人族の少女

 俺の目の前には、目を潤ませて怯えたような表情の娘っ子が、座ったまま俺を見上げて固まってるだら。

 俺が声を掛ける直前まで、一心不乱に俺の用意していた兎の肉を食っとったんだらな―――……。

 食ってた姿……そのままの姿勢で止まっとるだら。


「あ……あの……」


 何とか声を出そうと頑張っとるだら、声が震えて言葉になって無いだら。

 

 ―――しかし……困っただらな……。


 俺ぁ、子供に飯を食われたぐれぇで、この娘っ子をどうこうしようって気は無いだら。

 だどもこの娘っ子は、今にも悲鳴を上げようとしてるだら。

 そうなったら、この近くにいるだらこの娘っ子の親なり同行者なりがここにやって来るだらなぁ……。

 したら俺ぁ、この場から退散せんといかんだら。

 ここで無用な戦闘やら殺戮をするのは、全く以て無意味だら。

 俺がどうしたものかと思案しとったら……。


「あの……ごめ……ごめんなさい!」


 娘っ子は叫び出すんでもなく、俺にそう謝っただら。

 俺ぁビックリしちまって、逆に動きを止めてしまっただら。

 

 見るからに魔族……醜い俺に、暗い山で声を掛けられれば大抵の奴ぁ大声を上げて叫んじまうだら。

 それが、勝手にねぐらを漁ってる奴だって例外でないだら。

 それがどうだ?

 この娘っ子は叫び出すどころか、俺を前にして謝ったんだら。


「……腹ぁ……減ってるんだらか?」


 俺がそれだけを娘っ子に問いかけた。

 娘っ子が手にしているのは、俺が焼いていた兎の丸焼きだら。

 それにかぶりついて無心に食っとったとこを見れば、腹が減っとるんは簡単に想像出来るだら。

 それに、かなりビックリした筈なのに、娘っ子は確りと肉を突きさしてる棒を握って離そうとせんだら。

 

「……え!?」


 娘っ子は俺の問いに、驚いた表情を浮かべてるだら。

 きっと怒られるって思ってたんだらなぁ……。


「腹……減ってるんだら?」


 俺ぁ、もう一回同じ問いを娘っ子にしただら。

 したら娘っ子は、首をブンブンと上下させて肯定しただら。

 その必死な表情に、俺ぁなんだか微笑ましくなっちまっただら。


「そうか……なら、好きなだけ食えば良いだら。俺ぁ、も一回飯を獲って来るだら、お前ぇは食ったらとっとと帰るだら……良いな?」


 俺の話を呆然と聞いてる娘っ子が、その言葉をちゃんと理解出来てるんか分からんかった。

 だども俺ぁ、それ以上娘っ子に何か言う訳でも無く、クルリと向きを変えてもう一回森の中を目指して歩き出しただら。

 とりあえず、追加で獲物でも捕まえて晩飯の支度して、それからこの後の事を考える事にしただら。

 あの娘っ子は俺が戻れば多分居らんだら。

 きっと、自分の家なり両親の元に帰ってる筈だら。

 そしたらあの娘っ子の口から、俺の事が知れるんも時間の問題だら。

 とりあえず腹ごしらえ。

 それから、移動する事にするだらか……。

 ゆっくりするつもりだっただら、今夜は夜通し走った方が良さそうだらなぁ……。

 俺ぁ、溜息を吐きながら2回目になる今夜の晩飯を探し求めて夜の森を彷徨っただら……。




「……なんだ……まだ居っただらか」


 戻って来て驚いたんは、娘っ子がまだ俺の塒に居ったっちゅー事だっただら。

 てっきり俺が去ったと同時に逃げてるかと思ったけんど……。

 この娘っ子はバカなんか、肝が据わってるっちゅーんか……。

 俺が用意した飯は、全部綺麗に平らげてるみたいだら。

 お腹が膨らんで落ち着いたんか、娘っ子はさっきと違って怯えた様子もおどおどした感じも見せんかっただら。


「あの……ごちそう様でした! その……とってもおいしかったです!」


 座ったままだっただら、娘っ子はそう言うとぺこりと頭を下げただら。

 見た感じはまだ幼いっちゅー感じが抜けとらんが、実は案外確りしとるんかも知れんの―――……。


「そうか……それは良かっただらな。腹が膨れたんなら、早く家に帰るとええだら。父ちゃんも母ちゃんも心配してるだら」


 俺ぁ焚火を挟んで娘っ子の向かいに腰を下ろすと、獲って来たネズミの皮を剥ぎながらそう言っただら。

 まぁ、この娘っ子に家族がおるんかどうかは知らんが、子供を追い返すにはこういう言い方が良いに決まってるだら。

 ……ってゆーか、こういう言い方以外を知らんのだけどな……。


「……うん……」


 俺の言葉を聞いて、娘っ子は何だか気落ちしたみたいに小さな声でそう答えただら。

 何だ……?

