ダーク・エルフ

 相も変わらずシェキーナは、時間を掛けてゆっくりと話を進めている。

 殊更に時間稼ぎをしている様に伺えないのだが、それでもラフィーネには彼女が次の言葉を発するまでの時間が異常に長く感じていたのだった。


「……私達はこの精霊界の何処かに居を構え、誰にも迷惑を掛ける事無く静かに暮らそうと考えている。お前達は私達の事を他言無用とし、居なかったものと隠し通してくれればそれで良い」


 シェキーナの提案……と言うよりも要望は、それ程難しいものでは無かった。

 精霊界……と言っても、広さは人界大陸の半分程度ある。

 もっとも、精霊界全てを見て回った者等皆無に近いのだが。

 そんな精霊界の何処かに身を隠されては、さしものラフィーネ達でさえ探し当てるには骨が折れる。

 ただし、精霊の力を借りれば……その限りでは無いのだが。

 それでも、アルナに対しては誤魔化しきる事が出来るかもしれない。

 そしてただそれだけの労力で、切り札ともなり得るエルスの所在を把握する事が出来るのだ。

 

「な……何故、そんな大事な話を……私にする……?」


 シェキーナのは、ラフィーネにとって非常に魅力的だった。

 しかしだからこそ……注意を喚起する必要があった。

 魅力的な話には、必ず裏がある。

 提示された内容よりも、更に難易度の高い要求をされる事が考えられるのは当然の事だった。


「……何故? 言うまでもないだろう? エルフには、精霊の声を聞く事が出来るんだ。私達がこの精霊界の何処に隠れても、精霊の力を借りてその居場所を知れないだろう? それならば、事前にこちらとしては安堵出来ると言うものだ」


 シェキーナの瞳が妖しく光る。

 その瞳に見据えられただけで、ラフィーネには何も言う事が出来なくなってしまった。

 そしてそれと同時に、彼女の言葉に散りばめられている色々な事を気付けずにもいたのだった。


 シェキーナの言う事はいちいちもっともで、少し考えればすぐに分かる事だった。

 精霊界を探索するのに、ラフィーネ達は精霊の力を借りている。

 勿論、自分達も精霊界を駆け巡ってはいるが、広い精霊界を人の力だけで隅々まで見て回るのには限界がある。

 精霊の言葉は非常に曖昧で、余程精霊魔法に精通していなければ精霊の話す内容を明確に聞き分ける事は出来ない。

 大抵が目的の方角を教えてくれたり、周囲に確認出来る存在を知らせてくれたりする程度だ。

 そんな精霊の声をハッキリと聞き取れる存在など、今やシェキーナとラフィーネ、そして数人の長老位であった。

 それでも、ただ漠然と精霊界を探すよりはずっと効率は良い。

 精霊界に居を構えたならば、ラフィーネ達に見つかる事は避けられないと言って良いだろう。


「そ……それなら、こちらにも条件があるわっ!」


 シェキーナの瞳が物語っている。


 アルナの軍門に下り、アルナの指示に従ってエルスを探す為にこの精霊界を駆けまわっているのだろう……と。


 アルナの……狗なのだろう……と。


 果たして、本当にシェキーナがそう思っていたかどうかは定かではない。

 だがラフィーネにはそう感じられた。

 いや……そんな声が聞こえた気がしたのだった。

 ラフィーネが殊更に声を荒げて自分達の要望を口にしようとしたのはその為だった。


「……フフフ……おかしなことを言うわね……」


 そんなラフィーネに、シェキーナの笑い声を含んだ声が返された。

 嘲笑ちょうしょう……。

 今度のシェキーナが漏らした笑いは、紛う事無きラフィーネを嘲笑あざわらうものに他ならなかった。


「な……何が……っ!?」


 何がおかしいのか……と言いたかったラフィーネだが、今度は怒りの余り喉を詰まらせてしまった。

 微笑みかけられているならば分からなくもない。

 友好的に話し合いをするならば、その様な笑顔こそがこの場に相応しい筈である。

 しかしあざけりの笑いならば、それを許容する訳にはいかなかった。

 それは正しく侮辱されているに他ならないのだ。

 

