侵入者……?
「……いかん……少し
慌てて顔を上げたシェキーナは、左右に大きく
彼女の動きに合わせて、長く美しい銀髪が大きく広がり円を描く。
暗い室内であっても、何故だか……何処からか光を得ているのだろう、シェキーナの髪は小さくキラキラと煌めいていた。
シェキーナは今、寝ずの番をしていた。
昨晩メルルとカナンを交え、魔族達と会談したのが隣にある応接室。
そしてここは客間として使われている部屋だった。
エルスが寝かされているのは奥の寝室。
そしてシェキーナが控えているのはその隣にある居間であった。
二間続きの部屋とは何とも豪華だが、そこは流石に魔王城と言った処だった。
シェキーナはソファーより立ち上がり、暗闇の中を静かに寝室へと続く扉へ向かった。
その奥では、エルスが静かに眠っている筈である。
メルルの見解では、エルスは何処にも異常はなく、ただ眠っているだけだと言う事だった。
眠っているだけの相手に、看病など必要ない。
大量の汗を掻いている訳でも、
寝ているエルスの隣で、付きっ切りで彼を看る必要も無い。
しかし何があるか分からない以上、完全に放っておくわけにもいかない。
―――エルスの今の状態は……原因不明なのだ。
そこで、隣の部屋で彼の容体を窺う“寝ずの番”を交替で立てる事としたのだった。
そして今は、シェキーナがここに詰めていると言う訳だ。
夜明けを待って交代が来る事となっている。
そしてその夜明けも、ほんの僅かな刻を措いて訪れる事をシェキーナは室内に漂う空気から感じ取っていた。
窓は寝室にしかなく、シェキーナのいる居間から外の様子は伺えない。
だが夜明け前の、独特とも言える空気……シンと静まり、冷たく冷えた空気が沈殿し流動していない感覚は、間違いなく夜明け前に感じられる“雰囲気”であった。
シェキーナはゆっくりと寝室への扉へ近づくと、音もさせず静かに開いた。
彼女の予測した通り、寝室に備え付けられている窓はその輪郭をハッキリと浮き上がらせていた。
陽が顔を出す直前の僅かに漏れ出た光が、薄っすらとだが暗闇だった世界に形を与えていた。
未だ室内は闇の覆っている部分が多く、目を凝らしてもその様子を窺う事など出来ない。
それでも、隣接する森の輪郭がハッキリとしている処から、陽が上るのも時間の問題だと言う事に疑いなど無かった。
「……んっ!?」
近づいてエルスの容体を確認しようとしたシェキーナだが、寝室に1歩足を踏み入れてその動きを止めた。
そしてそのまま暗闇となっている部分に鋭い視線を向け、緊張を高まらせていた。
(……誰だ……?)
シェキーナは、室内に2つの気配を感じ取ったのだ。
1つは言わずもがな、エルスのものである。
しかしもう1つの気配が何だか分からない。
シェキーナの耳には、呼吸音が3つ聞こえていた。
1つはエルス、そしてもう1つはシェキーナ……。
エルスとは違う気配……そして呼吸音……。
明らかに何者かが侵入していると考えられたのだった。
(……何者だ……? ……いや……何処から……?)
侵入者の存在を認めたシェキーナは、少なくない動揺に襲われていた。
自身が隣の部屋で待機していたのだ。
その自分に気付かれずに、隣の部屋からも窓の面している庭からも侵入出来る筈がない。
少なくともシェキーナはそう考えていた。
気配を探り当てる事に関しては、シェキーナはカナンに次いで優れていると自負している。
感性の鋭さは、彼女が鍛え上げたと言う事も然る事ながら、ハイエルフと言う種族の特性でもあるのだ。
狩人でもあるエルフ族は、野生動物を相手に自らの気配を殺し、また獲物の存在を認識する。
それを生まれながらに身に付けているエルフ族は、動物の動きに敏感だと言える。
ましてやハイエルフ……そしてシェキーナである。
熟達した盗賊であっても、彼女の気付かぬうちに前を横切る等と言う芸当は不可能であり、彼女が気付かない程の物音で室内に侵入するなど無理なのだ。
(それ程の……手練れ……? 迂闊だった……)
シェキーナは、全身に浮かび上がる汗を感じながら後悔の念に駆られていた。
ここは魔界……敵の巣窟である。
昨晩は、この魔界を統治しているアスタル達と協力する事で一致し、エルスの容体もあってそれを全面的に信用した。
だがその考えがそもそも油断だといっても過言では無いのだ。
彼女が悔やんでいるのは、アスタル達がシェキーナ達に手を貸してくれるからと言って、他の魔族がそうだとは限らない……その事に思い至らなかった迂闊に……だった。
未だ魔界では、エルス達勇者パーティに仲間を倒され恨み持つ魔族が
そしてそれも、ほんの数週間前の出来事だったのだ。
魔族を無数に殺され、主だったものも倒され、魔王ですら滅ぼされたのだ。
恨みと言うならば、これ以上の恨みなど無いだろう。
シェキーナを始めとしてエルスと同行した者達に、その事についての後悔や悲哀は一切ない。
殊更に魔族を憎んでいたシェキーナでは無かったが、エルスが敵と認めた者を討ち滅ぼすのに何の
これが全くの逆……エルスが人族を敵と見据えたならば、彼女は疑いなく人族を手に掛けていただろう。
別に彼女だけでは無い。
“元”勇者パーティの面々は、間違いなくエルスと行動を供にしたと今でも疑っていないのだ。
しかしそれは言い換えれば、それだけの恨みを買うと言う事だ。
どこかでエルス達の事を聞きつけた魔族が、エルスの容体を良い事に暗殺を試みると言う話は、決して仮定の話だとは言えなかった。
―――陽が昇る……。
寝室の窓から、今までとは比べ物にならない程の光量が射し込んでくる。
丁度東側に面していたことが幸いだったか……不幸だったか……。
黒い森の影から、直視できない程の太陽が顔を出し、瞬く間に周囲の光景に色を与えて行く。
寝室内も俄かに闇が消え失せ、隠れていたテーブルやらイス、タンスやら鏡台やら、ベッドに刻まれた緻細な彫刻、そのベッドに横たわる人物の盛り上がりをハッキリとさせて行った。
シェキーナは動けない。
だから視線だけで、エルスの無事を確認する。
彼の被るシーツの山が、僅かに上下していた。
エルスの呼吸を視認したシェキーナが小さな安堵を洩らし、即座に気を引き締めた。
気配は未だ消えていない。そして、呼吸音も聞こえているのだ。
それでも、いつまでもそのままで……一切の動きを止めたままで居続ける事など出来ない。
エルスが無事だと確認出来たからこそ、彼の傍らに立ち守りに入らなければならない。
彼は未だ眠りについており、その意識は戻っていないのだ。
それでも万全のエルスならば、僅かな敵意を感じれば即座に目覚めていた事だろう。
しかし今の彼に、それを望むべくも無かった。
それどころか、いつ目覚めるとも知れない眠りについているのだ。
シェキーナは意を決した。
可能な限り素早く、そして音も無くエルスに近寄る。
その動きは到底常人の眼に留まる事能わず、彼女の髪が残す銀色の残像を残すのみだった。
無事、エルスの元へと辿り着いたシェキーナは小さく安堵した。
そして即座に、エルスの顔色を窺う。
朝日に照らされた彼の寝顔は安静そのもので、静かに寝息を立て、幸せそうに眠っていた。
(ふう……エル……ス……?)
エルスの顔を見て再度安堵したシェキーナだったが、すぐに彼の傍らにある物体に気付いて目を丸くする。
白い……白い布を幾重にも巻いた……一目見れば楕円形の様な……卵のような物体……。
しかして、それは卵などでは無く……。
エルスと同じ様な眠りにつき、エルスと同じ様に寝息を立てる……。
生まれたばかりと思しき赤子だったのだ。
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