 俺ぁ、何か聞いたらあかん事でも聞いてしまっただらか?

 もしかすればこの子の両親は死んでしもうて、もういないんかも知れんなぁ……。

 したら可哀想な事を聞いたかも知れんが、そんな話は珍しくないだら。

 悲しみを乗り越えるのに、娘っ子はまだまだ経験も年齢も不足しとるかも知れんだら。

 だども、そんな事に関係なく、試練を乗り越えるんは誰でもない、自分の力でしか出来んだら。

 俺もそうやって成長して来ただら。

 この娘っ子にそれが出来るかどうかなんて分からんだら、俺が何とかしてやれる事なんか無いだら。

 

「……娘っ子……お前ぇ、名前は何て言うだら?」


 何だか沈んだ空気を変えようとして、俺ぁそんな質問をしてみただら。

 沈黙ってぇのも俺ぁ気にならんだら、目の前で娘っ子が暗い顔してたら、折角の飯がまずくなるってもんだら。


「あ……あの……サ……サーシャ……」


 娘っ子……サーシャは、やっぱり言葉を詰まらせながら自分の名前を言っただら。

 そんでもそれは怯えてるって感じじゃ無くって、俺の様子を伺いながら……って感じだっただら。

 

「そか……サーシャ……俺ぁ、べべブルっちゅーだら」


 サーシャが自分の名前を言ったんで、俺も名前を言って聞かせただら。

 本当は偽名を使ってもいいだら、こんな所でこんな子供に嘘の名前を言う必要も無いだら。

 最初から姿を変えて……エルス様の姿で現れても良かったんだら、こんな場所に「勇者エルス」が現れたって噂されるのは不味いだら。

 追われている筈の「勇者エルス」は、突然西の都に現れて忽然と姿を消す……それがメルル様の考えた策だら。

 そうする事で捜索を混乱させて神出鬼没感を出して、俺が逃げるんも簡単にするっちゅーすんぽーだら。

 

「ベベ……ブル……。ベベおじちゃんね?」


 おじ……!?

 俺ぁ、「べべおじちゃん」なんて呼ばれ方されたんも初めてで、絶句しちまっただら。

 何より……。

 おじちゃんは……きついだらな―――……。


「まぁ……それで良いだら。それよか、俺がこれ食ったら、お前ぇの家まで送ってやるだら。ちょっと待ってろだら」


 俺は気を取り直して、焼き上がったネズミにがぶりとかぶりついただら。

 近くに親が来てるんかどうかは知らんだら、暗くなっちまった山林の中をサーシャ一人で返す訳にはいかんだら。

 夜の森っちゅーのは、どんな危険があるか分からんだら。


「うん……えと……あのね……」


 俺の提案を聞いて、サーシャが言葉を詰まらせながら何かを話し出しただら。

 俺が怪訝な顔をサーシャに向けてると、サーシャは何やら言いにくい様に話を続けただら。


「あの……もし良かったら、今日はここに泊まっても良いかな……ベベおじちゃん?」


 俺ぁ、食ってた肉を噴き出しちまうくらい驚いただら!

 サーシャは一体、何を言い出すだら!?

 俺に驚いて怖がるっちゅーんならまだしも、ここで一緒に泊まりたいっちゅーんか!?


「お……お前ぇ、家の者は心配しないだらか!? それにお前ぇ……俺が怖くないんだらか……?」


 逆に俺が動揺しちまっただら。

 サーシャに反論する声も、思いのほかアタフタしちまったものだっただら。

 

「……怖い……? サーシャ、ベベおじちゃんの事怖くないよ?」


 ケロッとした顔で、サーシャはそう答えただら。

 まったく……子供っちゅー奴は、何でこう物怖じしないんだらか?

 それに、アッサリと俺の事を信じるっちゅーのも信じられんだら。

 魔界じゃあ、子供でもそう簡単に他人には打ち解けないだら。

 人族の子供には、警戒心っちゅーもんが無いんだらか?


「それに……サーシャね……お父さんとお母さんのところには帰れないの……」


 サーシャは、さっきまでとは打って変わって暗い顔で俯いてそう話しただら。

 子供がそんな顔で俯くんは、何とも心苦しいもんがあるだら。

 サーシャにはサーシャの悩みっちゅーんがあるんだらなぁ……。


「サーシャ……サーシャね……逃げてきたの」


 何とかそれだけを絞り出したサーシャの眼には、また涙が零れんばかりに溜まっとっただら……。

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