嫌忌なる存在
その人影達が近づいて来たのは、メルルの講義を終えたその晩……夕食を取っていた時だった。
結局、今日一日でアエッタは石を持ち上げるまでには至らなかった。
しかし彼女が今朝から魔力の講義を始めたと考えれば、アエッタの進歩は異常なまでに早いものだった。
それでもアエッタは、メルルの課題に確りと応えられなかった事に、顔を曇らせていた。
もっとも、それでも食事を摂る手は些かも遅くなっていないのだが。
「まぁ、気にすんなや。今日一日で全部出来てもうたら、ウチの暇つぶしもすぐに終わってまうからなぁ―――……。それ考えたら、今日はこれで上出来や」
メルルはニコニコとしながら、鳥の丸焼きにかぶりついていた。
彼女の言葉は、決してアエッタを
メルルとしては、初日の手応えとして十分なものを得ていたのだった。
先に述べた通り、アエッタが魔力を制御する事に取り組んだのは今朝が初めて。
それを考えれば、彼女に落第点を付けるなど考えも及ばない事だった。
更に付け加えれば、アエッタの課題へと取り組む姿勢にも満足していた。
言われた事を忠実に行うばかりか、自分なりに様々な工夫も試みようとしている。
実際には、アエッタが何とかメルルの期待に応えようと頑張っただけなのだが、それが良い結果として現れていたのだった。
「明日はもうちょっと違う角度から試してみよか。それやったらお前も……」
そこでメルルの言葉はフェードアウトして行き、最後には沈黙となった。
アエッタはメルルに異変を感じて口を開こうとしたが、それを先んじたメルルに封じ込められたのだった。
メルルが人差し指を立てて唇に当てている。
これは言わずもがな、「静かに」と言う合図に他ならず、そんな事は如何に子供と言っても知っている事だった。
アエッタも、息も止めようかと言う勢いで自らの口を両手でふさいだ。
そしてその理由は、アエッタにもすぐに知れる事となる。
「……ッタ―――ッ」
何者かが近づいて来る。
気配を消している様子も無く、大きな音を立てながら周囲の草木を掻き分け、何事かを叫んでいる。
「アエッタ―――ッ!」
微かだったその声が、随分とはっきり聞こえる様になる。
そしてその何者かが何を叫んでいるのかも分かった。
「アエッタ―――ッ!」
人の気配は複数。
そしてその集団は、明らかにアエッタを探している様だったのだ。
「なんや、アエッタ。あんたにお迎えが来たで」
ニヤリと笑みを浮かべたメルルが、アエッタに小さく話しかけた。
しかしアエッタの顔に笑顔は無い。
ましてや、その声に反応して飛び出そうと言う素振りすらない。
寧ろ一際息をひそめて、己の気配を隠そうとまでしている様だった。
「まぁ……折角あんたを探してるんや。知らんぷりも出来んやろ」
僅かに息を吐いたメルルが、アエッタの肩に手を遣りながらそう告げた。
確かに、アエッタを名指しで探しに来ているのであれば、ここでこのままやり過ごす訳にはいかない。
理由はどうあれ、わざわざこんな深い森を、この様な時間になるまで探しているのだ。
どういう意図があろうと、話だけは聞くと言うのが礼儀と言うものだろう。
メルルにはある程度の憶測が付いていたが、兎も角アエッタと共に立ち上がり、声の方へと歩み出した。
「……アエッタッ! 無事だったんだねっ!」
アエッタを探していたであろう男女の内、母親と思しき女性がそう話しかけた。
メルルとアエッタの目の前には、メルルから見てもアエッタの両親と思しき男女……そして、その二人には到底似つかわしくない男が一人随伴していた。
「アエッタッ! 随分探したんだよ?」
今度は父親と思われる男性が、如何にも彼女を探していたと言った態で声を掛けてきた。
だが、アエッタの表情は浮かなかった。
それどころか、更に強張り……眉根を寄せて忌避感まで示している。
(……ほんまに……
メルルは心の中で、アエッタの洞察力に感嘆していた。
アエッタの年齢ならば、親の風体がどうであれ、無条件で駈け出してゆくものだ。
