激動の日々

「ふわああぁぁっ! ふわああぁぁっ!」


 相も変わらず泣き続けるエルナーシャに、エルスとメルル、シェキーナの三人掛かりであやしてはいるが、それも一向に効果を成さない。


「レヴィア、エルナが何故泣いているのか……分かるか?」


 オロオロとしだしたシェキーナが、随分と年下に見えるレヴィアへと質問する。

 傍から見たその姿はとても勇者パーティの一翼をになう戦士には見えず、ともすればレヴィアの方が年上に見える程だった。

 静かに頭を下げてシェキーナの問い掛けに応えるべくエルナーシャへと近づこうとするレヴィアだったが。


「そんな事はすぐに分かるだろう。おしめが汚れてるんだよ」


 横から掛けられた声に、その動きを止めてしまった。


「なんや、カナン。何でそんな事が分かるんや?」


 エルスと共に、腫れ物に触るかのような仕草でオロオロとしていたメルルは、驚いた口調でカナンにそう問うた。


「何でって……これだけにおってたら分かるだろ?」


 カナンは然も当然と言った様に答えたのだった。

 高い五感を持つカナンには、常人の感じる事の出来ない気配を察し臭いを嗅ぎ分ける事が出来るのだ。


「おお! 流石獣人! レヴィア、おしめの用意頼むわ」


 メルルは心底感心して、レヴィアにそう指示をした。




「今度は何や―――……」


 一難去ったエルス達だったが、エルナーシャがそれで解放してくれる筈もなく。

 再び泣きだしたエルナーシャに、疲れ気味のメルルが弱々しくそう呟いてカナンを見る。

 疲労の色を浮かべているカナンも、今回は首を横に振った。

 その仕草から、どうやらおしめの交換では無いと言う事が窺い知れた。


「……うん? 随分と精神の精霊が活発に……。何やら苛々している様だぞ?」


 目を細めてエルナーシャを見るシェキーナがそう発言した。


「何やシェキーナ。感情の動きまで見れるんかいな?」


 目を丸くしてメルルは驚いた。

 原因が分かれば、まだ対処のし様があると言うものだ。

 エルスは立ち上がり、軽く揺らしながら室内を歩き出した。

 暫くするとエルナーシャの泣き声は徐々に弱まり……そのまま眠りについたのだった。


「精霊は何にでも作用している。それは人の感情も例外では無いんだが……まさかこんな所で、精霊を見る能力が役に立つとは……」


 メルルに応えるシェキーナも、意外な所で意外な能力が有用出来た事に驚きを隠せないでいた。

 精霊を見る……とは言っても、それは意識しなければシェキーナでさえ難しい事だった。

 そうでなければ、精霊を見る事が出来る者の瞳に世界は、百鬼夜行の如く様々な精霊であふれ返ったものと見えるだろう。

 今回気付いたのも、本当に偶然の産物だったのだが……。

 それを機に、エルス達の「子育て奮闘記」は大きな変換期を迎える事となったのだった。





 それから数日……。


「……ん?」


 剣の稽古をしていたカナンが何かに気付き、即座に切り上げて何処かへと向かって行った。

 戻って来たカナンの手には……エルナーシャのおむつ。

 その直後。


「ふわああぁぁっ! ふわああぁぁっ!」


 エルナーシャが大きな声で泣き出したのだ。

 しかし慌てる者はもういない。

 

「頼むよ、カナン」


「うむ」


 エルスからエルナーシャを受け取ると、カナンは彼女をソファの上に寝かせ、実に慣れた手つきでおむつを換えてしまった。

 不快感が無くなったエルナーシャの泣き声は先程よりも随分と小さくなり、エルスが抱き上げると同時に泣き止んでしまったのだった。


 こうしてカナンは……エルナーシャのおむつを替える事に関して、右に出る者がいない程になったのだった。


 


「……うん?」


 エルス達と談笑していたシェキーナが何かに気付き、一言断りをいれて退席する。

 戻って来た彼女の手にしているのは……哺乳瓶。


「ふわああぁぁっ! ふわああぁぁっ!」


 それを見越したかのように、エルナーシャがぐずり出した。


「お腹が空いた様だ。ちゃんと人肌に冷ましてある」


 シェキーナがエルスに哺乳瓶を渡し彼がそのままエルナーシャに与えると、彼女は勢いよくミルクを飲み出した。


「ほえ―――……便利やな―――……」


 心底感心するメルルに、シェキーナは少し頬を赤らめてそっぽを向いたのだった。

 

