修羅の足跡
「うおおおぉぉっ!」
「ぐわっ!」
「
次々と薙ぎ倒されてゆく兵達は、既に3分の1程が討ち取られている。
当然の話であるが、兵達もただ殺されるのを雁首揃えて待っている訳では無い。
同僚の倒れて行く様を横目で見ながらも、勇猛果敢と言って差し支えない戦いぶりを見せていた。
剣を振るい、槍を突きさし、矢を放って、魔法を行使していた。
しかし、そのどれも……。
振るった剣は躱され、突かれた槍は避けられ、飛来する矢は彼を仕留める事能わず、魔法の攻撃でさえも彼を捉える事は出来なかった。
常人を遥かに凌ぐカナンの動きは、兵達の繰り出す攻撃が当たるどころか、その姿を捉える事さえ困難としていたのだった。
……血の海に、血霧が立ち込める……。
数多の戦士が撒き散らした血が、周囲一帯を真っ赤な霧で覆いつくしていた。
草原だった場所には無数の屍が折り重なり、流された大量の血が比喩では無く大海を作り出していたのだ。
もし、この世の地獄があるのなら、それは間違いなく……此処であった。
そのような惨状にあっても、未だ戦闘の雄叫びを上げる兵士達の声は途絶える事も無く、倒れ伏す新たな屍が後を絶つ事は無かった。
兵達をただの肉塊に変えている元凶……その死神は、言うまでもなくカナンだった。
既に700人からの兵を斬り伏せて尚、彼の表情に疲労の色は見えない。
僅かに体からは熱気が発し、薄っすらと湯気を沸き立たせてはいるものの、それでもその表情は崩れずにいた。
「……むっ!?」
そんなカナンの表情が、721人目を切り倒した処で曇る。
今まで迅速の動きを見せていたカナンであったが、突然その動きを弱めたかと思うと、ピタリとその場に立ち止まり自身の握る刀にマジマジとした視線を向けている。
余りにも唐突なその行動に、逆に周囲の兵達が攻撃する事を忘れて同じ様に静止してしまったほどだった。
「……700人余り……ここまでか……」
カナンの見つめる先には、今まで多くの兵の血を吸い続けていた刀……その刀身が映っている。
そしてカナンはそこに、僅かな
如何にカナンと言えども、例え「剣匠」と謳われし剣の達人であっても「人」である事に変わりはなく。
その様な特性を与えられた刀でも無ければ、振るい続ければいずれは斬り付ける負荷に耐えきれず……折れる。
そして彼の手に納まっていた刀も、その時を迎えていたのだ。
「うおおおおぉぉっ!」
カナンの最も近くに居た一人の兵がフリーズ状態から先んじて回復し、怒声を上げて彼へと斬りかかる。
感慨深げにその刀を見つめていたカナンであったが、迫り来る兵士に一瞥をくれるでもなく、無造作とも思える程の動きでその手を横へと払った。
その瞬間、兵士の首が宙に舞い。
同時に、乾いた金属音を上げて、カナンの手にしていた刀が真っ二つに折れたのだった。
再び……周囲に静寂が訪れる……。
もっとも、無音だったのはほんの僅かな間だけ……。
カナンの折れた刀……その剣先が地面へと突き刺さるまでの間だけであった。
「う……うおおおおっ!」
それは歓喜か……。それとも叫声か……。
兵士たちの間で、俄かに騒めきが広がり出した。
「奴の刀が……折れたぞっ!」
「この人数を相手にしているん、当然だっ!」
「このまま畳み掛け続ければ……殺れるっ!」
カナンが武器を失った事は、それ程に兵達の士気を上げる事だった。
例えカナンが尋常でない強さを持っていたとしても、カナンにもし武器が無ければ圧倒的不利は免れなかっただろう。
千人を超える訓練された兵士を相手どるのだ。
如何な勇者パーティの一員だったとしても、勝てるとは……生き残れるとは到底言い切れなかっただろう。
カナンが、刀身が半分となった刀を投げ捨てる。
最終的に折れてしまったが、カナンは予想以上の結果に満足していた。
良く持ってくれた刀と、自身の技の冴えが衰えていない事に。
そして、腰に差していたもう一本の刀をスラリと抜き放った。
