白い髪の少女
湖に放り込まれた子供に引き続き、あっという間に衣服を脱ぎすてたメルルが飛び込んで来た。
「お前一体……何日体洗ってへんねん! 臭いがこびりついてんで」
浮き上がって来た子供だったが、追撃を掛けてきたメルルに頭を抑えられて再び水中にやられてしまった。
勿論、メルルはそのままその子供を溺死させる……等とは考えておらず、すぐさま子供も頭を持ち上げて呼吸を確保していた。
それでもその子供に動揺した様子もなければ、泣きわめくと言った事も、文句を言う様な素振りさえ伺えなかった。
「ほんっま、可愛くない子やな―――……んん? なんやお前……女の子やったんか?」
メルルがそうぼやきながら子供の……少女の衣服を脱がせる。
衣服……と言うには余りにもボロボロの……粗末と言って良い麻の服を脱がしたその下には、がりがりに痩せてはいるものの明らかに少女の肢体が現れていた。
月明りの中、メルルがその子の顔を見つめる。
よくよく見ればその少女は、どこか整った顔立ちをしている。
それでもそれがすぐに分からなかったのは、顔と言わず体中が泥だらけであり、日に焼けた肌は所々に白く残る傷跡が見受けられたからだ。
言うなれば……全体的にみすぼらしかったのだ。
「まぁ……家庭の事情って奴やな―――……」
メルルは持ってきた石鹸を使い、顔と言わず体と言わず髪と言わず……その少女の全身を洗い出した。
その間もその少女は、身動(みじろ)ぎ一つせずに為されるがままだった。
まるで……ジッとしている事が当たり前だと言うように……。
抵抗などしてはいけないと考えているように……。
そこから二人は、無言のままの時を過ごした。
「ふぅ―――……さっぱりした。お前もさっぱりしたやろ?」
そう問われてその少女は、小さく頷いただけだった。
焚火の下で改めて見たその少女は、非常に興味深い容姿をしていた。
特に目を引くのは彼女の美しく……真っ白な髪だった。
先程までは薄汚れて灰色ともまだらともつかない髪だったが、すっかり洗い流されたその髪は焚火に照らされて純白色を反射させていた。
そしてその瞳は……黒。
髪の色とは真逆と言って良い、漆黒の色を浮かべていたのだった。
「あんた……名前は?」
メルルに名を聞かれた少女は、彼女から貸し与えられた服を気にしていたが、改めてゆっくりとメルルへ視線を向けた。
「……アエッタ……です」
アエッタは物怖じする事も無く、淡々とそう答えた。
メルルが見た処では、アエッタは未だ10歳にもなっていない、まだまだ幼いと言っても良い年齢であると思われた。
それにも拘らずこの落ち着き様である。
メルルの興味は更に膨れ上がっていた。
……もっとも、彼女自身にでは無く、彼女の性格に……だが。
「そうか―――……んじゃあアエッタ。ウチの事はメルルって呼びぃ」
メルルの返答に、アエッタはまたも小さく頷いて了承するだけだった。
「腹減ってるやろ? ここに有るもん、好きなだけ食ったらええわ」
アエッタの目の前には、串刺しにされた兎と魚と鳥が、殆ど丸焼き状態で焼かれている。
他に近くで手に入れた果物等もあり、かなりの量の豪華な食事と言えた。
「……いいの……ですか?」
食事を勧めるメルルに対して、子供らしからぬ遠慮を見せるアエッタに、メルルはニィッと笑いを浮かべた。
「ああ、ええでぇ―――。タップリ食い―――」
念を押すアエッタに、メルルは鷹揚に了承した。
それを窺って、アエッタは漸く目の前に付き刺されていた鳥の串焼きを手に取ると、ゆっくりと口に運んだ。
「……美味しい……です」
僅かに……ほんの僅かに微笑んだアエッタがそう感想を言った。
それを聞いたメルルも満足そうに頷いて、自分も兎の丸焼きを頬張った。
「アエッタ、何であんたは此処に居ってん?」
食事を摂りながら、手を止める事も無くメルルはアエッタに質問した。
それに対してアエッタもまた、手を止める事無く淡々と答える。
