剣匠

 カナンを中心に、それを取り囲む様にして二千の兵が立ち尽くしていた。

 もっとも取り囲む……と言う表現は適切ではない。

 無造作に歩いて来たカナンによって二千の集団が分割された結果であり、彼に触れる事はおろか近づく事さえ出来ない兵達が、その場で動けずにいただけであった。


「貴……貴様らっ! 何をしているだがねっ! 相手はたったの一人だがねっ! 数で押し切りその首を討ち取るんだがねっ!」


 そんな一種異様な雰囲気の中で、ただ一人声を出せたのはバルドだけだった。

 彼は無能ではない。

 また、ただの貴族出身の指揮官でも無かった。

 自ら前線に立つと言う事は無いものの、魔族相手に幾つもの戦場を渡り歩き、少なくない戦闘経験を熟して来たのだ。

 勿論、有能と評価する事は出来ないが、それでも敵を前にして声も出せずに為されるがまま……等と言う事は無かった。

 

 そして彼のこの檄は、動け出せずにいた兵達に、正しく天啓とも呼べる機会を与える事となった。

 

 二千の兵が一斉に抜刀、若しくは手にした武器を身構える。

 バルドの言った通り、相手はカナン=ガルバ唯一人。

 如何な「剣匠」と謳われる達人と言えども、文字通り多勢に無勢なのは明らかだった。

 例え相当の犠牲が予想されようと、敵を倒す事のみを毎日叩き込まれた精鋭である。

 彼等は自身の抱える死の恐怖よりも、結果としての勝利へと邁進する事に何の疑いも持っていなかったのだった。

 

「……用意だがね」


「……は?」


 漸く戦闘を開始しそうな部下達を見下ろしながら、バルドは傍らで控える側近に指示を出した。

 しかしその言葉は恐怖の余り委縮してしまい、側近はハッキリと聞き取る事が出来ずに問い直した。


「狼煙の用意をしろと言ってるんだがねっ!」

 

 ただしそれは、彼の逆鱗に触れる事となった。

 いつにない剣幕で指示を叫ぶバルドに、側近も数歩後退る程であった。


「ど……どの様な狼煙を……?」


 連絡手段としての狼煙には、幾つかの種類がある。

 側近は狼煙で伝える内容を改めて問うた。

 勿論、連絡先は……王都だ。


「赤……赤の狼煙を3本だっ!」


「あ……赤を3本……でございますかっ!?」


 言葉にするのももどかしいと言った態で告げるバルドに側近は、今度は先程と違った驚きで問い直した。

 赤の狼煙が3本……それは、城塞砦陥落の危機を知らせるものだった。

 狼煙は幾つかの中継を経て、王都へと即座に届く。

 強力な援軍を要請するものであり、何時間かを持ち堪えれば何かしらの援護が期待出来る。

 だが未だかつて、その様な狼煙が王都近隣の砦から立ち昇った事は無い。

 

「そうだっ! とっとと言われた通りにするだがね―――っ!」


 もはやヒステリックの様相を呈するバルガの声を受けて、側近は弾かれた様にその場を後にした。


 彼の判断は間違っていない。

 カナン=ガルバを相手取ると言う事は……そう言う事なのだ。

 それは結果論であり、彼の実力や戦いぶりを知らない者からすれば過剰な判断とそしられるかも知れない。

 バルガも、前線で戦うカナンの姿を目の当たりにした事は無い。

 しかし彼の直感が……いや、この場合は本能が、最大限の警鐘を鳴らしていた結果であり、それを感じ取ったバルガの感性は優れていたかもしれない。


 ただしそれも……援軍が間に合えば……の話であるが。





「……ふん……漸くか。さて……どれくらいかな?」


 俄かに殺気立つ周囲を取り囲んだ兵達に視線を遣りながら、カナンは楽し気にそう独り言ちた。

 ただし勘違いしてはいけない。

 彼が持つ……と言ったのは、何も兵達がどれくらい持ち堪えるのかと言う意味ではない。

 カナンが「持ってくれるか」と口にし、僅かに不安視しているその内容は、その手に持つ刀の耐久力に他ならなかった。

 

