メルルの玩具
夜も更け、アエッタは焚火の傍で小さな寝息を立てている。
そしてメルルは、時折そんなアエッタに目を遣りながらも、静かに読書を楽しんでいた。
パチパチと
さて、流石のメルルと言えども、結界無くしては寝込みに襲われようものならば一溜りも無い。
それが賊であっても、猛獣であったとしても同じ事だ。
不老であっても、メルルとて不死では無い。
攻撃を受け、それを防がなければ場合によっては死に至るのだ。
故に今、メルルの周囲には防御障壁が張られている。
メルルにしてみれば形成し続ける事など造作も無い程度の、それ程強く作り出している障壁ではないのだが、余程の事でも無ければその結界を破る事など不可能と言って良い代物だった。
では何故、昼間は無防備とも言うべき状態で過ごしていたのか。
それは、高確率でその様な事態が起きない事を……知っていたからだった。
メルルの“
稀代の占い師としてエルス達を占い、彼等の旅でも大いに役に立ったのだ。
その彼女が、この地に降り立つ前に占っていたのだった。
―――自身の身の安全を……。
メルルが自身を占った結果、「彼女自身の命を脅かす存在は目の前に出現しない」……と出たのだった。
つまり彼女が起きている間は、例え結界を解いていたとしても問題ない。
彼女の身に危険が降りかかる事は無いと言う意味だ。
メルルはその占いを疑ってはいない。
だから昼間は刺客と遭遇する等、一切考えていなかったのだ。
もっとも、もう一つの占い結果には些か疑問を持っていたのだが……。
ただしそれも、眠っている時ともなればその限りでは無い。
目を瞑っている状態なのだから、刺客や猛獣が目の前に現れても気付けないのは当然、襲われる可能性だってある。
目の前……と言う意味は、本人の見ている前で……と言う意味もあれば、その者のすぐ前で……と言う意味も含んでいるのだ。
「う……ん……」
アエッタが寝返りを打つと同時に薄っすらと目を開き、その視線がメルルと合った。
まだ夜も更けて間もない。
子供が体を起こすには、まだまだ朝は遠いのだ。
「なんや……起きてもうたんか?」
しかしアエッタは、自分を見つめるメルルの視線に何事かを思ったのか、眠そうにしながらも体を起こしたのだった。
「……メルルさんは……まだ寝ないんですか……?」
クシクシと目をこすりながら、アエッタはメルルにそう質問した。
大人と子供では、眠りにつく時間からして違って当然である。
それでもアエッタがそう質問したのには訳があった。
―――暇つぶし相手が見つかった……。
メルルはアエッタにそう言ったのだ。
夜が明ければどんな事をするのか、アエッタには何も知らされていない。
それでも、少なくともメルルが退屈しない様な事をするだろうと想像するに難くないのだ。
アエッタは正確にその事を汲み取っており、正しくその事を指摘していた。
明日楽しむ為の体力を温存しておかなくて良いのですか……と。
「ほんま……
自分がどの様な事をされるのか想像もつかないだろうに、それでもそれを実践するだろうメルルの事を気に掛けるアエッタに、メルルもまた苦笑しながらそう言った。
「……あれ……? メルルさん……この周り……」
その時、アエッタが何かに気付いたのか、周囲を見ながら不思議そうにそう呟いた。
「……んん? アエッタ、お前……この障壁が見えるんか?」
アエッタの言葉に、メルルのメガネがきらりと光り、その内側の瞳が鋭く煌めいた。
「え……? はい……。何だか不思議な……透き通った緑色の壁に囲まれているみたいです……」
アエッタの興味は魔法で作られた障壁に向いており、その壁を触ろうかどうしようか手を出したり引いたりしている。
「へぇ―――……色まで分かるんかい……」
メルルの声は深く冷たく沈んでいる。
ただその声音は、彼女が意図してのものでは無かった。
それは彼女が驚きの上に驚きを重ねた結果、強く自制心が働いた結果であった。