それでもアエッタがそうしないのは、明確に両親が此処へ来た理由を看破していたからに他ならない。
そしてそれは、メルルも同じ意見を抱いていた事であった。
如何にも……彼等の顔には卑屈で何か裏の有る笑顔が張り付いている。
アエッタを此処へと捨てたと言う事実に、流石に親と言う立場であっても気が引けるのだろう。
しかしアエッタが急遽必要になった。
だから彼女には、何としてでも自分達の元へ戻ってもらわなければならない。
故にその顔には、まるで木彫りで作った面の様な笑顔が張り付いている。
誰がどう見ても、紛う事無き愛想笑い。
そんな笑顔を見せられれば、心あるものならば忌み嫌ってもおかしくはない。
「さぁ……一緒にかえ……なんだ、お前は?」
それまで殆ど、メルルの事が見えていなかったのだろう。
険しい山道を歩き詰めで、漸く目的の“物”を見つけたのだ。その気持ちも分からないでは無い。
だが、だからと言ってメルルが親子の再会を無言のままやり過ごす……と言う事など無い。
ましてや、一方が望まぬ再会ならば尚更だ。
「ウチか? ウチは……魔女や」
そう問われて、メルルはシレッとそう返した。
アエッタよりもわずかに年上と言う風情のメルルが割り込んで来た事に眉根を寄せた父親らしき男だったが、メルルが「魔女」だと答えた事により途端に色めき立った。
この世界では、老若男女問わずに「魔女」と言う存在は恐るべきものなのだ。
この様な夜更けに……こんな深山の奥地で……見るからに子供の容姿をした女性が……自らを魔女と名乗る。
メルルの恰好からして説得力があるのに、周囲のロケーションが更にその言葉の真実味を重くしていたのだった。
息を呑むアエッタの両親。
誰からも言葉は出ない。
「この娘は……アエッタはなぁ……ウチが拾ったんや……それを横取りするっちゅーんやったら……呪いでも掛けてまうでぇ―――……」
暗闇に曇る眼鏡の奥で、メルルの瞳が妖しい光を放つ。
その言葉を向けられたアエッタの両親と思しき男女は、それが嘘や冗談でないと言う思いに囚われ、喉を鳴らして更に押し黙った。
しかし今度は、静寂が周囲を満たす……と言う事は無かった。
アエッタの両親と思しき男女の後ろに控えていた男が、ズイッと彼等を押しのけて前へ出てきたのだ。
「随分と威勢のいい嬢ちゃんだが……こんな時間、こんな場所にいるってぇ事は……お前ぇも
前に出てきた男は、つるりと頭をそり上げた、何とも人相の悪い男だった。
夜の森にあっても、その肌が浅黒く焼けている事が分かる。
筋骨隆々な体の至る所に、これでもかと言う位に入れ墨が彫ってあった。
誰がどれ程良い様に見ても、到底堅気には見えない風体。
チンピラ……やくざ……盗賊……ならず者……。
その男を形容するには、その様な言葉しか出てこなかった。
「ダ……ダンメルさん……」
父親と思われる男が、何とか彼の名を絞り出した。
ダンメルは父親に一瞥くれると、更に前へと出た。
「あんたが俺に売ってくれるって言う子供ってのは……こっちかい?」
彼の視線はアエッタを捉えている。
本当ならば、そんな男に睨まれ……見られれば、子供ならば泣き出しかねない程の雰囲気を醸し出している。
だがアエッタはその男に見入られても表情一つ変えずに、まるで興味がないと言った目で男を見返していた。
なまじ普段から半眼である彼女の顔からは、一切の感情が読み取れない程の無表情ぶりであった。
「ふん……中々に上玉じゃねぇか? こりゃあ、ちょっとは上乗せしてやらねぇとなぁ」
そんな視線を向けられても、男にとってはどこ吹く風。
ダンメルはアエッタを値踏みすると、彼女の両親と思しき男女にそう声を掛けた。
それがまるで魔法の言葉だったかのように、二人の顔に笑みが浮かび上がった。
それは先程彼等が浮かべていた笑みと対を成す、何ともいやらしく醜悪な笑顔だった。
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