弾劾裁判と聖霊様

「さ―――て……。詳しい話……聞かせてもらおうやないか―――……」


 深くソファに腰かけ足を組んだメルルが、半眼にした目から鋭い視線を発してエルスに問い詰める。

 詰問……と言っても、矢継ぎ早に質問を繰り返す訳でも、言葉に怒りを乗せて攻め立てる訳でもなく。

 深く……何処までも深く……そして冷たい……永久凍土も凍り付くかと言う冷たい声音で、ゆっくりと……そして静かにエルスへ質問していた。

 

 エルスは今……針のむしろに座する気持ちそのままだった。


 冷たく突き刺さる視線は、何もメルルだけから発せられている訳では無い。

 メルルの隣に座るシェキーナからは、今にも射殺さんばかりの視線が向けられている。

 病み明けで目覚めたばかりのエルスに、これは余りにもひどい仕打ちとも言える。

 もっとも、当のエルスは床の上に正座をさせられている……等と言う事は無く、メルル達と同様、ソファに腰かけている。

 ただその腕には、安心しているかの様に安らかな顔で寝息を立てる赤子が抱かれていた。

 この部屋にいるもう一人の人物カナンは平静を保った表情をしているものの、その内心はハラハラと不安に掻き立てられていた。

 戦場とは違う……。

 戦いの場では無い……いや、戦いの場では感じる事の出来ない殺気が、この部屋には渦巻いているのだ。


「エルス……率直に問う。その子は……お前の子か?」


 まず切り出したのはシェキーナだった。

 その声は何処までも鋭く、そして深くエルスに突き刺さる。


「う……あ……」


 そうは言っても、実際に剣を突きつけられた訳では無い。当たり前の話だが。

 それでも、エルスはシェキーナの持つ“見えない刃”で貫かれた錯覚に陥っていた。


 エルスに、シェキーナの質問に答える事は出来ない。

 聖霊ネネイとの約定により、エルスは自身の置かれてる立場を明かしてはならないのだ。

 

 ―――エルスの子か?


 この問いに答える事自体は、ネネイとの約束に抵触する訳では無い。

 しかしこの話をする事によって、前後の事情……背後関係などが知られてしまう可能性もある。


 ……こんな時、サラッと嘘が吐ければいいのに……。


 エルスはそれが得意な人物の事を思い浮かべ、その能力が自分にも備わっていればと思わずにはいられなかった。


 その人物とは……ゼル=ナグニス。

 

 盗賊である彼は、必要とあれば嘘をく。

 もっともそれは、彼が常に嘘を吐く様な人物だ……等と、ディスっている訳では無い。

 それにゼルは、そんな無駄な事はしない性格をしていた。

 自身の利益になる事……またはその利益につながる様、誘導する為に嘘を吐くのだ。

 だがその嘘は余りにも巧妙であり、その舌は驚くほど滑らかに動く。

 自然体で彼の話を聞いているだけならば、決してその嘘を見破る事は出来ない……そう思わせる「技術」を持っていたのだった。


「……裁判官、黙秘しています」


 シェキーナはメルルに目を向けると、重々しい口調でそう告げた。

 いつの間になのか、メルルはこの場を取り仕切る「裁判官」となっており、シェキーナもそれをアッサリと受け入れていた。


「……ふん。猪口才ちょこざいな……」


 シェキーナの報告を受けたメルルはメガネのつるをクイッと持ち上げ、ガラスの内側に覗く瞳の鋭さはそのままに口端だけを吊り上げてそう言い捨てる。


「ほんなら……ウチからの質問や。その子の母親は……誰や?」


 凄まじい威圧感がエルスを襲い、彼は自身の身体が押しつぶされる錯覚にとらわれた。

 勿論、人を威圧するだけで本当に押し潰す事が出来る訳は……無い。

 それでもエルスは、まるで圧搾機に詰め込まれ四方から圧縮されている気分となっていた。


 ―――誰の子か?