「お父さんと……お母さんに付いて来るように言われて……気づいたら一人になっていました……」
これが街中ならば「何だ、迷子か……」で済む話だろう。
だがここは深い森の中。
うっかり……や間違って……で訪れる様な場所では無い。
そして両親が付いていたならば、子供が自分達の元を離れると言う異変に全く気付かないのもおかしな話だった。
そこから考えられる事は……一つだ。
「なんや、口減らしかいな」
メルルはアエッタに気遣う事無く、詰まらなさそうにそう呟いた。
それを聞いたアエッタに……変化はなく、またしても小さく頷いたのだった。
「なんやあんた、分かってて付いて来たんか……。ほんまに動じひんやっちゃなぁ―――」
この時代、貧しい家の子供が「間引き」される事は珍しい話では無い。
子供はただいるだけで、大量の食事を必要とする割に、労働力としては数に入らない。
そんな事は当たり前の話で、何事につけても非力な子供が大人と同じ労働力となる事は無いのだ。
それでも1人2人ならば、将来の労働力として養って行くだろう。
重労働を仕事としている家庭……それこそ農家ならば、人手はどれだけあっても困らないのだ。
また、自分達が動けなくなったら……いや、子供が一端の労働力となった時に楽をする為、将来の投資として育てる事も考えられる。
それでも「現在」の経済状況を鑑みて、そんな子供を「捨てる」親もいる。
将来の投資をしているつもりで、今の自分達が飢えて死んでしまっては本末転倒なのだ。
「……あたしは一番おねえちゃんで……すぐ下の妹があたしと同じ事が出来る様になって……あたしはいらなくなったの……」
今現在家計が苦しければ、出来るだけ上から切って行く。
問題の先延ばしとも考えられるが、それもまた仕方の無い事であった。
「へぇ―――……状況も理由も分かってるんや? それやったら、家族の中でも上手く立ち回れたんとちゃうんか?」
アエッタはかなり頭が良く回転の早い子供だとメルルは考えた。
そんなアエッタならば、自分がこの様な状況にやられる前に対処出来たのではないかと考えたのだ。
しかしアエッタは、首をゆっくりと横に振って答えた。
「そしたら……妹や弟が私の代わりになるだけ……です……」
「じゃあアエッタ、あんたは弟や妹の為に、身代わりになったっちゅーんか?」
アエッタの答えに、メルルは更に質問を返した。
子供相手に些か大人気ない様でもあるが、興味を剥き出しにしている今のメルルにはどんな静止の言葉も通用しない。
「もし連れ出されたのが弟や妹でも……次はあたしかも知れないし……その次かも知れない……それに……」
確率の問題として、確かに今回はアエッタでは無かったとしても、次は彼女かも知れないと言う考え方は間違っていない。
それが弟妹のいる間、ずっと続くと考えれば気も滅入るだろう。
そしてアエッタの話は、まだ続きがあったのだ。
「……あたしなら……頑張って生きられると……思って……」
「ブハッ!」
アエッタの最後に付け足された台詞を聞いて、メルルは思わず吹き出していた。
このどこかノホホンとおっとりした少女が、どうやってこの森の中で生き残ると言うのか。
それを考えれば、メルルが吹き出すのも頷けると言うものだった。
だがアエッタの瞳に、笑いの要素は含まれていない。
彼女は彼女なりに……真剣だったのだ。
「なんや、冗談とちゃうんかったんかいな」
そう零すメルルに、アエッタは沈黙ながらも肯定している。
メルルは益々、アエッタに興味を抱いていた。
「まぁええわ。ウチも暇つぶし相手が欲しかったところや」
食事を終えたメルルは、デザートとして果物をかじりながらアエッタに舐める様な視線を向けた。
そしてアエッタは。
この時初めて、緊張に表情を強張らせて体を固くしたのだった。
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