非情なる策

「アルナ達が……こっちへ向かってるみたいや」


 開口一番、メルルは事実だけを皆に伝えた。

 その瞬間、エルスとシェキーナ、カナンの間に緊張が走る。

 それは、彼女との再会はそのまま苛烈な戦闘の幕開けだと、誰が言う事も無く分かったからに他ならない。


「アルナ……とは何者ですか?」


 しかし彼女の事を知らないアスタルは、そんな張り詰めた空気に疑問を口にした。

 エルス達がアルナの名を聞いた途端に、何かしらの感情を抱いた事は窺い知れても、何故それ程に緊迫するのかが分からないのだ。


「アルナは……いや、アルナ達は、元勇者パーティの一員で……私達の仲間だった者共だ」


 シェキーナは、言葉を出すのも苦しそうに言葉を選んで説明した。

 シェキーナだけでは無く、エルスさえも僅かに顔を青くしている事を鑑みれば、その関係は改めての説明を必要とはしなかった。


「……敵……っちゅー事だら?」


 べべブルが核心をついた言葉を発した。

 その途端に、エルス達からは重苦しい雰囲気が発せられる。


「ちょっと―――……べべブル―――……」


「どんなに言葉を選んでも、本質は変わらないだら」


 たしなめるリリスに、べべブルは気にした様子もなくそう言い捨て、そっぽを向いてしまった。


「いや……その通りや。今やあいつらは……敵や」


 そしてメルルもそれに同意する。

 言い方を変えれば状況が変わる……等と言う事は無い。

 現実を確りと把握して行動しなければ、甘い幻想を抱いたまま息絶える破目にもなりかねないのだ。


「そのアルナ……と一行が魔界へとやって来る……。目的はやはり……魔王様か? それとも……」


 アスタルは聞くまでもない事をあえて口にした。

 魔王が新たに生まれた事は、今まで秘匿されてきた筈である。

 聖霊ネネイがアルナ達に告げ口しない限り、その事実は未だに一部の者しか知らない事なのだ。

 その様な状況下で、アルナが魔界へとやって来る……。

 その理由は……言わずもがなである。


「ああ……奴らはエルスを殺しに来るんだ」


 その問いに答えたのはカナンだった。

 彼にはすでに、アルナ達に対しての特別な感情など無い。

 エルスを殺そうとしている事は以前から分かっていた事で、彼のすべき事も全く変わっていないのだ。

 

 カナンがその言葉を発した事で、誰も後に続く台詞を吐けないでいた。

 重苦しい空気がその場を包み込む。


「……ここからは、ウチの打算から話をすんで―――……」


 その沈黙を破ったのは……メルル。

 彼女は、冷静沈着な表情で口を開いた。


「まずはっきりさせなあかんのは、今の段階でウチ等には逃げる場所は無いっちゅーこっちゃ。魔界を出て他の場所に行こう思ても、それが藪蛇になる可能性もあるからな」


 冷静……と言うよりも酷く冷めた視線で、メルルは淡々と話し続けた。


「アルナはウチ等が此処に居る事を知らん。あいつは、虱潰しらみつぶしに世界を周っとるだけや。その順番が巡って来たに過ぎん。逆に言えば、あいつらを出し抜く事が出来たら、その次に此処へ訪れるまで時間を稼げるっちゅーこっちゃ」


 話に区切りをつけたメルルが、一同をゆっくりと見回した。

 その視線を受けた者は、ゆっくりと首を縦に振り同意の意を示した。

 ただ一人、エルスだけは彼女と視線を合わさず、膝に抱くエルナーシャを見つめていた。

 状況を理解していないエルナーシャは、エルスの顔を小さな手で触り、無邪気に笑顔を湛えていた。


「アルナが魔界へ来たら、ウチ等は一旦魔王城を出て……隠れる。ウチ等の気配や痕跡を一切消して、アルナ達との接触を完全に断つ」


 不戦……逃亡……潜伏……。

 メルルの提案は、到底勇者として相応しいものでは無い。

 何よりも、世話となっている魔王城を……延いては魔界を護る事もせず、逃げの一手を取ると言うのだ。


「此処へと攻め込んでくる人間共と戦わず、敵前逃亡までして時間を稼ぎ、メルル殿は何を望んでおられるのか?」


 静かに話を聞いていたアスタルだが、重く暗い言葉を発したその雰囲気は殺気を纏っている。

 誰が聞いても、メルルの話は自分達の利害だけを言及したものだ。

 アスタルでなくとも、その話を聞けば怒りに震える事は間違いなかった。


 ……もっとも、メルルは最初に明言していたのだが。


「エルスの命……そんで、エルナの成長や」


 アスタルの怒気を真っ向から受けても表情一つ変えず、メルルはサラリとそう言ってのけた。

 その言葉を受けても、未だアスタルに留飲を下げた様子は見られない。

 そしてシェキーナとカナンにも変化は見られなかった。

 彼女達はメルルと同じ気持ちであり、例え魔族達とたもとを分かってもエルスを護ろうと念頭に置いているのだ。

 

