決心
聖霊ネネイはエルス達一同を前にして、実に包み隠さず、そして淡々と、事実だけを語った。
そこには思惑も裏事情も含まれていない。
―――エルスに下された「ラストクエスト」。
―――それは「魔王の卵」を持ち、魔王を誕生させる事。
―――魔王の卵を孵す為には、エルスの持つ「勇者の力」を注がねばならない事。
―――その結果、エルスは勇者の力を失って行く。
―――クエストの内容を、誰にも漏らしてはいけない事。
―――もし誰かに話せばクエスト失敗として、魔王の卵を即座に消滅させる事。
―――魔王が生まれなければ、人界では人同士の争いが起こる事。
―――魔王の存在が、人族の結束を促している事。
―――そしてエルスにクエストを受けさせるため、ネネイがどの様な言い回しを使ったか等……。
聖霊ネネイは、まるで記録を読み上げる様に……ともすれば、自分には関係の無い事とでも言いたいような声音で話し続けた。
その話を聞いた一同の反応は正しく千差万別と言った処か。
エルスに表情の変化は見られない。
一度経験した事を蒸し返されているだけで、そこに新たな感慨の湧きようなど無かった。
メルルもまた、表面上は冷静……を装っている。
しかしそれが、あくまでも“仮面”だと言う事は、付き合いの長いメンバーの誰もが分かっている事だった。
彼女はピークを越えて強く憤る程に、その表情の“色”を失っていくのだ。
カナンもまた同様に、その表情には“色”と呼べるものが浮かんでいなかった。
もっとも、その理由はメルルとは全く異なるのだが。
カナンにとって、エルスの立場や状況は「取るに足らない」事でしかなかったのだった。
彼にとって重要なのは「エルス」と言う人間であり、存在である。
それ以外は関係ない……いや、興味が無いと言ってよい。
アスタル達にしてみれば、エルスの境遇など本当にどうでも良い事だった。
更に言えば、先代魔王を倒した憎き勇者が力を失って行く事は、僅かながらも胸の
そして最も感情を露わとしていたのは、誰あろうシェキーナに他ならなかった。
どの様な事情があれ、聖霊ネネイは勇者パーティを崩壊に導き、エルスを窮地に陥れ、
シェキーナはエルスに特別な感情を抱いている。
それとは別に、エルスの率いる「勇者パーティ」を愛していた。
様々な種族が、一つの目的を以て共に行動する。
艱難辛苦を全員で乗り越え、お互いを助け合って行動するパーティが、とても居心地の良い場所だったのだ。
聖霊ネネイは、それらを瞬時に破壊した。
彼女の意志であろうとなかろうが、直接手を下したのはネネイに他ならないのだ。
この時シェキーナの心中では、今すぐに飛び掛かろうとする想いと、それを抑え込もうとする想いが
「私との約束は解消されたけど……エルスには今後もこの子を育てて頂きます」
すべてを語り終えた聖霊ネネイは、最後にそう付け加えた。
「……何でや? 魔王も生まれたんや。晴れて魔界は、人界の敵となる為の旗頭っちゅー奴を手に入れたんやろ? それやったら、エルスは今後自由にしてえーんちゃうんか?」
聖霊ネネイの言葉は、エルスを今後も魔界に縛りつけるものに他ならない。
アルナからの追撃を躱す必要のあるエルスは、ここをいつでも離れる事の出来るような状態が望ましいのだ。
「魔王が誕生しても、それはただ生まれただけよ―――? 成長するには、もっとたくさんの『勇者としての力』が必要なんだから―――。エルスには―魔王の傍らに居て―、その役目を果たして貰わないといけないの―――」
クネクネと身を
だが先程の話も相まって、一同にはその行動がどうにもわざとらしい……胡散臭いものにしか映らなかった。
「それはお前の都合だろうっ! これ以上、エルスを利用するなっ! さもなければ、如何な御使いと言えど……これ以上だまっている事など出来ない」
シェキーナが瞳を燃やし、聖霊ネネイに向けて啖呵を切る。
抑えきる事の出来ない衝動の為か、彼女の身体がピクピクと痙攣に似た動きを見せ、その気勢は今にも飛び掛からんばかりだった。
「ん―――……別に『弱い魔王』でも構わないならそれでも良いんだけどね―――……。でもそれじゃあ、世界の安定なんて望めないけど……それでも良いの―――?」
唇に人差指を当てて、小首を傾げてシェキーナに問うネネイはどうにもふざけて居るとしか見えない。
そして、シェキーナには明らかにそうとしか感じられなかった。
今まさに飛び掛かろうとしたシェキーナを間一髪で引き止めたのは、彼女の肩を叩いたメルルだった。
「……なるほどな―――……。『必要悪』ってのは、強ければ強い程相手も結束を固めるっちゅ―こっちゃ。弱い敵に、相手も本気になんかならんっちゅ―事やで」
それは哀れであり情けなくもある人族の習性を語ったものだった。
人族と言う種族は、自身に危機感を覚えなければ、本気で行動を起こさない。
今、人族を纏めて率いている「統一国家」も、人族存亡の危機があればこそ成り立っているのだ。
