……出……会い……?

 カナン、シェキーナ、べべブルを送り出したメルルは、ここで一先ずお役御免となった。


「……さ―――て……。ウチの役目も当分は無いな―――……どないしよ?」


 そう独り言ちたメルルだったが、本当にすべき事が無いのが実状だった。

 彼女には魔界に帰れる状態を維持する必要がある。

 他の3人の様に暴れに行ったのでは、場合によっては帰れなくなると言う事も十分に考えられた。

 故にメルルは今回、何処にも行かずにこの「陽動作戦」も不参加と言って良いのだ。

 これからの1週間……いや、長くて10日間。

 彼女が注意すべきは「誰にも見つからない」と言う事だけだった。

 

 昼なお薄暗い、深い森の中……。

 これがシェキーナならば、身を隠す事など容易たやすい事である。

“森の精霊”と呼ばれるエルフであるシェキーナにとって、森の中は正しく彼女のテリトリーに他ならない。

 人の接近を察知する事も勿論、森の中に溶け込みやり過ごすなど造作も無い事だった。


 しかし、メルルにとってそれは容易と言える事では無い。

 彼女は魔法使いであり、人から身を隠す術に長けているとはお世辞にも言い難いのだ。

 勿論、魔法には姿を隠すものもいくつか存在する。

 その魔法を使えば、接近者をやり過ごす事も不可能では無い。

 また、視力に特殊な魔法を掛けて暗闇でも見える様にしたり、広大な結界を張れば接近する者を事前に察知する事すら可能だろう。


 ―――だが、どれも現実味に欠ける案だった。


 そんな事は少し考えれば分かる事で、四六時中魔法を掛け続ける事はあらゆる意味で無意味であり不可能なのだ。


 魔法を使えば魔力を消費する。

 そして魔力は有限であり、いずれ底をつくのだ。

 それは世界随一の魔法使い……「大賢者」メルルであっても同様であった。

 メルルの魔力保持量を考えれば、多少の魔法を使ったとてそれがすぐに尽きると言う事は考え難い。

 しかしそれが幾日も続くとなれば話も変わるのだ。

 一日中……最大10日間も魔法を使い続ければ、彼女の魔力が激減する事は勿論、魔界へと帰る為の魔力を残しておく事も難しいかもしれなかった。

 

「へぇ―――……こんなとこに、こんな湖があるとは思わんかったなぁ―――……」


 だからと言って、メルルが一つ処に留まって息をひそめて隠れるなどある訳がない。

 周囲を散策しだしたメルルは、暫くして人の手が加わっていない美しい湖を見つけたのだった。

 

 メルル自身は、野宿や野営を別段、苦にしている訳では無い。

 最大10日間のサバイバルぐらいならば、難なく過ごす事が出来る。

 それは、エルスと旅を始めてからの数か月を野外で暮らした事実に照らし合わせれば自明だった。

 生活能力が極端に低かったエルスの生命線は、紛う事無くメルルだったのだ。


「ここやったら飲み水にも水浴びにも困らんなぁ―――……。よっしゃっ! ここにしよっ!」


 メルルは木陰の下に出来た、僅かな芝生の上を寝床と定めて、持ってきた道具を広げだした。

 その様子は、まるでピクニックにでも来ているかのようである。

 これでは到底、「潜む」とは程遠い。

 そしてそれは、正しくその通りであった。

 メルルに、10日間も息をひそめて隠れ過ごす気など毛頭なかったのだった。

 

 彼女の魔法力を以てすれば、例えアルナやシェラ、ベベルやゼルが現れても互角以上に渡り合う事が出来る。

 仲間の事を考えずとも良い戦闘と言う事を考えれば、もしかすれば圧倒するかもしれない。

 強大な魔法を惜しげもなく使い、遠距離攻撃に徹する事で相手を寄せ付ける事無く攻め続ける。

 それだけで殆どの相手を翻弄し倒す事も不可能では無いのだ。

 そんな彼女が、接近者に見つかって……いや、接近者を見つけて、あっさりと見逃すはずはない。

 メルルにとって自分を探す接近者は、そのまま自分が見つけた不審人物として始末する事が出来るのだ。

 故に、彼女の事が広まる事は無い。

 些か強引であってもメルルはそう考えており、着々と野営の準備をし出したのだった。




 持って来ていた本を読んでいる途中、メルルのページをめくる指が……止まった。


「……お腹……空いたな……」


 メルルの呟きと同時に、彼女の腹部からは「お腹空いた」と言う音が鳴り響いたのだった。

 寝そべっていたメルルは上体を起こして空を見上げる。

 木々の切れ間から見える空は茜色をしており、今が夕刻であると物語っていた。

 

