最悪の襲来

 深い森の中へと降り立ったメルル達は、即座に周囲の気配を探る。

 シェキーナも精霊に力を借り、辺りに人の気配があるかを探索させたが、幸いにも誰の気配も感じられなかったのだった。

 

「じゃあ打ち合わせ通りカナンは北西の城塞砦、シェキーナはエルフ郷、べべブルは西の都へそれぞれ向かって。……んでウチは、ここで魔界への帰還準備を整えとくわ」


 一同をグルリと見渡して、メルルがそう告げる。

 その言葉を受けたシェキーナ、カナン、べべブルが同時に頷いた。

 

「ほな、再会は1週間後。最長で10日まで待つ。合流出来へんかった者は……置いて行くからな」


 その言葉を皮切りに、3人は一斉に三方へと散っていった。

 

「……さ―――て……。ウチの役目も当分は無いな―――……どないしよ?」


 今回は運搬役でしかないメルルは、長すぎる待機期間をどう過ごそうか頭を悩ませていたのだった。




 カナンは道なき道を、ただ只管に北西方向へと疾駆していた。

 到底、誰も入り込めそうにない様な山を、谷を、渓谷を……。

 自身の持つ“獣人”の身体能力をフルに活用し、信じられない速度で駆け抜けていたのだった。

 彼の目指す先には……統一国家最大の戦力を保有する城塞砦。

 先の魔王軍戦役時に、人界の絶対防衛線として建築され運用されていた。

 そこに駐屯する兵はざっと……三千。

 各国家から選りすぐりの兵が集められた、正しく難攻不落の城塞であった。

 




 勇者エルスが魔王を倒した喜びも束の間、今度は一転してそのエルスが魔王に……魔族側へと寝返ったと、聖霊ネネイによって告げられたのだ。

 臨戦態勢を解除し、砦に集う兵力も各々の国家へと帰還させられようとしていた矢先だったが、急遽現状維持を申し渡されていたのだった。

 

「全く……いつまでこんな所に詰めていなければならないんだがね……」


 駐屯兵の士気は依然高く、極めて戦時中と同じ緊張感に包まれていた。


 ……一人を除いてだが。


 その一人とは、この砦の責任者であり司令官でもあるバルド=ゼーヘンであった。

 彼はこの地に縛られ続けている事に、毎日の様に愚痴を吐き出していた。

 