「そんな事、私には関係ないっ!」
シェキーナは振り返りざま、メルルにそう吠えて噛みついた。
当のメルルはそれに怯むでもなく、呆れた様に溜息を吐くより他なかった。
「いいんだ、シェキーナ。俺は……このままこの子を育てようと思う」
そんな二人のやり取りを見ていたエルスが、穏やかな笑みを浮かべてシェキーナにそう声を掛けた。
「……エルス……」
事の当事者であるエルスにそう言われてしまっては、シェキーナには何も言い返す事が出来なかった。
元より、シェキーナの怒りはエルスの為であって、彼女自身に害があっての事では無い。
「しかし……良いのか? この子は魔族……それも魔王だぞ? お前は魔族に、少なからず恨みを持っていたのではないのか?」
エルスの決意に疑問を投げかけたのはカナンだった。
エルスは彼の言うように、幼い頃に家族を皆殺しにされていた……魔族にである。
そんなエルスが、魔界に留まって魔王を育てると言うのだ。カナンの疑問は至極もっともであると言えた。
「確かに……恨んでいた時期もあった……。でも今は……その悲しい記憶ですら『過去』だと言えるようになったんだ。それはカナン……そしてメルル、シェキーナ。お前達の存在があればこそだよ。お前達と一緒なら、俺は過去だって乗り越えられるって思ってるんだ」
晴れやかな笑顔を浮かべるエルスに、カナンは僅かに微笑み、メルルも肩の力が抜けた様な笑みを浮かべ、そしてシェキーナは……その両目からボロボロと大粒の涙を流していた。
「それにほら……この子を見てしまったら、ちょっと離れがたいって思わないか?」
そういって差し出された腕には、赤子の魔王が抱かれている。
その眼は見えているのかいないのか、シェキーナの瞳を真っ直ぐに捉えていた。
「……エルス……」
未だ涙の残る瞳だが、そこからは怒りも恨みも消えていた。
柔らかい微笑を浮かべたシェキーナが、エルスからその赤子を受け取りその腕に抱いた。
「ふわ……ふわあああぁぁっ!」
その途端、赤子は大泣きを始めたのだった。
「うわっ!」
何とかあやそうとするシェキーナだが、赤子の
「なんや、シェキーナ。赤子のあやし方も知らんのかいな」
赤子を持て余すシェキーナから、メルルがゆっくりと引き継いだ。
「ふわぁぁぁっ!」
しかし赤子の癇癪は、大賢者の力を以てしても止む気配がない。
「こ……こうなったら……カナン! ……ほーら、ワンちゃんでちゅよ―――」
切羽詰まったメルルは、そのバトンをカナンへと渡した。
「ワン……!? 俺は狼なんだけどな……」
そういって赤子を腕に抱くもその鳴き声は止まず、カナンも焦りを露わにしていた。
「ここはやはり、我等同族の出番ではないですかな?」
勇者パーティが全滅し、満を持してと言った様子でアスタルが名乗り出た。
どうしようもなかったカナンは、赤子をアスタルへと引き渡す。
「ふわぁぁっ! ふわあぁぁっ!」
しかしやはりと言おうか当然の結果だと述べるべきか。
その泣き声は更に増大し、引き付けを起こすのではないかと言う程であった。
「ぐ……何故だっ!?」
敗北を認めたくないアスタルだが、主となるべき赤子をそのままにはしておけない。
彼は隣に控えるべべブルにその任を引き継ごうとしたのだが。
「……俺だと更に泣きじゃくるのは目に見えてるだら。……リリス、頼まぁ」
辞退を表明したべべブルは、さっさとリリスに譲ってしまったのだった。
「私―――ですか―――? 泣き止んで―――くれるでしょうか―――?」
どうにも間延びした、おっとりとした物言いのリリスが、その言葉とは裏腹な表情を浮かべてアスタルより赤子を託される。
一瞬……。
赤子の泣き声が小さくなる。
「おおっ!?」
それを見た男性陣からは、感嘆の声が上がる。
見る限り、この場では最も母性の高いと思われるリリスである。ある意味、この結果は当然と言えなくも無い。
ただ完全に泣き止んだと言う訳では無く、今にも泣き出しそうな状況は変わっていない。
それでもこのメンバー中では一番の変化と言えた……のだが。
「……ハッ!?」
リリスは強烈な視線を感じ、その身を固くしてしまった。
シェキーナとメルルの攻撃的な視線を受けて、リリスは搔かなくても良い汗を掻きだしていた。
「や……やっぱり―――ダ……ダメな様ですね―――」
少しの困り顔と、多大な焦り顔となったリリスが、最後に控えるエルスへと赤子を引き渡した。
エルスに抱かれた途端、誰の眼に
「……エルスが此処に残らなあかんのは……なんもエルスの決心だけやないみたいやな」
溜息交じりにそう呟いたメルルだが、その表情には優しいものが浮かんでいる。
「……ああ……そうかもしれないな」
それに答えたシェキーナも、優しく微笑んでエルスと赤子を見ていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます