別れた道、交わらぬ想い

 動けずにいるラフィーネの眼前で、弓矢を番えたシェキーナの指が僅かに動いた。

 その直後、ラフィーネの後方で巨大な破砕音が響き渡った。

 緩々と音の方へ振り返ったラフィーネと、エルフ達の叫声が聞こえたのは殆ど同時だった。


「きゃああぁぁっ!」


「うわああぁぁっ!」


「う……あ……」


「し……下敷きになった者を早く……早く助け出せっ!」


 シェキーナの放った矢は村の門を破壊したに留まらず、更に後方にある家屋をも爆砕していた。

 門の傍らで待機していた守護兵達と、その家に暮らしていた者達が崩れた木材の下敷きとなり、悲鳴を上げる者、苦痛の声を洩らす者、そしてその者達を助けようと怒号を上げる者たちとで阿鼻叫喚の様相を呈していた。


 それだけではない。


 矢が通過したのは、ラフィーネの顔よりも腕1本分は離れた所。

 それにも拘らず、彼女の頬には鋭利な切り傷が付けられ、血が噴き出していたのだった。

 ラフィーネは惨状を目にしながら、頬を濡らす血液を指で拭い、呆然とそれ等に目をやっていた。

 緩慢な動きのラフィーネは、それらをまるで他人事の様に見つめている。

 まるで現実感の無い、何処か異国での出来事と感じている様でもあった。

 