 この城塞砦は、王都より徒歩で1日と至近にある。

 早馬を使えば半日。

 馬を使い捨てるつもりで酷使すれば、更にその半分の時間で赴く事が出来る。

 彼が言う程、辺境と言う訳では無かった。

 それでも彼の愚痴が静まる事は無い。


 何故なら、城塞砦には娯楽の類が無かったからだ。


 当たり前の話で、城塞砦は戦争の為に築かれた、戦闘に特化した城である。

 城内は殊の外狭く、且つ効率重視で造られている。

 辛うじて三千の兵が寝泊まり出来るだけの広さはあっても、その他の戦闘に必要でない物は殆ど用意されていなかったのだ。


 彼……バルドは、この砦の総司令官に就任している。

 それはひとえに、出世欲から来た行動だった。

 最も重要であり、ともすれば最前線となる城塞砦など、基本的には誰もやりたがらない。

 しかし重要なればこそ、その地に就く事には大きな意味があり、彼もそれを目論んでの立候補だったのだ。

 当然、彼の株は上がった。

 司令官職を解任された暁には、王都での元帥就任が約束されているほどだ。

 彼の未来は輝かしく、安泰と言って差し支えない程だった。


 それでもバルドは不満だった。

 兎に角、この地には娯楽も、女性も、食べ物も……彼の気を紛らわせる物が殆ど無いのだ。

 勿論、時折王都へと赴き息抜きはしている。

 だがそれも、王城に報告へと訪れる時のみ。

 それ以外は司令官が任地を離れる事能わず、むさ苦しい男共が集う砦に引き籠らなければならないのだった。


 バルドは、飲んでいたお茶のカップを下げに来た下女に下卑た視線を向けながら、ブツブツと呪詛の言葉を吐き続けていた。

 この砦にも女性がいない訳では無く、下働きや料理と言った男性が行わない仕事をする者が共に生活をしている。

 しかしバルドは、そんな女性達には手を出せないでいた。

 彼とて、自身の名声に傷がつく事は怖いのだ。

 一時の欲望を優先して、将来の栄光を無為にしてしまう程、彼は愚かでは無かった。

 バルドのそんな出世欲が、この砦に詰めている女性陣には幸いとなっているのだが。


「勇者のバカも、下らない事をしてくれたがね。お蔭で、私がこの地を離れるのは延期となってしまったのだがね」


 窓の外では、多くの兵士が一心不乱に剣を振るっている。

 城外では、部隊単位で集団戦の訓練が執り行われている。

 一糸乱れぬその行動は、見る者が見れば感嘆の声を上げる程見事なものだった。

 もっとも、バルドにとってその光景は、すでに見飽きたと言って差し支えない程目にして来た。

 今更感動もしなければ、特別の感慨も湧かなかった。


 ―――のだが。


 今日は勝手が違っていた。

 それまで、見事なまでの部隊行動を取っていた兵たちが突如その陣形を崩したかと思えば、まるで巨大な何かに立ち向かうかの如く一塊となったのだった。


 そしてその塊が……ゆっくりと……割れて行く。


 バルドの部屋からでは小さな……点としか思えない者の動きに合わせて、圧倒的に多数の群衆が道を譲っているのだ。

 それもただの集団ではない。

 一騎当千と言って差し支えない兵たちが、その者の動きを引き留める事が出来ない……いや、引き留めようともしないのだ。


「な……何事だっ!? 何が起こってるんだがねっ!?」


 如何に世俗に塗れたバルドとは言え、流石にそのは理解出来た。

 彼はそう独り言つと、即座に部屋を飛び出して物見塔へと駈け出していたのだった。





 カナンの周辺は、今や困惑と畏怖の坩堝と化していた。

 彼は別段、威圧した訳でも、恫喝した訳でもない。

 ただ無言で……それこそ無人の野を行くが如く、激しい訓練を行っていた兵たちの間へと割って入っていったのだった。

 虚を突かれた……と言う程、兵たちにとって不意だった訳では無い。

 カナンが近づく姿を遠目から確認出来ていたし、歩を進める人物が誰なのかも割と早い段階で判明していた。

 それでも誰一人……唯の一人も、カナンの前へと立ち塞がるどころか声すら掛けずにいたのだった。

 知らず……兵たちは編成を放棄して一塊となりカナンに対していた。

 それはまるで、小魚の群れが大型魚から身を護る術に似ている。

 意図した訳では無いだろうが、本能が身を寄せる事を選んだのだった。


 一気に拡大した兵たちの集団……その数二千。

 二千人で一人に対していても、気圧されていたのは兵たちであった。

 一向に歩みを止めないカナンに、先頭の兵が道を譲る。

 一度入った亀裂は、瞬く間に集団を切り裂き、見事に分割されてしまったのだった。


 カナンは無言で進み、凡そ兵たちの中心へと達した時点で立ち止まった。

 彼は別に、そこで止まろうと思っていた訳では無い。

 ただ物見塔の上に、見知った顔を見つけて歩くのを止めただけだった。


「……カナンッ! カナン=ガルバッ! 貴様、ここへ何をしに来たんだがねっ!」


 幾分距離のある物見塔の上より、この地の司令官であるバルドが叫声を上げる。

 カナンは、バルドと王都で会っている。

 勿論、その時はカナンもエルスと共に勇者の一員として。

 そしてバルドも、一将軍としてであったが。

 

「……バルドか……。相変わらず、ギャアギャアと五月蠅いな」


 カナンはバルドの問い掛けに答えず、ただそれだけを呟いた。

 余程耳が良いのか、バルドはそれほど大きくなかったカナンの言葉を確りと聞き留めていた。


「この裏切り者めっ! 私の問いに答えよっ! ここへ、何しに来たんだがねっ!」


 太々ふてぶてしいと言って差し支えないカナンの態度に、バルドは怒りよりも恐怖を感じ取っていた。

 カナンは既に、エルスと共に指名手配を受けている存在だ。

 魔族となり、魔王を目指すエルスと行動を供としているのだから当然の事と言って良かった。

 そしてともなれば、普通は姿を衆目に晒さない様、隠れる様に行動するものだ。

 決して、自ら大勢の眼が集まる様な場所へは現れない。

 ましてや官憲や、軍人のいる様な場所は避けるべきである。

 そんなカナンが、別段畏れた様子も悪びれた姿も見せずに、最強兵の集う砦へとやって来たのだ。

 これが不安を掻き立てずして何とするだろう。

 

「ふっ……裏切り者……か……」


 カナンは相変わらず、バルドの問いに答えない。

 その間、周囲からは動きは勿論、言葉の一つさえ漏れ聞こえない。

 まるでこの場には、カナンとバルドの二人しかいない様であった。


「カナ……ッ」


「俺は……怒ってるんだ」


 更にカナンへと怒鳴り散らそうとしたバルドの言葉を遮ったのは、カナンの低く……冷たい声音だった。


「裏切り者……? それは果たして、俺の……俺達の事か? それとも、お前達王侯貴族の事か?」


 カナンの瞳に、初めて冷たい殺気が宿りバルドを睨みつける。

 その気勢は周囲にまで波及し、二千の兵が殆ど同時に数歩後退る。

 最もその殺気に晒されたバルドは、震える手で欄干らんかんを握り締めなければ腰を抜かしてしまう程であった。

 

「お前達……人族には、本当にうんざりだ……。今更、誰のために魔王と戦った等と言うつもりはない。礼も、謝罪も必要ない。ただ……俺の怒りの矛先になってくれ」


 話し終えたカナンが、スラリと腰に差した剣を抜く。

 ただそれだけにも拘らず、恐怖に彩られたどよめきが周囲を満たし、カナンに近しい兵の何人かは腰を抜かしてその場へとへたり込んでいた。


 カナンの怒り……それは何も、彼自身の怒りではない。

 カナンの怒りは、エルスへの処遇に対してだった。

 ただ人族の為にと全てを投げ打って戦って来たエルスに、その裏でバルドを含めた政府関係者は、エルスを追い落とす算段をしていたのだ。

 そして魔族側に付いたと言われただけで、アッサリとその掌を返した変わり身の早さ。

 エルスを擁護する事も、彼の話を聞こうともせず、ただ利害の一致によりこれ幸いにと切って捨てる厚顔さ。

 エルスには、人族に対する恨み辛みを晴らそう等と言う考えはないだろう。

 だからこそだ。

 だからこそ、カナンは今回の作戦で、その標的をここに選んだのだ。

 明確に人族と敵対する。

 に刃向かう事がどれだけの痛手をこうむる事となるのか、その身を以て教授する為に、カナンは此処へと来たのだった。


「お前等には改めて……魔王エルスの片腕、カナン=ガルバの恐怖と言うものを……植え付けてやる」

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