 こうしてシェキーナのお蔭で……言葉が通じなくとも、エルナーシャが何を求めているのかがある程度は分かるようになったのだった。





「ふわああぁぁっ! ふわああぁぁっ!」


「割と高い熱だ……どうすれば良い?」


 エルスの腕の中でエルナーシャが泣いている。

 しかしその原因はハッキリしているものの、今回はシェキーナやカナンの出番では無かった。

 

 エルナーシャが発熱したのだ。


 子供の発熱は突発的であり、比較的熱が高くなることも多い。

 ただしそうなったからと言って、大人向けの治療が通用するかと言えばそんな事も無いのだ。

 

「……魔界でよく知られている、熱さましの木の実を取ってきます……。魔界では昔から、幼子が熱を出した時にはそれをいて粉状にした物を水で溶き、頭に塗ると良いとされているのですが……」


 所謂、魔界で行われている民間療法の事をレヴィアは言っているのだ。

 だがその口ぶりから察するに、効果の程は定かではない様に思われた。


「あ―――かめへん、かめへん。今晩一晩は様子見よう―――」


 慌てる周囲を余所に、メルル一人だけは落ち着いた様子でそう提案する。

 

「で……でも、良いのか? かなりの熱だし、こんなに泣いているし……」


 流石のエルスも、メルルの提案には懐疑的だった。

 大人でも高熱を出せば、それなりの治療をしなければ辛いものだ。

 ましてや赤子……その辛さはいかばかりか、なまじ言葉が発せないだけに不安だけが増大してしまうのだが。


「か―め―へ―んって。子供が熱出すんは良くある話やそうや。それに子供の体力を以てすれば、よっぽどやない限りはケロッと治ってまうらしい。とりあえず頭と脇の下を冷やす様にして、付きっ切りで見たらなあかんけど、特に薬が必要とは限らん。水分だけ切らさん様に注意して、明日まで待とう。朝になっても熱が引かんかったら、その時はウチが薬作ったるさかい」


 心配げな一同を前に、やけに落ち着いたメルルの言い様は幾許いくばくかの安堵を周囲に齎した。

 メルルの意見通り、今夜一晩は様子を見る事で一同は合意した。

 

 さて、エルスがエルナーシャと二人きりで寝ているのかと言えば……そうでは無かった。

 数時間ごとに起きるエルナーシャ。そして場合によっては夜泣きをする事もある。

 そんな状態では、エルス一人ではとても体力が持たない。

 夜の間だけとはいえ完全に一人きりで面倒を見るとなれば、エルスでは手に負えないのが実状だった。

 だからと言って、レヴィアを同室させる訳にもいかない。

 本当ならばそれが効率の面からも望ましいのだが、そんな事はメルルとシェキーナが許さなかった。

 そこで取られた案が……これである。


「ほんまに……お前はようけ手の掛かる娘やで―――……」


 暗くなった寝室で……エルスに抱かれて眠っているエルナーシャの頭を撫でながら、メルルが優しく声を掛け、そっと頭を撫でてやる。

 眠りに包まれているエルナーシャに、メルルの声は届かない……それ程に小さく、気遣われた言葉だった。


「……何だ、メルル? まだ起きていたのか?」


 メルルの僅かな仕草に気付いたシェキーナが、眠そうに声を潜めて話しかけた。


「……うん。皆にあんなこと言った手前、この娘に何かあったら吊るし上げ喰らってまうからな―――……」


 夜はメルルとシェキーナがエルス達と共に寝る事で、その問題を解消していたのだった。

 厳密に言えば、どちらか一人で十分に事足りる。

 だがそんな事は以下省略。

 

「ずっと起きていたのだろう? 私が代わるから、お前も寝たらどうだ?」


 シェキーナがメルルを気遣ってそう提案する。


「うん……。やっぱり、も―ちょっとこの娘……見とくわ」


 そしてそれをメルルは、やんわりとした口調で断った。


「……そうか。余り無理はするなよ」


 そんなメルルの気持ちが分からないでもないシェキーナも無理強いする事無く、再び眠りにつくのだった。


 その翌日……。


「ふわああぁぁっ! ふわああぁぁっ!」


 魔王城内全てに届けと言わんばかり、エルナーシャの元気な泣き声が響き渡る。


「はぁ―――……熱が引いて元気になっても、結局は泣き声に悩まされなあかんのやな―――……」


 結局一睡もしなかったメルルは、疲労困憊の態でそう呟いた。


「ふふふ……昔から言うだろう? 子供は泣く事も仕事だ……と」


「それをゆーんやったら『寝る事も』や。……まぁ、泣く子は育つゆーしな」


「それこそ、『寝る子は』だな」


 シェキーナの言葉で、二人は顔を見合わせて笑った。

 

 まだ一週間と経っていないにも関わらず、魔王の泣き声は魔王城の名物となりつつあったのだった。

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