 そして間違いなく、シェキーナはラフィーネを侮蔑していた。


「……先の言葉を、お前は理解していないのか? 済まないが……私はアルナと同じ事を言ったつもりだったんだが……」


 シェキーナの口端が益々吊り上がる。

 ラフィーネはその顔を、驚愕を浮かべてみる事しか出来なかった。

 そして思考をフル回転させ、シェキーナが先程話した内容を思い出していた。


 ―――お前達エルフ……。


 まるで、自分と違う種族に向けて話しかける様な言葉だ。

 シェキーナを一族より無縁とし、「闇堕ちのエルフダーク・エルフ」としたのはラフィーネだ。

 その判断を、今も間違ったとは思っていなかった。

 光の神に属する種族でありながら魔族に肩入れする等、言語道断なのだ。

 それでも、未だシェキーナを姉と認識するラフィーネは、口で言う程に割り切れていないのかもしれない。


 ―――見つけられるかも知れない……。


 これは言い換えれば、見つからない自信がある……と言う事だ。

 シェキーナの精霊魔法力は、ラフィーネに次いで強いものだった。

 彼女が本気で姿をくらませようと考えれば、周囲の精霊を従える事でそれも不可能では無いのだ。

 そしてそうなったなら、如何にラフィーネでも容易に探し当てる事は出来ない。


 ―――釘を刺しておいた方が……。


 この言葉について思案を始めたラフィーネは、一気に頭へと血が上り、顔を紅潮させて憤怒の表情となった。


「姉さ……シェキーナッ! お前は、私達に命令しているつもりだったのかっ!?」


 釘を刺す……つまりは、念を押す……。

 それはシェキーナ達の行動を見逃し、決して他へ洩らすなと命じていたのだった。

 

 そして、アルナと同じ事を言っているとシェキーナは言った。

 その意味する処は……シェキーナの命令に疑う事無く、反論等せずにただ従順に従え……そう言っているに等しかった。

 

「他に解釈のしようがあったのなら……済まない。私はあれ以上簡潔に話す舌を持ち合わせてはいないのだ」


 謝罪を口にするシェキーナ……だがその実、まったく謝ってはいない。

 そしてラフィーネの怒りは最高潮に達する……のだが。


「アルナの庇護下には入っているのだろう? ならば今更1つや2つ、違う組織の傘下に入った処で何事があると言うのだ?」


 そう口にしたシェキーナの瞳が、怒りの炎を湛えてラフィーネを見据えた。

 その業火に呑まれたラフィーネの怒りは一気に霧散し、僅かに顔を青くして絶句させられてしまったのだった。


「わた……私達は……アルナの軍……門に下った訳では……」

 

 震える声で、ラフィーネは何とかそれだけを口にする。

 それは彼女にとって認めない……認められない……いや、認めたくない事実だったからだ。

 どの様に言葉を飾った処で、事実は変わらない。

 それでもラフィーネは、そのに賭けてその様な事を認めたくなかったのだ。


「ならば……老竜の仇を討つために、アルナと戦ったのか?」


「それは……っ!」


 咄嗟にその理由を……言い訳を口にしようとしたラフィーネだが、すぐに押し黙ってしまった。


「……いずれはアルナと対峙すると言うのか?」


「……」


 もはやラフィーネには、何も言い返す事が出来ないでいた。


「一族を理不尽に殺されてその仇も討たない……エルフ族の誇りとやらは、一体どこへ行ったんだ? そんな相手と、対等に交渉などする訳もないだろう」


 見下す様な眼でラフィーネを見るシェキーナには、もう以前の様に最愛の妹を見る様な……暖かさの籠ったものは一切感じられなかった。

 

「……グリーンドラゴンは……一族では……っ!?」


 思わずそう言いかけて、ラフィーネはハッとして慌てて口をつぐんだ。

 しかし一度口をついた言葉は、二度と取り消す事は出来ない。

 そしてラフィーネの言葉は、シェキーナの耳に確りと届いていたのだった。


「我らが父の……母の……祖父母の……更にその以前より我等の郷を護ってくれた恩人にその言い草……。ラフィーネ……お前の誇りとやら、確りと確認させてもらった」


 ラフィーネは間違い様も無く理解していた。

 言ってはいけない言葉……彼女はそれを口にしたのだと言う事に。

 そして、シェキーナの逆鱗に触れてしまったと言う事も。


「最初にも言ったな? この郷を滅ぼす等と言う下らない事の為に、私はここに来た訳では無い。だが……」


 ゆっくりとした動作で、シェキーナが肩に掛けていた弓を外す。


「ラフィーネ……お前は此処で、息の根を止めておく事としよう」


 そして矢をつがえる。

 流れる様な動きは決して早くはない。寧ろ遅い位だった。

 それでもラフィーネは、その動作に対して構えを取る事が出来なかった。

 

 シェキーナのやじりが、ラフィーネへと狙いを定める。

 弓矢を構えるシェキーナの眼に、躊躇いも慈悲も一切含まれていない。


「……死ね」


 ラフィーネの耳には、酷く他人事のようにシェキーナの声が聞こえていた。

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