
頭には2本の角が生えている。
少年特有の、自分を全く疑っていない自信に満ち溢れた顔には、ギラギラとした野心を燃やしている蒼い瞳。
その声はアスタルへと向けられているのだが、エルスに対する威圧感も含まれていた。
「……なんだ、ジェルマ?」
アスタルにはどこかその展開を予想していた節があり、溜息を吐く様な顔で少年に答えた。
ジェルマと呼ばれた少年はまったく物怖じする事も無く、あからさまにエルスへと視線を向けて言葉を続けた。
「我々は、次期魔王様の親衛隊候補生ですっ! 言わば、魔族のエリートでありますっ! それなのに何故、そこの人間に教えを請わねばならないのですかっ!? しかもこいつは、前魔王様を倒した人族の勇者ですっ! 今この場で倒してしまうと言うのならばまだしも、我等の上に立つなど到底、納得出来ませんっ!」
一気にそう捲くし立てたジェルマは、そこで言葉を区切るとムフーっと荒い鼻息を吐きだした。
その顔には“正義”が満ち溢れている。
自分の意見は正当であり、反論の余地など無いと考えているのだ。
「……納得出来ないか……?」
アスタルはどこか脱力した様に、質問に質問で返した。
「はいっ!」
その問いに、ジェルマは自信満々でそう返事をした。
彼は上官であるアスタルでさえも、彼の正論で論破した……と、そう考えているのだ。
「そうか……ならばジェルマ……。お前は此処より……去れっ!」
だが返って来たアスタルの言葉は、ジェルマの耳を疑うもの……以前に、論議の余地も無い程一方的なものだった。
反論するならば、ここにいる必要はない。
紛う事無く、アスタルはジェルマにそう言ってのけたのだった。
若い……と言うよりも、幼さの残るジェルマにはその言葉が余りにも衝撃的であり、すぐに言葉を紡ぐ事が出来ずにいる。
「……他に異論のある者は居らんな? ならば、エルス様に剣術の稽古を……」
「お……お待ちくださいっ!」
そのまま話を勧めようとするアスタルだったが、当然ジェルマは納得していない。
……と言うよりも、今の今まで思考が停止しており、納得も否定も……その意思表示すら出来ていない有様だったのだ。
そして漸く再起動を果たした彼が、感情も露わにアスタルへと噛みついた。
「な……何故私が去らねばならないのですかっ!? 去るのはそこの人族の方でしょうっ!」
未だ動揺から回復していないジェルマは、言葉に詰まりながらも何とかそう言い切った。
彼は若い……。
そして若いからこそ、明らかに“魔族”だった。
今更の話となるのだが、人族と魔族は相容れない。
それも、嫌っている……だとか、一緒に居たくない……等と言うレベルでは無く、本質として憎み合っているのだ。
それがどういった経緯でそうなったのかは……もはや知る者はいない。
しかし、大半の人族……そして魔族は、互いを滅ぼしたいと言うまでに憎悪していたのだった。
言うなればジェルマの言葉が一般的であり、エルス達とアスタル達の
口には出さないものの、その場にいる少年少女達の大半はジェルマと同意見である。
もっとも、最高司令官であるアスタルに噛みつく……等と言う身の程知らずにはなれなかった様だが。
「その様な狭い見識では、到底魔王様のお傍に仕えるなど出来ぬ。そんな事も分からぬようでは、将来の害にしかならない。今、この場を去る方がお前の為……延いては魔王様の為だ」
アスタルは、ジェルマにしっかりとした説明もする事無く、バッサリと切って捨てたのだった。
ここまで上官に言い切られては、ジェルマとしても立つ瀬がない。
そして、彼にまだ見識があれば食い下がる程度は出来ただろうが、未だ経験も浅いジェルマにはアスタルの言に異論を唱える事も出来なかった。
「……おい、リリス……。アスタルの奴、ちょっと厳しくないか……?」
二人のやり取りを見て、エルスは後ろに控えていたリリスに小さな声で話しかけた。
「そうですね―――……。ちょっと厳しいようですが―――これも意識改革の一環なのです―――」
それに対してリリスは、独特の間延びした声で、別段慌てた様子も無く答えた。
「エルス様に教えを受けると言う事は勿論なのですが―――エルナーシャ様の今後にも関わる事なのです―――。エルス様によってお生まれになり―――エルス様の力を吸収して育ったエルナーシャ様は―――見ようによっては人の手で育てられた魔族―――と言う事にもなります―――。ジェルマを始めとして―――魔族には人族蔑視の風潮が根強いですから―――延いては魔王様を軽んじる考えに―――なるやもしれません―――」
エルスはリリスの説明を聞きながら、なるほどと納得していた。
今、将来の側近たる彼等の考え方を改めなければ、未来に禍根を残す可能性がある。
それは新生魔族軍にとって、致命的ともなりかねない。
何よりも、魔王の元に一致団結など望めないかもしれないのだ。
そうなれば、魔族同士による内乱に発展するかもしれない。
「……あ―――……ちょっと待ってくれないか、アスタル」
だが、目に悔し涙を浮かべたジェルマを見ていると、エルスはどうにも居た堪れなくなったのだった。
正直な所、エルスにとってこの話は何とも微妙な心情だった。
彼が教えようとしている少年少女達は……魔族だ。
将来、かなり高い可能性で……人族と戦う。
その事を考えると、エルスにはどうにも気の乗らない、出来れば断りたい案件でもあった。
しかしそれも、エルナの為だと諭されれば断るのも躊躇われる。
エルナがどれ程強い魔王となるかは未知数だが、彼女の周辺に力のある護衛がいた方が良いに決まっている。
彼は今、そのジレンマを押し殺してその場にいるのだ。
そして更に、脱落しようとしている少年に手を差し伸べようとしている。
僅か数か月前では考えられなかった事に、エルスは思わず苦笑しそうになった。
エルスの声に、アスタルがゆっくりと振り返り、ジェルマが……射殺す様な鋭い視線を向けたのだった。
全ての元凶を見据える様なジェルマの瞳を見て、エルスは自分が余りにもお人好しなのではないか……と考えていた。
そして後方で笑いを押し殺すリリスは、正しくエルスの事をそう思っていたのだった。
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