戦いの予兆

 泣く子は育つ……もとい、寝る子は育つ……。

 そう言ったのはメルルであったか……シェキーナであったか。

 ことわざにもそうある様に、よく食べよく寝る子は大きく育つと古くから言われている。

 

「……っちゅーて……なんか、あっちゅー間に大きくなってない?」


 数週間が過ぎ、エルス達が魔王城で生活する様になっておよそ1ヶ月。

 エルス達が……いや、彼等だけでは無く、魔族達も総がかりで面倒を見ている赤子の魔王エルナーシャは、スクスクと成長していたのだが。

 

「そ……そうなのか? 私は子供の成長など見た事がないから分からないのだが……」


 メルルの問い掛けに、シェキーナは戸惑いつつそう答えた。

 メルルはエルナーシャの成長速度に疑問を感じていた。

 1ヶ月と言うのは短い様で長く、長い様で……短い。

 生まれたばかりと比較するべくも無いが、それでも大きな変化が現れると言う程ではない。

 手足を動かす頻度が多くなると言う事はあっても移動する程ではないし、どちらかと言えば瞼が開き、周囲を隈なく観察していると言った変化が訪れる程度だ。


「おい、エルス。しっかりとエルナを抑えておいてくれ。こうひっくり返られては、上手くおむつを変えられん」


「ああ、悪い悪い」


 しかしエルナーシャは既に首も座り、ひっくり返りを行うまでになっていた。

 表情も豊かになり、喜怒哀楽も表現する様になってきていたのだった。

 授乳時間も随分と長くなり、ともすれば離乳食も採れるのではないかと思えるほどだ。

 それだけでなく。


「う――……あ―――」


 声を出すまでにもなっていた。

 この様子ならばじきに這うようになり、言葉を喋る様になるかもしれない。


「普通これ位になるまで、半年近くは掛かるんとちゃうん?」


 メルルも、決してエルナーシャの成長を疎んでいる訳では無い。

 むしろその逆で、彼女が何の問題も無く大きくなってゆくのは嬉しい限りであった。

 それでもその急激な成長を目の当たりにすれば、多少その疑問がよぎるのも仕方の無い事である。


「はっはっは。それは魔族ならば普通の事ですよ」


 部屋に入って来たアスタルが、エルナーシャを抱えて「高い高い」をする。

 エルナーシャは、それは楽しそうな声を出し喜びを露わにしていた。


 最大の変化……それは、エルスの手を離れ他の者がエルナーシャを抱いても、もう泣かなくなったと言う事だった。


「そうなんか?」


「はい。魔族は古くより過酷な環境で生活してきましたので、無力な幼い時期は短く、屈強な若者の時期が長いのです」


 それはメルルも初耳の事であった。

 人界における様々な文献を読み漁り、多量な知識を有するメルルであっても、訪れる事が無かった魔界の事はまだまだ未知の部分が多いのだ。

 

「それにしても―――魔王様は―――些か早過ぎる様な気もします―――」


 高く持ち上げられているエルナーシャを見上げて、リリスが頬に手を当てて考えを述べた。


「そうなのか?」


 それに対し、アスタルはレヴィアに向けてそう返答した。

 もっともらしい説明をしたアスタルだが、武人肌な彼が子育てに精通している訳では無い。

 更に言えば、彼の口にした事はあくまでも一般論であり、彼自身が経験した訳では無いのだ。


「はい……。魔王様の成長は、魔族の赤子と比べても3倍は早いと考えられます……」


 傍に控えていたレヴィアが即座に返答し、リリスがその回答に頷いて同意していた。


「まぁ……魔族は長寿だら。早く成長すたっちゅーても、早くおっぬ訳じゃねえだら」


 そして、べべブルが話しを纏める様にそう結論付けた。

 彼の言う事はもっともなのだが、肝心の理由については解決していない。

 それでも一同が、「そういうものか」と納得しかけた時だった。


「エルナの成長が早いのは―――『勇者の力』を吸収し続けている『魔王』だからよ―――」


 エルナーシャを中心にして話し込んでいた一同の輪の外側から、聞き覚えのある声が投げ掛けられる。

 以前も同様の登場を経験しているエルス達は、僅かに驚いたものの慌てる事は無く、自然な動きで声の方に視線を向けた。

 そこには、一同の想像通り聖霊ネネイが出現していたのだった。


「あら―――? 驚かないのね―――? つまんな―――い」


 唇を尖らせて拗ねた素振りを見せる聖霊ネネイに、エルス達は苦笑しか浮かべる事が出来ない。


「なんや……ま―――た来たんかいな? あんたも暇やな―――」


 そして、メルルがズイッと一歩ネネイへと近づき、溜息交じりにそう答えた。


「暇じゃないも―――ん。忙しいも―――ん。……それよりも、エルナの事なんだけど―――……」


 明らかに悪乗りしている聖霊ネネイだったが、その事をツッコまれる前に自ら話題を元に戻した。


「エルナの成長が早いのは、何も魔族だから……と言う訳だけではないわよ。彼女はエルスから勇者の力を目一杯受けているわ。特別な『栄養』でもある勇者の力を吸収する事で成長が通常よりも早いの」


