Reborn

 男……ダンメルと、アエッタの両親と思しき男女のやり取りは、メルルとアエッタを無視して行われていた。


「なんやあんた……奴隷商やったんかいな」


 メルルはダンメルに向けて、実につまらなそうな声でそう問いかけた。

 その声に、ダンメルが僅かに怒気を孕ませた顔を向けた。

 その容姿同様、未だその声も大人とは言い難いメルルからその様な言葉を受ければ、自身を一端の大人だと自覚している者からすれば多少なりとも頭にくるものだ。

 

「安心しろ。お前は俺の得物として連れ帰ってやる。自分を“魔女”だなんていう頭のイカれた女でも、売れる処には売れるからな」


 そう言ったダンメルは、下卑た笑みを浮かべて腰に差していた剣を抜き放った。

 彼はこの場を、力づくで収めようと考えていたのだった。


 見るからに屈強な大男と、誰が見ても少女なメルル……そして子供のアエッタである。

 どの様な者が見た処で、勝負になるとは到底思えなかった。


 そしてその言葉通り、まったく勝負にはならなかった。


 男が剣をメルルの鼻先へと突きつける。

 言うまでもなくそれは、彼女に対する威嚇に他ならない。

 か弱い少女ならば、ただそれだけで腰を抜かしていたかもしれない。


 ただしメルルは、やはり言うまでもなく“か弱い少女”ではない。


 メルルの右手がゆっくりと持ち上がり。

 その手はダンメルに向けて差し出される。

 何を勘違いしたのか、ダンメルはその顔を歪めて笑顔を作ろうとし。

 

「ぐ……ぼっ!」


 次の瞬間には苦悶の表情を浮かべていた。

 

 男の身体は、歪なまでに異様な姿となっていた。


 彼の両手は、めり込むかと言う程に自分の身体に吸い付いている。

 まるで砂時計の様に体の中央部分を極限まで細め、僅かに動く足をばたつかせている。

 顔は暗闇でも蒼くなったと分かる位に苦し気であり、すでに脂汗まで流している。

 そして何よりも……その両足は地面に届いていなかったのだ。


 メルルが行ったのは、魔法では無い。

 魔力を使い、ダンメルを拘束し、宙に浮かせているのだ。

 しかしその効果は、この場に居る者たちには覿面てきめんだった。

 

「く……はぁ……」


 ダンメルは程なくして、肺の中の空気を全て吐きだしたかの様な声を出した後に気絶した。

 それを見て取ったメルルは、ゴミでも捨てる様にダンメルを茂みに投げやった。


 再び動きを止められ、声も出せなくなったのはアエッタの両親と思しき男女だった。

 メルルの行った不可視の攻撃は、彼女をして「魔女」と思わせるのには何の不足も無かったのだ。

 父親と思しき男性の首が、まるで人形のような動きでアエッタを見る。

 だがアエッタの表情は、そんな哀れな者達を見ても変化はなかった。


「ア……アエッタ……」


 その表情をどの様に良い解釈をしたのか、男がアエッタに笑みを浮かべて話しかける。

 今度の笑顔は、恐怖と哀願が入り混じった、何とも哀れな笑みだった。


「ア……アエッタ……。早く……早くここから逃げましょう……ね?」


 男に次いで言葉を発した母親と思しき女性もまた、男性と同じような笑顔でアエッタの説得を試みている。

 しかしアエッタはそれにも答えず、ただ二人を見つめていた。

 

「アエッタッ! 聞いているのかっ! こっちへ来なさいっ!」


 そして動かないアエッタに、男はついに激高した。

 それは正しく、理不尽な怒りでしかない。

 今の今まで、アエッタは一切何も口に出していない。

 態度にも表していない。

 ただ二人を見つめていただけだ。

 それでも男が怒り出したのは、彼女の姿を勝手に曲解したからに過ぎない。

 アエッタに対する後ろめたさと、彼女を売る事で得られる金銭への欲、そしてその欲望が霧散してしまうかもしれないと言う……未練。

 全く以て利己的な理由だけで、アエッタの父親と思しき男性は怒り出しているのだ。

 

