精霊界の住人達

 メルルの元を離れたシェキーナは、この森にある精霊回廊へと繋がる「神樹」を探していた。

 探す……と言っても、何も四方を駆け巡ってと言う訳では無い。

 精霊に話し掛ける事で、その場所を即座に知らせてくれるのだ。

 

 シェキーナはハイエルフ。

 精霊界へと赴く手段を熟知していた。

 精霊界に精通していない人の場合、そこに続く精霊回廊を見つけ出す事は困難……殆ど偶然の産物を期待する以外にない。

 だが「精霊族」ならば……何よりもシェキーナならば、精霊界へと続くポイントを見つけ出す事など造作もない事だった。


「ふむ……そこか……」


 周囲の精霊が教えてくれた場所へと、シェキーナは踵を返して疾駆した。





 目的の場所へと辿り着いたシェキーナの目の前には、明らかに相当な樹齢を数える立派な樹がそびえ立っていた。

 この様な樹は人知れず「神樹」と呼ばれ、この森には何本か存在していた。

 長い年月を経た老木には霊気が宿り、異界との交信を可能としているのだ。

 シェキーナは神妙な顔つきで目の前の「神樹」へと近づき。


「……古よりヴェリオ・息づくヴィダ・大いなるクレーメンス・老樹よアルボル……私にメンシュ・此処よりヒーク・彼方へとロンジ・続くデ・道をダローガ・示し給えオラクロ……」


 優しく……語りかける様な口調で、彼女はそっと寄り添うように精霊語スピリッツ・ルーンを唱えた。

 それを受けた神樹はまるで生物の様に一瞬、その巨体を震わせると、直後には蜃気楼の如くその実体をぼかし始め、揺蕩たゆたう様な存在となったのだった。

 シェキーナは僅かに微笑み心の中で感謝を告げると、揺らぐ神樹の幹へと歩を進め、まるで溶け込む様にその場から姿を消したのだった。




 再び彼女が姿を現したのは、先程と同じ場所……しかし、先程とは違う場所でもあった。

 シェキーナの背後には、先程の神樹。

 そして周囲の風景も……群生する立木の種類や大きさまで、彼女が先程まで居た場所と寸分違わず同じであったのだ。

 それでもそこが、別の場所だと認識出来るのは。

 そこが先程とは違い、眩しい程光に溢れていたからであった。

 森の中ならば、日中であっても薄暗くて当たり前である。

 ましてや先程までシェキーナがいた場所は、陽の光も届かない深い森の奥地……。

 夜と思ってしまう程、暗く陰気な場所だったのだ。

 

 だが今はどうだ。

 彼女の周辺はまるで日中の往来が如く明るく、陰気な雰囲気など微塵も感じさせなかった。

 ただしそれは、太陽の光が射し込んで明るいのではない。

 森全体が明るくなっている……若しくは、樹々の1本毎が自ら発光しているかのような明るさだった。

 そしてその光には、温かさも含まれていた。

 深い森の中では樹々の呼吸から来る水分により、平素の温度より遥かに低い気温になっている。

 森の中では薄ら寒い感覚に襲われるのはその為だ。

 それにも拘らず、シェキーナのいる場所はまるで春の陽だまりに居る様な……包まれる様な暖かさに満ちていたのだった。


「……また……此処に来た……な……」


 シェキーナが最後に此処へと訪れて、それ程に長い年月が過ぎ去った訳では無い。

 ほんの……僅かに1ヶ月余り前でしかないのだ。

 それでもそんな郷愁きょうしゅうの念に駆られるのは彼女が今置かれている立場と、激動と言って差し支えない慌ただしい時間を過ごしたからなのだろう。

 それとも、一族と袂を分かち、血縁の有る実の妹デルフィスト=ラフィーネと決別したからだろうか。

 どちらにせよ、今のシェキーナにはその様な感傷に浸っている時間は無い。

 

「此処からだと……1日で着けそうね」


 現在地と目的地を精霊より確認し、大まかに到着予想をしたシェキーナはそう呟き動き出した。

 

 シェキーナにとって、人の手が加えられた物の存在しない世界を行くのは気持ちの良いものだった。

 元来、森の種族と謳われるエルフ……彼女はその上位種である。

 森と共に生き、樹々と共に生活する。

 そんな生活が日常だったシェキーナにとって、人界は見る物全てが珍しく……同時に異物感を覚えるものでしかなかった。

 そんな彼女が行く久々の精霊界は、居心地の良さを感じずにはいられなかったのだった。

 