「……なんだ? この上族長の責務も放棄するのか?」


 その声に導かれ、ラフィーネは再びシェキーナの方へと視線を向けた。

 その瞳には気力が籠っていない。

 呆れ顔のシェキーナだったが、ラフィーネの余りにも覇気の無い様を見て、その表情に苛立ちを浮かべる。


「エルフの矜持も捨て、人族の狗になり、この上責任も放棄する……本当にお前には生きる価値がないな」


 そしてシェキーナが二の矢を番える。

 ラフィーネにはその言葉に反論する意気が無い。

 ……いや、反論出来る材料を持ち合わせていないのだ。


「……仕方がないな……。これはせめてもの、肉親の情だ。私の手で葬られて逝くが良い」


 この時初めて、シェキーナの瞳には僅かに優し気な光が灯った。

 もっとも、その言葉を……瞳を向けられているラフィーネは、その事に全く気付いてはいないのだが。

 シェキーナの弓が最大まで引き絞られる。

 先程の威力で射抜かれたなら、ラフィーネの身体は痛みを感じる事も無く爆砕し果てる事になるのは疑いなかった。


「ぞ……族長っ!」


「ラフィーネ様っ!」


 しかし、そうはならなかった。


 ラフィーネの背後から、無数の声が彼女へと掛けられたのだった。

 半ば思考を停止していたラフィーネの耳に、その声がハッキリと飛び込んでくる。

 聞き知った……愛すべき一族の声を聞き、彼女の思考が急激に覚醒していた。


「……これで、重荷からも解放されるわ……さようなら、ラフィーネ」


 甘く……優しい言葉と共にシェキーナの指が僅かに動き、矢が放たれる。


木の精ドライアドッ、風の精エアリアルッ、土の精ノームッ!」


 その刹那に、ラフィーネは精霊語でそう叫んだ。

 それと殆ど同時に、無数の巨大な木の枝がラフィーネを護る様に彼女の前で折り重なり、迅旋風が巻き起こり、土が盛り上がり壁を作った。

 ラフィーネの矢は巨木の枝を打ち砕き突き進むも、強烈な風に勢いを殺され、最後には土で出来た障壁に突き刺さって止まったのだった。

 同時にラフィーネは、崩れた門の前にも樹枝による防壁を作り上げていた。


「……ほう」


 それを見たシェキーナは、感嘆の声を溢す。

 並の精霊魔法使いでも、複数の精霊を同時に使役する事は出来るかもしれない。

 だがそうなれば、自ずと術の力は弱いものとなって行く。

 強力な精霊魔法を……精霊を使役して術を行使しようとすれば、同時に使用出来る魔法の数は少なくなる。

 ましてや、シェキーナの矢を受け止めるのである。

 それにはどれ程効果の高い精霊魔法を使用しなければならないのか、言うまでもない事だった。

 それを3つ同時である。

 それだけでラフィーネの高い能力を窺い知る事が出来ると言うものであった。

 シェキーナが感心するのも、ある意味では当然と言った処だろう。


「シェキーナッ! もはや何も言わないっ! 語らないっ! 私は……一族の平和を守るっ! ただそれだけよっ!」


 攻守交替、今度はラフィーネが手ぶりで精霊に指示を与える。

 ラフィーネが勢いよく身体の前で腕を交錯すると、道の両側に佇んでいた樹々から、太く強靭な木の枝が無数に繰り出され、違う事無くシェキーナへと向かって行った。

 先端の鋭くとがった木の枝は、どれも鋭い槍の様だ。

 それがシェキーナを埋め尽くすが如く、数えられない程放たれているのだ。

 それでもシェキーナは顔に浮かべた笑みをそのままに、接近する枝を躱し、飛び退き、抜き放った剣で斬り落としていった。

 その動きには余裕すらあり、明らかに決め手に掛けるものだった。

 それでも、ラフィーネは次の一撃の為に攻撃の手を緩めなかった。


 ラフィーネは、シェキーナよりも精霊魔法で上回っていると考えている。

 それは自惚れでも自信過剰なのでもなく、実際にその眼でシェキーナを見てきた結論である。

 その代り剣術、弓術に措いて、ラフィーネはシェキーナの足元にも及ばない。

 つまりラフィーネは、シェキーナの接近を許す事無く、精霊魔法で圧倒しなければならないのだ。

 弓を撃たせる訳にもいかない。

 強力な攻撃を無数に放ち、彼女に体勢を整える暇を与えない事が肝要なのだ。

 ラフィーネは攻撃を繰り出しながら、更に精神を高めて次の攻撃に備えた。


古よりヴェリオ・根付くハイス・古き良き隣人ドゥルーク……木の精霊よリ・ドライアド……我の敵はエフスロス汝の敵デミ・エネミゴ……その大いなるトレラント・腕持ちてブラキウム其の敵をヴラーク・打ち砕かんっバクローム!」


 シェキーナに反撃の機会を与える事無く、ラフィーネは呪文を唱え切った。

 その直後、道の両脇に広がる森が……盛り上がった。

 いや、盛り上がった訳では無く、群生する樹々の中より、一際巨大な樹が競り上がって来たのだ。

 そしてそれは、ただ出現しただけでは無く。

 まるで「樹人」の如く歩を進め、ゆっくりとシェキーナへと向かったのだった。


「へぇ……」


 まるで踊る様に躱し続けていたシェキーナだが、樹人の出現と共に攻撃が止み、彼女もその場で大樹の進撃を眺めていた。

 シェキーナならば、この場より脱兎のごとく退散する事も可能だ。

 また、術に集中し無防備なラフィーネを襲う事も可能だろう。

 それでもシェキーナは動かなかった。

 まるで真っ向からラフィーネの攻撃を受け止めるかのように、彼女はその時を待ったのだった。

 

 巨大な樹人は両側よりシェキーナへと距離を詰めると動きを止め、葉の生い茂った頭部に当たる樹冠部より、まるで倒れ込む様に突っ込んでいった。

 そしてその形をみるみると変えて行く。

 枝葉の生い茂った木が、瞬く間に巨大な手の様になり、そのままシェキーナを抑えつける様に被さったのだ。

 まるで子供が両手で小さな昆虫を捕まえた時の様に、2体の樹人はシェキーナの姿を完全に隠してしまった。

 断末魔の悲鳴も僅かな声も発する事無く、シェキーナはその樹掌に呑み込まれたのだった。


「や……った……」


 ラフィーネは荒い息を付いて、何とかそれだけを呟いた。

 彼女にとっても、かなりの集中力と魔力を使う大技だった。

 だがそれだけに、シェキーナに破られる事は無いと確信していたのだ。

 疲労困憊だった表情に、僅かに笑みが零れようとする。

 その時だった。


「ぐっ! 後ろからっ!? そんなっ!?」


 突然、ラフィーネの肩を鋭い槍と化した木の枝が深く斬り裂いたのだ。

 完全に不意を突かれたラフィーネは、その接近に気付く事も無くまんまと攻撃を受けたのだった。

 