「うおおおぉぉっ!」


 半ば捨て鉢に、そして自分を奮い立たせるが如くの奇声を発して、カナンに最も近かった兵が剣を大上段に構えて一気に間合いを詰める。

 側方より迫るその兵を、カナンは無造作に払った刀の一撃で何なく仕留めたのだった。

 首を真一文字に引き斬られた兵は、それまで自分の一部であった頭部を地面へと落とし、首から鮮血を撒き散らし立ったまま動かなくなった。

 

「お……おおおっ!」


 瞬時に起こった惨劇……。

 それを直視しても、兵達が怯む事は無かった。

 死をも念頭に置いた訓練により、仲間の死を目の当たりにした兵達は委縮するどころか、かえって目を血走らせ怒声を上げて殺到しだしたのだった。

 

 バルガの言い放った戦術は、あながち間違ってはいなかった。

 兵の数にものを言わせ、カナンを周囲より取り押さえて動けなくし、後ろの者がカナンを動けなくしている仲間ごと串刺しにする。

 人道にもとる行為ではあっても、それが最も有効な手段である事に間違いはなかった。

 これが成功していれば、僅か数人の犠牲でカナンを打ち倒す事を果たしていただろう。


 だが、それを良しとするカナンではない。


 押し寄せる人波をスルスルと躱しつつ、すれ違う刹那に次々と斬って捨てて行く。

 彼の通った後には、敵兵の噴き出す血によって真紅の道が築かれていた。

 まんまと集団から抜け出したカナンが、今度は外側から兵達を斬り伏せてゆく。

 一振りごとに一人……。

 驚くほどに正確で、恐ろしい程の切れ味を以て、カナンは次々と兵達を倒していった。


「じゅ……重装兵を前にし、奴を取り囲めっ! 何としても、奴の自由な動きを止めるんだっ!」


 部隊長らしき者の号令で再びカナンを包囲し、円陣へと取り込む。

 カナンもそこから抜け出す事は容易であった筈にも関わらず、相手の出方を窺っている様に動かないでいた。

 それを良い事に、兵達は陣形を整え終えるとその包囲網を縮めて行く。

 先程と違い、カナンに近い者達は重厚な鎧に身を包み、巨大な盾を前面に押し出していた。

 カナンの持つ刀では、その防御力を打ち破れないと判断した策であった。


 もっとも、その部隊長の判断はある意味で正解だが、決定的には間違っていた。


 カナンの持つ「刀」は、確かに重装備相手では分が悪い。

 殺傷力には申し分ない。

 敵を斬り殺す事を目的としている点では、数ある武器の中でも随一だと言って差し支えない。

 ただし、耐久力に劣ると言う難点がある。

 鋭く薄い刃は、その攻撃力に反比例して酷く脆いのだ。

 引き斬る事で切れ味を増すこの武器は、僅かな刃こぼれで驚くほどその鋭利さを失う。

 そしてそれは、いとも簡単に引き起こってしまう。

 斬り付ける角度、振るう速度、対象物の強度、タイミング等……。

 他にも、切った時に付着する血脂等もその原因となり得るのだ。

 そう言った理由で、「刀」を戦場で愛用する兵は少ない。

 切れ味に劣っても、分厚く折れ難い、斬るよりも突き刺す事に重きを置いた「剣」が徴用されるのだ。

 

 ただしそれらの事柄は、あくまでも一般論であり。

 「刀」には当て嵌まらない。

 そして、彼の手にする「刀」が伝説級の代物である……と言う意味でもない。


 彼の手にする刀は、「名刀」とまではいかず、せいぜい「良刀」程度の代物だった。

 僅かばかり高額ではあっても、金さえ出せばだれでも手に入れる事の出来る刀である。

 当然、切れ味や強度と言った総合的な能力も、普段彼が装備している刀に比べれば随分と落ちる。

 それにも関わらず。


「ぐはっ!」


「なっ!? 馬鹿なっ!?」


 詰め寄る重装兵に、カナンは寒気すら覚える程の剣閃を振るった。

 その直後、重装兵の盾が……鎧が……まるで羊皮紙の如く簡単に斬り裂かれ、致命傷を負わされた兵が血反吐を吐いて地面に倒れ込んだ。

 カナンはそれを気に留める出なく、次の獲物を求めて即座に違う兵へと斬りかかり。

 カナンと対峙した兵は、僅かな時間も抗う事無くその命を散らしていったのだった。

 カナンに振るわれた刀はその持てる能力全てを発揮し、僅かな刃こぼれも見せる事無く兵達の血を存分に吸い続けた。


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