「アエッタッ! お父さんの言う事が聞けないのっ!?」


 そしてそれに協調しだした母親と思しき女性も、何とも勝手な言い草を口にし出した。

 それでもアエッタは一向に動こうとはせず、その表情も固まったままだ。

 

 いや……。


 メルルには分かっていた。

 アエッタは二人を見て、憐みすら感じているだろう事を。

 ただこれ以上は、さしものメルルも見るに堪えなかった。


「……ちょっと黙りぃ……」


 低く押し殺した声で、メルルが二人を制止する。

 その言葉を受けて、二人の男女がビクリと体を震わせて動きを止めた。

 もっとも、メルルには何も脅して帰らせようと言う気は無かった。


「あんたら……アエッタをいくらで売ろうと思っとってん? 金貨1枚か? 2枚って事はないやろ?」


 メルルの魔女らしからぬ、どうにも世俗染みた……それでいて余りにも的を射た具体的な言葉に、二人の男女も口をつぐんだ。


「それやったら……取引ってのはどうや? ウチはこの娘に、金貨10枚出したるわ」


「じゅ……10枚っ!?」


 余りの破格に、男性が絶句する。


「更に……や。アエッタがあんた等のところに帰るっちゅーんやったら、金貨10枚持たせて帰らせたるわ。……どないや?」


 これは明らかに、二人にとって申し分ない提案だった。

 金貨がもらえた上に、アエッタまで戻って来る。

 その時、二人の脳裏には更に嫌らしい……下卑た考えが浮かんだのは言うまでもない。


「さ……さぁ……アエッタ?」


「かえ……帰りましょう? アエッタ?」


 二人の男女が、アエッタに手を差し伸べる。

 そしてその顔には、欲と愛想が塗れた、もっとも醜い笑顔が張り付いている。

 その二人に向けて、アエッタは漸く動きを見せた。

 その小さな頭を、ゆっくりと左右に振ったのだった。

 月の光を受けて、彼女の白い髪がキラキラと星を振りまく様に煌めいた。


「ア……アエッタ……?」


 彼女の返答が信じられない父親と思しき男性が絶句する。

 母親らしき女性に至っては、声も出せない程だった。


「何故……あなた達はここに来たのですか……?」


 絞り出す様なアエッタの声。そしてその問い掛け。

 しかしアエッタの目の前にいる男女には、彼女が何を言っているのか理解できていない。


「あなた達が……私を捨てた所までは……ここで姿を見るまでは……あなた達はあたしの……両親でした……」


 続くアエッタの言葉に、二人の男女はさらに混乱していた。

 だが、メルルにはアエッタが何を思い、何を言っているのか理解出来ていた。


「な……何を言っているんだ、アエッタッ!?」


「そ……そうよ、アエッタッ! 親なんだから、迎えに来るのは当たり前……」


「……違うっ!」


 何とかアエッタを宥めようと試みているのか、二人がもっともらしい言葉を吐きだすも、アエッタはそれを強い口調で遮った。

 

 それは……アエッタが見せた、初めての強い感情だった。


「あなた方は……あたしを……捨てた。でも、それは良いの……。そこまでは……あたしもあなた達を親だと思った……。親なんだもん……そうしないといけない事もあるんだなぁって……思ってた……」


 アエッタは淡々と、言葉を選びながら話している。

 元々、学の無い彼女だ。

 思っている事を全て言葉に出来よう筈も無い。

 それでも今、彼女は何とか必死で考えて、その気持ちを伝えようとしていた。

 

 この時代、親が「家族」の為に子供を犠牲にする事は珍しくない。

 子供にとってそれは、とても受け入れられない事ではあっても、受け入れざるを得ない事でもあった。

 どこかで、「仕方ない」と言う思いがどの様な子供にも内在している。

 誰に教えられたわけでもない。

 ただ、知っているのだ。

 