 この問いに答える事自体は、ネネイとの約束に抵触する訳では無い。

 それでも、エルスにはこの問いに答える事が出来なかった。


 何故なら……そんな事は当のエルスも知らない事だからだ。


 エルスの憶測が正しければ……この赤子は魔族の子……魔王に間違いない。

 それは知っている。聖霊ネネイから説明を受けているからだ。

 だが……この子の親が誰なのか……等と言う事は聞いていない。

 もっともそれが分かったとして、それを言う事が出来るかどうかは別問題なのだが。


 ……こんな時、スルっと会話を流す事が出来れば良いのに……。


 エルスは、それが出来る人物の事を思い浮かべ、その能力が自分にも備わっていればと思わずにはいられなかった。


 その人物とは……ベベル=スタンフォード。


 常に飄々としていた彼は自らの事を積極的に話す事はせず、聞かれた事が都合の悪い事なら上手く逸らす技術に長けていた。

 はぐらかされた……と相手も思うだろうが、その話術の巧みさにその者もそれ以上その話題を続けようとは思わない。

 大人……だったのかもしれない。

 今となってはそれを確認する術も無いが、この時ばかりはエルスもそんな話術が欲しい……そう思わずにはいられなかった。





「ほぉ―――う……。ウチの質問にも黙秘かいな」


 何も答えないエルスに、メルルの方はフラストレーションが高まっているのをアリアリと感じられる表情でエルスを睨みつけていた。

 それはシェキーナも同様の様で、彼女からも如何わしい雰囲気が発せられ、室内はさながら混沌の様相を呈して来ていた。

 

 エルスからは、ダラダラと嫌な汗が流れ続けている。

 そしてカナンも、彼には関係ないにも拘らず、この場に留まりたくない想いで一杯だった。

 ただ不思議な事に、台風の中心にいる筈の赤子だけは、すやすやと眠り続けている。


 メルルが、シェキーナが爆発するその直前、天の助けとでもいうタイミングで部屋の扉がノックされる。


「……何や―――!?」


 メルルの不機嫌極まりない返答を聞いて、客間の扉がゆっくりと開かれる。

 扉の前には3人の人物が立っている。

 それは言うまでもなくアスタル、べべブル、リリスだった。

 一瞬入室を躊躇したアスタル達だったが、流石の胆力と言おうか……武人肌のアスタルを先頭にリリス、そしてべべブルの順で入室した。

 彼等はメルル達に向かい軽く一礼すると、迷うことなくエルスの傍らへと歩み寄った。


「……おはようございます、エルス様」


 そして、まるでかしこまる様にひざまずき、丁寧な挨拶を口にした。

 

「お!? お……おはよう……」


 いきなり現れた魔族3人にうやうやしく挨拶され、当のエルスは混乱を来していた。

 エルスには魔族からかしずかれる覚えなど、全く以て無かったのだ。

 エルスより発したとされる魔王の気配も、意識が朦朧もうろうとしていた彼に気付ける訳も無かった。

 そう言った事情も知らされていないエルスは、ただただ混乱するばかりだった。


「……ふむ。やはり貴方からは、魔王様の気配が……ん……? その赤子は……?」


 立ち上がりエルスにそう話していたアスタルだが、エルスの抱く赤子の姿を見止めて疑問を口にした。

 

「魔王の気配だって……?」


 しかしエルスの方はアスタルの疑問など耳には入っておらず、その前に彼が呟いた言葉の方へと意識を取られていた。


「ああ、そういう事か」


 そして何かを気付いたのか、一人納得顔で立ち上がった。


「んん? どういう事なんや?」


 エルスの言葉を訝しんだメルルがエルスに問いかけるも、彼は何も答えずにそのまま椅子の横にずれると、そっと抱いていた赤子を椅子の上に寝かせたのだった。


「……ふ……ふわああぁっ!」


 何かを感じたのか、赤子は即座に目を覚まして泣き始める。

 一同はそれに驚き……というよりも狼狽気味だったが、エルスにそれを気にした様子は見られない。

 そして赤子を指差し、宣言するかのように告げる。


「それは多分……この子から感じられる気配じゃないか?」


 



 エルスは再び針の筵に座する事となった……。

 それも先程とは比較にならない程の……だ。

 今度の筵には、メルル、シェキーナに加えて、カナン、アスタル、リリス、べべブルも加わっており、四方八方より問い詰める視線が注ぎこまれていた。


「さぁ……ハッキリ答えて貰おうか―――……」


 6人を代表して……なのか、始終この場を取り仕切っていたメルルが、腕組みをしたままズズイと一歩前に進み出て、今度は床の上で正座をするエルスに問い詰めた。

 腕に抱く赤子は先程とは違い泣いてはおらず、見えているのかいないのかジッとエルスを見つめていた。

 