 だが、不意を突かれた……と言うのも、無理からぬ事であった。

 精霊魔法とは、その場の精霊を使役する事にある。

 つまりは、自分の配下に置くと言う事だ。

 この場の精霊は、ラフィーネがその配下に置いている……筈であった。

 シェキーナがラフィーネと互角の精霊力を示せば、この場の精霊を全て従えると言うのは不可能だ。

 しかしラフィーネは先程、シェキーナに精霊魔法を使わせなかった。

 ラフィーネがシェキーナよりも精霊魔法力で上回っている事を考えれば、彼女が精霊魔法を使えない事にも頷ける。

 ……そう考えていたのだが。

 

「やはり……詰めが甘いな……ラフィーネ」


 ラフィーネが声の方へと視線を遣る。

 そこには、先程シェキーナを取り込んだ樹がまるで小山の様な盛り上がりを見せている。

 本当であるなら、シェキーナはその樹に押しつぶされて息絶えている筈であった。

 驚きを隠せないラフィーネの眼前で、その小山がゆっくりと動きを見せる。

 まるでほどけるように、木の枝で作られた手がその形を弛め、みるみる元の姿へと戻り森へと帰って行く。

 そして全ての枝が引いたその場所には……。


 無傷のシェキーナが、妖艶な笑みを浮かべて立っていたのだった。


「な……何故っ!? そんな事っ!?」

 

 ラフィーネは今や、軽いパニックを起こしていた。

 彼女の攻撃を受けて、シェキーナが無傷である等

 それにも関わらず、彼女の思考を嘲笑う様にシェキーナが立っているのだ。


「何故……? そんな事は有り得ないか……? 私がお前の記憶にある姿のままだと……お前よりも精霊力が低いと、何故断定したのか……そちらの方が疑問なんだがな」


 シェキーナの話す言葉を聞き、ラフィーネは完全に見誤っている事を理解した。

 シェキーナは過酷な旅を続ける間に、いつの間にか想像を超える程の成長を遂げていたのだ。

 それは何も、武芸だけではない。

 ラフィーネよりも苦手としていた精霊魔法でさえ、彼女より上回る程の能力を手にする程だったのだ。

 郷を出たシェキーナと。

 郷に残ったラフィーネ。

 二人の差は、それからの時を経て明確な違いとなって現れたのだった。


 疲労困憊となり、精神的にも打ちひしがれたラフィーネが両膝を付く。

 明らかに無防備となったラフィーネだが、そこにシェキーナの攻撃は来なかった。


「何度も言うが、今日はこの郷を滅ぼしに来た訳でも、お前を殺しに来た訳でもない。私の要求を聞き届けてくれれば、それだけで良い」


 剣を腰に差しながら、シェキーナは自分の要望を改めて口にする。

 ラフィーネにとっては死力を尽くした戦いであっても、シェキーナにしてみればそれ程では無かったとでも言うかの如き振る舞いだった。


「我等はアルナと然して変わらない……それを良く肝に銘じておけ。そしてこの地で暮らす我等を、決して探そうなどと考えるな。さもなくば、我等は禍となって今度こそお前達の前に立ち塞がるだろう」


 そう言い終えたシェキーナは、無防備にクルリと踵を返して元来た道を歩き出した。

 ラフィーネはそれに答える事も出来ず、ただ呆然と見送るしか出来なかったのだった。




「ラ……ラフィーネ様」


 戦いが終わった事を感じ取った若者が、膝をついて呆けているラフィーネの元へと駆け寄った。

 その声を聞き、ラフィーネは静かに立ち上がる。

 その視線は、もう見えなくなったシェキーナへと向けられたまま。

 彼女は静かに……若者へと指示を出した。


に連絡を……。エルス一行は、精霊界にて居を構える模様だと。場所を特定次第、至急援軍を送る様にと」


 

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