 もっとも、そんな気分に浸れたのも翌日までの事。

 シェキーナは途中寄り道する事も無く、勝手知ったるエルフ郷への入り口に到着したのだった。





 先日の一件……。

 シェキーナが「魔族エルス」側に付き、このエルフ郷へと遣って来た日より一月余りが過ぎていた。

 ラフィーネにとってその前後は、穏やかに過ぎていた生活を一変させた怒涛の日々だった。

 聖霊ネネイが出現し、勇者エルスが魔族へと寝返った事……そして、彼女の姉であるシェキーナが彼に付き従い人界側に敵対した事を告げた。

 それと時を同じくして、聖女アルナが極戦士シェラを引き連れてこの地を訪れ、守護龍に付いてくれていた老竜「グリーンドラゴン」をほふったのだった。

 彼女はラフィーネ達に服従を迫った。

 その答えを返していないラフィーネだったが、アルナに恐怖し彼女に抗う事を本能として諦めていた。

 それはひとえに、人界側に……いや、アルナ個人に屈服した事を意味している。

 それから数日後には、事の張本人である「魔族エルス」と、彼に従属するシェキーナがやって来たのだった。

 彼等との……シェキーナとの話し合いが決裂し、ラフィーネは彼女を「闇堕ちのエルフダーク・エルフ」として一族に報告した。

 それからはアルナの望み通り、定期的にエルフ郷の現状を報告している。

 アルナにとってエルフ郷など興味もない場所であったろうが、そこに現れるかもしれないエルスの事は別であるらしく、報告の殆どは彼等の姿を見かけたかどうかに絞られていた。


 実際の処、ラフィーネにはエルス達がもうこの地に来ないと言う確信染みたものがあった。

 エルスの為人ひととなりが、この地に執着する……延いては迷惑をかけると言う事を選択しないと、ラフィーネには分かっていたのだ。

 一方的にエルス達を拒絶したラフィーネ達にとって、これは実に都合の良い考え方だと言わざるを得ない。

 それでも、彼女はそう考えていた……いや、信じている。

 そしてそれはそのまま、エルフ郷の安定に繋がるのだ。

 アルナの不興を買わない様に立ち振る舞えば、この地が戦禍に晒される事は無い。

 今や一族を率いる長としてラフィーネは最善と思われる策をとり、今はアルナに従順な態度を取り続けていたのだった。

 

 ―――一抹の不安を心に抱えていたとしても……。




「ラ……ラフィーネ様っ! ご……ご報告がっ!」


 自室にて一人読書に耽っていたラフィーネの元へ、見張りを任せられていた若者が血相を変えて駆けこんで来た。

 彼の表情を見たラフィーネには、何とも嫌な予感しか浮かばなかった。

 

「……落ち着きなさい。何事ですか?」


 それでも一族の長として、彼女は極めて落ち着いた口調でそう告げた。

 冷静な声を掛けられた若者はそれで幾分頭が冷えたのか、深呼吸をすると息を整え、改めてラフィーネにかしこまった。


「申し訳ございません、ラフィーネ様。至急、お伝えしたい事がございます」


 慇懃いんぎんな態度をとる若者に、ラフィーネも鷹揚おうように頷き先を促した。


「つい先ほど、郷の外に……シェキーナ様が……シェキーナが現れました」


 若者の報告に、ラフィーネは驚きの余り絶句していた。

 しかしそれを悟らせない様に体面を装い、表情一つ動かさない顔で思案する態度をとった。

 それは、彼女にとって完全な誤算であった。

 追われている筈のシェキーナが……エルス一味が、アルナが立ち寄る可能性のある場所を訪れる筈等無いと踏んでいたのだ。

 それは明らかに油断。

 だが、もっともな考え方とも言える。


「……私が対処します」


 考えたのは一瞬。

 そして彼女はそう告げると立ち上がった。

 考えるまでもなく、シェキーナが現れたのならばその対処に当たるのは、一族で最も強い力を持つ彼女以外にあり得ない。

 ラフィーネの不安は、彼女の中で拡大の一途をたどっていた。

 その気持ちを抑え込み、確りとした足取りで彼女は郷の門へと向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る