 成程、話を聞いてみれば一同も納得する理由だった。

 勇者の力がどれだけの栄養素となるのかは未知数だが、それでも外部から強い力を吸収しているのだ。

 その力が成長に加味されていると言われれば、妙に得心の行く話であった。


「それに―――……」


 ただし、聖霊ネネイの話はそれだけでは終わらない。


「魔王が何時までも無力で、人族がもしそれに気付いちゃったら……ね?」


 軽くウインクしてそう付け加えたネネイだったが、その内容は軽く聞き流せるような事ではなかった。

 人族と魔族が敵対する事によって、総括的に考えればそれぞれの種族が安定して存続できる……と言う話は、あくまでも外部からの視点で考えた場合である。

 両陣営とも、別にゲームをしている訳では無い。

 本気で相手を打ち負かす……可能であれば征服し、滅亡せしめようと考えているのだ。

 そんな人族が、もし「魔王は生まれたが未だ子供で、何の力もない」等と知ればどう動くだろうか。

 間違いなく、魔王が成長するまで待つと言う事は無い。

 これ幸いにと大軍を魔界へと送り込み、一気に決戦へと持ち込むだろう。

 今現在、人界も先の魔王から受けた被害が回復している訳では無い。

 今すぐに、魔界へと攻め込む余力がない事は確かで、人界の眼も魔界には向いていない。

 それでも魔王が生まれ、その魔王が今は無力だと知ればそうも言っていられないだろう。


 聖霊ネネイの謀略で、勇者アルスは魔族側へと寝返ったとされている。

 一部の者には、勇者エルスが魔王となったとさえ触れ回られているのだ。

 エルスが実際にどう動くかは兎も角として、その話それ自体が人界としては脅威であり、魔界へと攻め込むのは論外、守りを固める事で頭がいっぱいなのだ。

 一部の勢力が独断・・で動いてはいるものの……それ以上の戦力など、余程の事が無ければ動かせないのが実状だった。


「……アルナが……動き出したわよ」


「……っ!? そうか……。あいつら、もう『魔女の住処』を見つけるん諦めたんか……。以外に早かったな―――……」


 そしてその一部の勢力アルナ達の動向を聖霊ネネイがメルルへと耳打ちし、それを聞いたメルルが溜息と共にそう呟いた。

 

「そりゃ―――そうよ―――。あなたが第5異界を閉じた事……私が彼女達に告げたもの」


 悪戯が成功した時の様な笑顔を浮かべて、聖霊ネネイは何一つ悪気を感じさせずにそう言った。

 

「……お前な―――……なんでいっつも、ウチ等の邪魔ばっかりするんや……?」


 心底呆れた態で、メルルは聖霊ネネイに冷めきった視線を送る。

 もはやメルルには、聖霊ネネイの動向にいちいち目くじらを立てる気力も無かったのだった。


「だ―――って―――……。あのままあの娘達が異界通路を繋げる事に固執してると、一体いつ『魔女の住処』がもう無いって気付くのか分からないんだもの―――」


 閉じられた異界に通路を作り出すには、途方もない時間と労力がかかる。

 ましてやその存在が今まで知られていない「魔女の住処」を探し出さなくてはならないのだ。

 それは、通常で考えるならば、数年を要する大事業なのに違いなかった。


「そやかて、1ヶ月で教える事も無いやろ―――……」


 聖霊ネネイには彼女の考えがあって動いている。

 流石にそれを理解しているメルルは、恨めしそうに愚痴るより他なかった。


「うふふ……此処の事は教えてないけれど、彼女ならすぐに此処へと向かうんじゃないかしら? ……何も手を打たなければ……ね?」


 それだけを告げると、聖霊ネネイは消え失せたのだった。

 彼女の消えた後を見つめ続けていたメルルは、話し込んでいるエルス達の方へと向き直り声を掛けた。


「エルス……皆。緊急対策会議……開くで」


 



 再び、因縁の対決とも呼べるその予兆が沸き起こっていたのだった。

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