魔法の障壁を何の訓練も受けていない者が見る事が出来ると言うのは、殆ど才能と言って良い。
魔法を知り、魔法を学び、魔力を自覚して初めて、魔法と言う物を視る事が出来るのだ。
それでも、現実に影響を及ぼす様な事象ならば誰でも見る事が出来る。
例えば炎を顕現したり、氷塊を撃ち出したり、竜巻を巻き起こし地を割ると言った事ならば、魔力に関係なく視認できる。
しかし純粋に魔力だけで造られた魔法……。
魔力の障壁や魔法の矢等は、それを知覚できない者には不可視の現象なのだ。
「は……はい……。あの―――……メルルさん……?」
明らかに雰囲気を変えたメルルに、アエッタは振り返って恐々とそう話しかけた。
不可視である筈の魔法障壁を視ただけに留まらず、アエッタはその色まで言い当てたのだ。
そんな事はエルスにも不可能だ。
更に付け加えれば、アルナを始めとした元勇者パーティの面々ですら無理だった。
それが出来るのは……。
「ああ、悪い悪い。何やおもろなって来てつい……な。今日はもう遅いし、ウチも寝るわ」
メルルはそう言うと、目で「あんたも寝ぇや」と告げる。
メルルの雰囲気に何かを感じ取っているアエッタだったが、特に何も言う事無く体を横たえたのだった。
そしてメルルも、その顔に笑顔を浮かべたまま眠りについていた……。
翌日早朝……。
メルルは、今度は無差別にと言う事はせずに魔法を使って獲物を仕留めてきた。
勿論それは、アエッタを気遣っての事である。
メルルの持ち帰った獲物を調理しそれを朝食としながら、メルルはアエッタに話し掛けた。
「あんたには今日から、魔法の手ほどきをする。アエッタ、あんた……魔法に興味あるか?」
そう問われてアエッタは、少し考え込む様な素振りをしたものの、小さく首を横に振った。
「そうか―――。魔法ってやつ自体を知らんかったら、そら興味もへったくれも無いか―――……。まぁ、あんたが魔法に興味があろうと無かろうが付き合ってもらうつもりやったけどな。興味はこれから持ったらええ」
つまりそう言う事だ。
メルルの暇つぶしとは、たまたま見つけたアエッタを玩具にして時間を潰す……と言うものだったのだ。
勿論、少女の生命に関わる程の事はしない……とは思われる。
それでもメルルが飽きるまで……長くても10日間、様々な事柄に付き合わされる事が……決まっていたのだった。
少なくとも、メルルの中では……。
メルルの意図を正確に読み取っているアエッタは、何とも複雑な表情を浮かべていた。
メルルは命の恩人だ。……形の上では。
命を救ってくれたメルルの言葉を、アエッタは拒否しようなどとは微塵も考えていなかった。
しかしメルルの瞳に時折宿る嗜虐的な光を見る度に、自分がどうなるのかと言う事を考えずにはいられなかった。
朝食を採りつつ、アエッタは未知なる「魔法」と言うものに少しずつ興味を抱きつつも、どの様な事を課せられるのかと言う不安にも苛まれていたのだった。
「ほんまは座学から始めて、順を追って説明して行くんやけど……」
朝食を終えたメルルとアエッタは、暫しの休憩の後に早速講義を始めていた。
勿論これはアエッタが特に望んだ訳でも無い、殆どメルルの押し付けの様な講義なのだが。
「時間がない。だから早速実戦に移る」
何とも大雑把な進め方だが、それでもアエッタは不満を口にする事無く頷いて同意した。
アエッタも、元より拒否権は無い……と考えるどころか、最初から拒否しようと言う発想すら持っていなかった。
親から捨てられ、死しか待っていなかった彼女の命を救ったのはメルルなのだ。
今の彼女にはメルルしかおらず、そのメルルの言う事に逆らうなど発想にすら浮かんでいなかった。
「まずは自分の中に魔力を自覚してもらう……ええな」
良いかどうかと問われた所でアエッタには応えようも無いが、それでも彼女は頷いて答えたのだった。
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