「ちょっと早いけど……晩御飯にしょうか―――……」


 メルルはその場に立ち上がり、軽く伸びをした。

 夕暮れを迎え、更に濃くなった深緑の匂いが彼女の肺一杯を満たす。

 それを満足そうに吐き出すと、メルルはおもむろに呪文を唱えだした。


眠りのクバレ大気よアエラス……周囲に満ちよヴァダヴァロート! 眠りの雲スリープクラウド!」


 詠唱を完了すると同時に、メルルの周囲に薄く白いもやが一斉に沸き立った。

 魔法としては初歩の初歩、「眠りの雲」の呪文だった。

 その名の通りこの魔法は、効果範囲に巻き込まれた動物を無差別に眠らせる効果がある。

 本来ならば対象を設定してその者の周りだけに発生させる眠りの霧を、メルルは指向性を持たせず周囲一帯へと放ったのだった。


 ―――その結果。


「おおっ!? 結構大きい魚まで浮かんできおったっ! んん……? あそこに倒れてるんは……ウサギや! 鳥もおるっ! ラッキーッ!」


 効果範囲に巻き込まれた原生動物たちが次々に眠りへと付き、メルルの夕食となる運命になったのだった。

 メルルは目の前の湖へローブをまくり上げて入り、浮かんでいた魚を捕獲、更に茂み付近で倒れていた兎をもゲットしたのだった。

 

 もっとも……獲物はそれだけでは無かった。


 ……いや……この場合は……被害者か。


「こら―――どう見ても……人族やんな―――……」


 兎を右手に、魚を左手に持ち、メルルは眼下で眠る一人の子供を見つめていた。

 僅かに胸が上下している事を考えれば、その子供が眠っている事に間違いはない。


「やっぱり……ウチの魔法で眠ってもうたんか……?」


 そしてこの段階では、その子供がここで眠っていただけなのか、メルルの魔法に巻き込まれたのかは判別付かない。

 ただし常識的に考えて、人も入り込まない様な深い森に子供が一人でやって来るとは考え難い。

 ましてやそんな森で、呑気に居眠りをする事など論外だ。

 この森には人を平気で喰らう猛獣も少なからず生息しているのだから。

 僅かに寝息を立てる子供を、メルルは眼鏡を光らせて何時になく凝視していた。


「………………?」


 そう独り言ちたメルルは、手にした獲物を一旦野営地へと持ち帰り、次いで眠り続ける子供を連れ帰ったのだった。




「う……ん……」


「お―――起きたか―――?」


 それからしばらくの後、眠っていた子供が目を覚ます。

 寝惚けているのか、背後からとなるメルルの不意に掛けられた言葉を聞いても、驚いた様子は見せなかった。


「……おねえちゃんは……誰……?」


 眼が冴えてもそうなのか……それとも未だに眠いのか。

 ゆっくりと振り返ったその子供は、半眼と思しきまなこでメルルを見てそう言った。


「なんや、動じひん子やな―――……。おねえちゃんはなぁ……魔女やで―――」


 キラリと眼鏡を光らせ、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて、焚火で今晩の食事を調理しながらメルルはそう答えた。

 子供にとって、魔女と言う言葉ワードは……恐怖の象徴だ。

 親は、子供をしつけるに際して、事ある毎に「魔女」と言う言葉を使う程、この世界で恐怖の代名詞となっている。

 すっかり周囲も暗くなった森の中……。

 メルルの言葉はその容姿も相まって、到底冗談には聞こえない筈だった。


「……ふ―ん……」


 しかしその子供は、然して驚いた様子も怯えた風も見せず、まるで他人事の様にそう相槌を打った。


「なんや……ほんまに動じひん子やな―――……」


 その返答を受けたメルルは、それはもう楽しそうにニシシと笑い出しそうな笑みを浮かべた。

 

「まぁ、お前には色々と聞きたいとこやけどその前に……」


 子供の返答を聞いて何かを話そうとしたメルルだったが、言いかけた言葉を止めた彼女は鼻をひくひくとさせて臭いを嗅いだ。


「お前……めっちゃ臭いやんけ。飯の前に、先に水浴びや」


 そう言って立ち上がったメルルは、その子供の襟首をむんずと掴むと、そのまま引き摺る様に目の前に広がる湖まで連れて行き……。


 豪快に放り投げたのだった。

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