 ―――全体が生き残る為の、少数の犠牲……と言うものを。


 アエッタは、特にその事を明確に理解していた。

 そしてその現実を受け入れてもいた。

 それは親が、家族の為に下す非情な決断であり。

 親にとっても苦渋の決断だと思っていた……いや、そう信じていたのだ。


「何だその口の利き方はっ! 何が違うと言うんだっ!」


 アエッタの言葉は、なんら二人には届かなかった。

 それどころか火に油を注いで更に怒りを顕わとした男性が、アエッタ目掛けて駈け出していた。


「ぐぅっ!?」


 その直後、男性は苦し気な言葉を吐いて、その場に立ち止まった。

 いや……止まったのではなく、止められたのだ。

 男は走り出そうとしたその直後の姿勢で動きを止めている。

 足を下ろそうにも下ろせず、右腕も不自然な程身体に張り付いている。

 正しく、これはダンメルがメルルにやられた現象と同じだった。

 そしてアエッタは、男性に向けて腕を上げ、拳を握り込んでいた。

 

「アエッタッ! あんた、お父さんに何てこと……っ!?」


 男の異変に怒り狂った女性がアエッタへと駆け寄ろうとして、彼女も男性と同じ末路を辿ったのだった。

 体の自由を完全に奪われた二人の男女は、呻き声しか出せないでいた。

 そしてアエッタは、両手に握り拳を作り二人に向けた状態で、表情も変えずに佇んでいる。


「ア……アエッタ……」


「ゆ……許して……アエッタ……」


 口から泡を吐きながら、二人の男女はアエッタに許しを請うた。

 その状態を見て、アエッタの眉根が寄り、八の字を作る。

 これ以上ないと言う嫌悪感を抱えていると、誰が見ても分かる表情だった。

 アエッタは無情にも……更に力を加えようとして。


「もうやめとき」


 不意に肩を叩かれ、我に返ったのだった。


「この二人は、あんたが手を下す程の奴らやない。人を殺すんは魔法を使ってれば仕方ないかもしれんけど、あんたの“その時”は今やない」


 メルルの言葉を聞いて、アエッタの身体からスッと力が抜ける。

 それを皮切りに、二人の呪縛が解けたのか、男女は地面に投げ出された。

 おあつらえ向きに……とでも言おうか、二人はそのまま気絶してしまっていた。


「それにな、あんたには“親殺し”なんてつまらんもん、背負って欲しくないんや。必要やったらなんも言わんけど……今は必要やないやろ?」


 ニヤリと笑みを浮かべるメルルに、アエッタは静かにうなずいた。

 彼女の笑顔は、本当に嫌らしい、小悪魔的な笑顔だ。

 だがアエッタにその笑顔は、何とも清々しい、気持ちの良い笑顔に見えたのだった。





「ほんまに……ええねんな?」

 

 メルルがアエッタに念を押しているのは、本当に親元へと還らなくて良いかと言う問い掛けだった。

 それに対してアエッタは、小さく……しかし確りと頷いて答えた。


「ウチと一緒に来れば、あんたには想像を絶する道しか開けてへん。正しく……生き地獄っちゅーやっちゃ。これは比喩でも何でもないでぇ。それでも……来るんか?」


「……はい。お傍に……置いて下さい……


 今度はハッキリとそう答えて、アエッタは深々と頭を下げた。

 それを聞き届けたメルルもまた、大きく頷いて了承する。


「よっしゃ。んじゃあウチは、こいつらを捨てて来るわ」


 そう言ったメルルの身体が……3人の身体が宙に浮かぶ。

 それもまた……魔法では無い。

 

「突き詰めれば、魔力だけでもこれだけの事が出来るんや。あんたも精進せんとなぁ」


 そう言葉を残して、メルルは一気に上昇すると3人の身体と一緒に森の向うへと消えて行った。

 アエッタはそれを頼もしそうに見つめていたが、暫くすると視線を湖へと向けた。


「本当に……綺麗……」


 夜の湖面に月が映り込み、それは美しい光景を浮かび上がらせていた。

 そこへ周囲から立ち昇る魔力光が、あたかも幻想的な風景を演出している。


 アエッタは正しく……生まれ変わった気持ちでこの光景を見つめ続けていた。

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