応援コメント

嫌忌なる存在」への応援コメント

  • まあ、うん。
    ありがちな話かもしれんが、やるせないですね。

    しかし両親の本音って、どんなもんなんだろう。
    一家が生きるために口減らしはやむを得ないことなのかもしれないとして、山の中で娘が死ぬのと、女衒に売り渡すとしても生きていてくれるのと、どっちがいいんだろう。

    ましてや本人の方は、山の中で野犬に襲われるか飢え死にするのと、どんな形でも生きているのとどっちがいいのか。

    わからんなあ。
    自分がそうなってみないとわからんのだろうなあ。
    それとも、私の想像力やモラルの欠如なのか……。

    作者からの返信

    うむ。
    決して想像力やモラル云々の話ではありません。
    この物語中では、アエッタの両親はこうだった! ……と、作者である響さんが決め打ちしているだけの話です。

    現実問題としては、人間には良心が備わっていますので、山に捨てる前に里子に出すとか、それこそ人の世界で生きれる様に奴隷として売るかもしれません。
    それは親の子を思う良心に従って……ね。

    更に突き詰めれば、もっと多様な事が考えられます。
    それこそ響さんでは想像もつかない様な、画期的な方法があるかもしれません。
    正しく「事実は小説より奇なり」かも知れません。

    ただしそこに囚われていては、作者は物語を進められません。
    例えば「ラッキースケベハーレム」を物語として進めている場合に、そんなに都合よく美少女とウハウハなんて……とあるかもしれません。
    10人中10人がそう考えても、作者はその態で話を進めなければなりません。
    でなければ、小説とは当たり障りのない、平々凡々としたものになり兼ねないからです。
    やや例えが突飛でしたが、少なくとも話を進めるに際して、ここに登場するアエッタの両親は……こういう親だったと言う事です。
    子供を山に置き去りにしたが、その後に現れた奴隷商を見て、急遽アエッタが必要になった。
    勿論、アエッタの事を思ってでは無く、アエッタを売ってお金にする為です。
    登場している両親はその事しか考えておらず、アエッタの事など微塵も考えていないと言う設定なのです。
    これは道徳やらモラル、常識では無く、ストーリー上こうでなくてはならない、必要だと思った事でした。
    他の設定にしたなら、それは響さんの話では無くなってしまいます。
    これはこのまま進んで行きますが、読まれていて気を悪くしたのならば申し訳ない。

    良くも悪くも……こんな作品を書くのですwww響さんはwww