 そして当事者のエルスは、流石に口を挟もうとして……やはり何も言えなくなっていた。

 自分を守るために全てを犠牲にしてくれる仲間達の気持ちは、震える程に嬉しく感じている。

 1ヶ月前よりも自分の能力が落ちている事は、誰に言われるまでもなく自身が一番分かっていたのだ。

 だからと言って、世話となった魔界を犠牲にしても良いと言う話ではない。

 そしてその様な選択など、エルス自身が認められなかった。


 だが……メルルの言葉……その最後。

 エルナの成長の為だと言われれば、エルスにも反論する為の言葉が見つけられなかったのだった。

 自分の膝の上で無邪気に笑う小さな魔王を、エルスには犠牲にする事など出来なかった。


「エルナには、まだまだエルスの『勇者の力』が必要や。んで、『勇者の力』を注げば、エルナはどんどん成長して……強くなる。エルナには早いとこ成長して、魔王の名を襲名して欲しいんや……名実ともにな」


 そして魔族側も、エルナの成長を持ち出されれば反論する口実を失う。

 未だ殺気を放つアスタルは兎も角、リリスとべべブルはメルルが話す言葉の真意を探った。

 しかしその本音の部分は……メルルによって語られる。


「……エルナが魔王になって、その実力を示せば……アルナ達がエルスを追う理由がなくなるんや……。そうなったら、あいつらとの戦いを回避出来るかもしれん。ウチ等とあいつらの戦力は拮抗しとる。互いにぶつかり合ったら、双方ともに無事やとは言えんやろ……。それを回避する手段が……エルナの成長や」


 やや力なく語られたが、それを聞いてイリスたちは納得し、アスタルも幾分殺気を和らげた。

 手段や作戦は兎も角として、エルナを兼ね合いに出されればアスタル達に否やは無い。

 メルルの言葉に偽りは感じられず、それが最善の策であるとも考えられたのだ。

 その日の会議はそこで終わり、一同はその場を後にしたのだった。




「アスタル」


 廊下を歩くアスタル、リリス、べべブルの後ろから、追って来たメルルが声を掛けた。


「メルル殿」


 ゆっくりと振り向く三人に、メルルを疎ましく思う感情など感じられない。

 それどころか、先程の殺気が嘘の様に普段と何ら変わらない風情だった。


「……さっきの話やねんけど……」


 僅かに言い淀むメルルに、ニカッと笑顔を浮かべたアスタルが言葉を継ぐ。


「気になさるな。恐らく……いや、間違いなく、メルル殿の策が最善だと我等は思っております」


 アスタルの言葉に、リリスとべべブルも頷いて同意する。


「……でもなぁ……ウチはあんた達に、死んでくれってゆーてる様なもんやで……?」


 苦渋を顔に滲ませ、メルルがアスタルに応える。

 先程の話には上がらなかったが、魔界に来たアルナ達に全くの無抵抗を決め込む事など出来ない。

 それでは逆に不審がられてしまうのは目に見えて明らかであり、何よりも魔族の心情がそれを良しとしないだろう事は容易に窺い知れるのだ。


「お気に召さるな。魔王様の為になるのであれば、この身を掛けるにこれ以上の事はござらん」


 武人であるアスタルがその様な台詞を口にすれば、それは非常に「様になっている」と言える程に似合っていた。

 だがその言葉は、何も格好をつけての台詞ではない。

 正しく命を賭している言葉であり……覚悟だった。

 アスタル達の実力では、どう足掻いてもアルナ達に勝てる訳はなかった。

 それにも拘らず彼女達の前へと立ちはだかると言うのだ。

 それが決死で無くて何と言うのだろうか。


「私が怒っている風を装い、それで揺らぐような決心であったなら、我等は断固として反対していたでしょう。ですが流石はメルル殿。やはり貴女の意志も、我等に劣らず固いと見受けました」


 会議中……アスタルが怒りを露わにし、殺気を纏った場面。

 あれはアスタルの“演技”だったのだ。

 メルルの……そしてエルス達の決意を試したものに他ならなかった。

 

「メルル殿たちには、もっと高圧的に我等へと命令も出来たでしょうに。何せ我等は、あなた方に勝てないと分かって軍門に下ったのですからな」


 何も言い出せないメルルを余所に、何故か鷹揚おうようと語るアスタル。

 それはまるで、全ての事を吹っ切っている様であった。


「それでもこうして気に掛けて下さる……。私は……いや、我等はあなた方を気に入っているのです。それも、この作戦に異を唱えない理由ですな」


 そう告げて豪快に笑うアスタル。

 リリスとべべブルも彼の影でクスクスと楽し気な笑いを洩らしていた。


「……とりあえず、明日も会議を開く。可能な限り、あいつらが此処に来るんを遅らせる為の策を説明する。明日も宜しく頼むで―――」


 漸く笑顔となったメルルに、三人は気負った様子も見せずに頷いて返したのだった。

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