「う……あ……」


「何でこの子から魔王の気配っちゅ―奴をアスタル達が感じてんねん? 何であんたは、その事を知ってんねん? あんたは、この子を産まれさすのが目的やったんか?」


 エルスには何も答え様が無かった。

 メルルの質問は、そのどれもがネネイとの約束に触れてしまうものばかりだったのだ。


 先の発言は、失言と言うには余りに大失敗だったと言わざるを得ない。

 腕に抱く赤子の素性を知っていると、自ら公言している様なものだったからだ。

 そしてそれが偽りで無い事は、アスタルの態度から見ても分かるだろう。

 彼等は改めて、彼等だけに分かるのだろう魔族の……魔王の気配を赤子から感じ取っていた。


 メルルやシェキーナ、カナンもその気配を探っては見たものの、エルスに似通った気配を感じる事が出来ても“魔王”であると言う決定的なものは感じる事が出来なかったのだ。

 戦闘中や気分が昂っている時などであれば、その違いも顕著になるのかもしれない。

 だが今、その気配を感じようとする相手は……無垢な赤子なのだ。

 

 



「あらあら……そんなに攻めちゃあ、エルスが可愛そうよ」


 不意に……一切の物音を立てず、何の気配もさせずに、エルスを取り囲む輪から離れた場所より声が掛けられた。

 そこには……。

 白金の髪に白く透き通った肌を持ち、シェキーナに負けず劣らずの美貌……。

 ユッタリとした神衣に、幾重にも纏った羽衣がなびいている……。

 そして神々しささえ醸し出す4枚の羽根……。


「……ネネイ……か……」


 驚き振り返る一同にあって、メルルだけはゆっくりと……そして強く睨め上げた。

 言うまでもなくそれは、聖霊ネネイであった。

 光の神の御使いであり、神託を齎す勇者の導き手。

 

「そう……私よ……」


 しかし妖しく微笑む聖霊ネネイは、今のエルス達には闇へと引きずり込む小悪魔としか表現のしようがない。


 エルスはネネイの姿を見止めて、やや緊張の面持ちとなっていた。

 彼の言葉が……行動が、彼女との約束を反故にしたと思われたのではないか……そう思ったのだ。

 

「あ……あの……」


 エルスは思わず、ネネイに問い質そうとした。

 ただ、今更聖霊ネネイを何と呼ぶのか……そこに躊躇してしまったのだった。

 これほどの苦難を与えられたのだ。間違っても「聖霊ネネイ様」等と呼べよう筈も無い。

 だからと言って、いきなり「ネネイ」等と呼び捨てにする事もはばかられた。

 だが、そんな考えは杞憂に終わる。

 エルスが何かを問う前に、ネネイが先を続けたのだ。


「うふふ……エルス。元気そうね―――……。心配しなくても、さっきの発言……行動は、私との約束を破った事にはならないわ」


 口端を吊り上げたネネイの笑いは、到底微笑とは程遠い。

 それでも、声音だけは今までのネネイのものだった。


「……約束……だと?」

 

 ネネイの言葉に疑問を拾い上げたシェキーナがそれを口にする。

 それを聞いた一同が、疑問と疑念の籠った瞳でエルスとネネイへ目を向ける。

 今のネネイと約束をし、それを頑なに守ろうとしているエルス。

 それは、あらぬ疑いの火種ともなりかねない事だった。


「約束とは……何だ?」


 シェキーナの言葉を聞いて、カナンがエルスに問う。

 至極当然な質問だが、それでもエルスは俯き加減で答えようとはしなかった。


「うふふふ……もう良いのよ―――……エルス。私との約束は、魔王が生まれた事で成された事とし、既に解消されています」


 髪と羽衣を靡かせて、クルリとその場で回転したネネイが、それは楽しそうにエルスへと告げた。


「魔王……だとっ!?」


「この……子供がっ!?」


「……やっぱりか」


「おおっ!」


 ネネイの台詞に、その場にいる一同がそれぞれにどよめき立つ。

 メルル達は一様に驚きを、アスタル達は喜色ばんだ声を上げていた。


「まぁまぁ、落ち着きなさい。事の次第は、この私が説明して差し上げるから―――……」


 まるで喜劇でも観覧している様な笑みを湛えたネネイが、その声を弾ませてそう告げたのだった。

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