周囲に立ち込める赤き霧の中に在って、その刀身は淡い白色を発しその存在感を際立たせていた。
―――霊刀「
カナンが常に装備する刀であり、彼の愛刀であった。
彼が新たな刀を装備した事を見て取った兵士達が、それまで浮ついていた気分を一気に引き締めた。
だがそこに、恐怖はない。
彼等は、カナンの持っていた刀の種類……そして意味など知らない。
攻め続ければ、どれだけの犠牲を出そうがいずれは彼の武器も疲労し、折れる。
それが分かっただけでも、兵士達の意気を向上させるに十分だったのだ。
彼等の思考には、最早カナンを討ち取る以外の事など無い。
仲間が倒れる事も、自分が殺される事も考えていなかった。
攻め続ける事によって、いずれは斬り殺されるのが自分となると言う発想には至らない。
「かかれ―――っ! うおおお―――っ!」
殆ど死兵と化した戦士達が、新たな雄叫びを上げながらカナンの元へと殺到した。
物見の塔からでは、血霧に霞む戦場の様子など窺い知る事は出来ない。
それでも、バルガにはそこから離れる事など出来なかった。
逃げる……と言う選択肢は取れない。
そんな事をすれば、今まで築き上げてきた物が、全て木阿弥と化してしまうのだ。
さりとて、戦う……戦場へと向かうなどと言う選択肢も、到底取り様が無かった。
行けば殺される。
状況が確認出来なくとも、それだけはハッキリと分かっていたからだ。
「……ご報告しますっ! カナン=ガルバの持つ刀が折れた由にございますっ!」
戦況の確認へと向かっていた兵士は駆け足で戻って来ると、嬉しそうに声を弾ませてバルガにそう告げた。
その報告に、バルガの表情が一瞬、明るいものを浮かべようとするも。
「カナンは腰に下げていたもう一本の刀を使い、引き続き我が軍と交戦中っ! 彼の刀が折れれば、奴が丸腰となるのは疑いありませんっ!」
喜色ばんだ声でそう続けた兵士の話を聞いて、バルガの顔は一気に
兵士の持ち帰った情報は、何ら事態が好転している事を告げていない。
草原を血の海に……この世の地獄へと変えてしまう程の敵を相手に、武器の一つを使用不能にした事がどれ程の事だと言うのだろうか。
しかし戦闘で気持ちの昂っている兵士には、その事実を正確に理解出来ないのだ。
「……バルガ様?」
バルガの雰囲気が暗いものだと察した側近が、不安気に彼へと声を掛けた。
バルガはそれに何も答えず、再び赤く煙る戦場の方へと視線を向けたのだった。
カナンの愛刀「天津神」には、目を見張るような特殊効果がある訳では無い。
斬り付けた相手を燃やしたり凍らせるだとか、魔法を使わなくても離れた相手に電撃を喰らわせるような事は出来ない。
敵の生命力を吸い取るだとか、自身の命を刀に吸わせる事で信じられない攻撃が可能だと言う事もない。
ただ一つ。
決して折れない……刃こぼれを起こさないと言う能力があるだけだった。
そしてそれこそが、カナンにとっては至上の能力だった。
切れ味が特別に優れていると言う訳でもない。
攻撃力だけで言うならば、カナンが先程使っていた刀と大差ない程だ。
そして彼もまた、「天津神」よりも攻撃力と言う点で優れた刀など、これまでに何本も手に入れてきた。
それでもカナンが選んだ「愛刀」は、この「天津神」だったのだ。
決して折れる事が無く、まったく刃こぼれしない霊刀……。
世界で最高の剣技を身に付けた彼にとっては、それこそが武器に望むものだった。
再び、カナンによって惨劇が再開される。
一方的にも見えるカナンによる惨殺劇は、彼が愛刀を手にした事で更に加速して行った。
先程よりも濃い血霧が充満し、広がる血の海はその領域を拡大していった。
―――そしてしばらくの後……。
戦場と化した草原からは、攻撃による物音が聞こえなくなっていた。
怪訝に思う側近たちが、欄干より身を乗り出して様子を窺う中、バルドはその意味を理解していた。
蒼かった彼の顔が更に蒼白となり、汗が滝のように滴っている。
そして、血に煙る先より、一つの影がゆっくりと近づいて来ていた。
「弓兵っ! 魔法兵っ! アレを攻撃するだがね―――っ!」
狂乱に近い声を上げて、バルガが城内の兵に指示の声を上げる。
司令官の余りにも取り乱した姿に僅かの間動き出せなかった城兵だったが、即座に気を取り戻してそれぞれに攻撃を始めた。
カナンへと向けて矢が放たれ魔法が襲い掛かったが、その全てを刀で弾き斬り落とした彼の歩みを一瞬たりとも止める事は出来なかったのだった。
カナンはそのまま城門まで来ると、巨大な鉄扉を刀で両断し、先程と変わらぬ歩調で場内に進入を果たした。
城内での戦闘は、平原での戦闘よりも更に一方的となった。
狭い城内ではカナンを取り囲む様な陣形も採れず、少人数でカナンに相対しなければならない。
カナンの技量に迫る様な戦士もおらず、凡そ一千の兵は順番に息の根を止められる事となったのだった。
迫り来る全ての兵士を切り倒したカナンは、やはり急ぐ風でもなく歩を進め、この砦の司令官であるバルガの前へとやって来ていた。
「ま……待ってくれっ!」
腰に差した剣を放り投げ無抵抗の姿を示したバルガが、両膝を着いてカナンへと懇願する。
「ど……どうか……っ! どうか、命だけ……ピッ!」
命乞いをしようとしたバルガだったが、その言葉を全て言い切る事が出来なかったのだった。
正しく土下座を行おうと額を床にこすり付けたその直後、カナンの刀が彼の後頭部より突き立てられたのだった。
一瞬で絶命し、それでも肉体が痙攣を起こしているバルガの事など歯牙にも掛けず、カナンは周囲に敵兵がいない事を確認して、やはりゆっくりとその場を後にしたのだった。
援軍として駆け付けたのは、ベベル=スタンフォードだった。
彼は後続の軍よりも先んじて現場に到着していたのだ。
そしてその惨状を目撃した彼は、絶句していた。
全滅……と言う訳では無く、僅かに声を発して助けを求める者の存在があった。
広大な血の海で、息のある者を探すのには骨が折れそうだと、ベベルは溜息交じりに考えていた。
カナンが討ち洩らした……と言う事でないのは、考えるまでもなく分かりきっていた。
彼等は……生き証人だ。
カナンの所業……そして恐怖を、駆けつけた者たちに知らせる役割を与えられて、敢えて生かされたのだった。
―――砦に詰める兵3024名……内、戦死者2979名。
生き残った45名も、到底五体満足と言える状態では無かった。
他には、砦内で働いていた下女たちは全員無事であった。
―――司令官、バルド=ゼーヘン死亡。
その死に姿を見れば、彼がカナンに何を求めようとしたのかが窺い知れた。
これにより、彼は生前に遡って司令官職放棄を問われ、降格された後に人知れず埋葬される事となったのだった。
「カナンは何故……? まさか、王都を……?」
事後処理の殆どを後続の部隊に任せ、ベベルは深く思案していた。
カナンがこの地を襲った理由……。
様々な可能性があり、一概には決定づける事が出来ないでいたが、彼は最悪の事態だけを取り上げていた。
一つは、王都への襲撃。
その障害となる城塞砦を、先鋒たるカナンが排除したと考えられなくもない。
その場合は、後続より「魔王エルス」が襲い来る可能性も視野に入れなければならない。
若しくは逃亡に際して、追っ手の圧力を弱めると言う可能性。
この地の兵が全滅してしまった事を考えれば、兵を外側へと向けて派遣するのは一旦取りやめ、再編成した兵を此処に配さなければならない。
その間、エルス達を追う者は激減し、彼等の逃亡も楽になる。
「兎に角、この事を王都へと……アルナ達に告げなければならないねぇ」
ベベルは深く溜息を吐き、王都への帰還を決めたのだった。
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