暗雲、立ち込む

(右上段……左小手……下……下……左袈裟斬り……)


 カナンは困っていた。

 彼の受け持った相手は、倒れている周囲の魔族と比べれば群を抜いて強い力を持っている。

 万事に慎重な性格をした魔族の様で、決してカナンに近づき過ぎず、単調な攻撃もしてこない。

 ヒットアンドアウェイに徹しており、タイプとしてはゼルを思い出させる戦士だった。

 

(そう言えば……どことなくゼルに……似てるか?)


 攻撃を回避しながら、カナンはそんな埒も無い事を考えていた。

 戦闘中に考える事としては、適当とは言えない。

 それに先程から受けに徹している戦法も、上策には程遠いと言えた。

 相手からの攻撃は、その出鼻で挫かなければ相手を勢い付かせて仕舞い兼ねないのだ。


 ―――殺られる前に殺る。


 これは極論ではあるが、真理でもある。

 敵から攻撃を受ける前……敵が能力を発揮する前に倒す。

 それはどのような戦闘であっても……個人戦でも集団戦であろうが、勝つ為ならば真っ先にとるべき策と言える。


 しかし今、カナンはその常道を取らないでいた。

 いや……取れなかった。

 

 目の前で“ちょこまかと”動き回る魔族。

 カナンにしてみれば、何時でも倒せるほどの相手でしかない。

 戦闘が始まってより今まで、目の前の魔族に隙を見つけては、心の中で何度も打ち込み討ち取っていた。

 それでもそう出来ないのは……この戦闘が「勝利」を目的としていないからだ。

 メルルにも念を押された通り、この戦いで死者を出してはならない。遺恨としてはならないのだ。

 まずは話し、そして可能であるならば彼等を取り込む。

 カナンの相手も、エルスが相手にしている魔族も、そしてシェキーナと戦っている魔族も、倒れている魔族達より数段強い力を持っている。

 それは即ち、魔族の中でも高い地位……発言力を持っていると考えて良かった。

 わざわざ魔王城へと行かなくとも、向こうからそれなりに高い地位の魔族が来てくれたのだ。

 この機会をむざむざ失うのは、それこそ下策と言うものだった。

 

 だからこそ、カナンは困っていた。


 相手を倒さず、傷つけずに無力化する……。

 そんな都合の良い技を、カナンは持っていなかったのだ。

 相手との実力差を考えれば、何処にどう攻撃を加えても、下手をすれば致命傷になり兼ねない。

 迂闊に攻撃が出来ない以上、徹底して受けに回るしかなかった。


 ……誰かが戦闘を終わらせるまで……。


 だからカナンは、この退屈極まりない戦闘中に、半ば現実逃避でもするかのような思考を巡らせていたのだった。




 シェキーナは困っていた。

 理由は……カナンと同じであった。

 女性魔族は、確かにそれなりの実力を持っている。

 魔法を得意としているその魔族は、ハッキリ言ってシェキーナにおあつらえ向きな相手と言えた。


 女性魔族から、魔力で作り出した氷塊が打ち出された。

 その大きさ、数量、速度は、一流と言って申し分ない。

 だがそれも、“一流止まり”でしかなかった。

 “超一流”以上の実力を持つシェキーナにとって、その攻撃は何ら脅威とならなかった。

 飛来する氷塊弾を、周囲の樹々が伸ばした大小様々な枝が幾重にも重なり、シェキーナを護る様に展開する。

 そして、ただの一発もシェキーナに触れる事無く無力化されたのだった。


「くっ!」


 次いで女性魔族は、火炎弾を放出した。

 その火力、数量、速度は以下省略。

 そして結果もまた、先程と全く変わらないものだった。

 

 樹木が火に弱い……と言うのは誤解である。

 良く燃える木と言うのは、あくまでも乾燥した……枯れた樹の事を言う。脆い樹と言うのも同様だった。

 生命力に満ち溢れた樹木は、その内に確りと水分を巡らせており、中々に燃えにくいものなのだ。

 強度にしても、活き活きとした樹は表皮も固い。そう簡単に破壊したりは出来ないのだ。


 ましてや、シェキーナを護る樹々には彼女の魔力が付与されている。

 高位魔法使いの放つ魔法ならば、流石にこうはいかない。

 しかし目の前の女性魔族の実力ならば、その魔法がシェキーナを害する事など無いのだ。

 そして……。


「くぅっ!」


 シェキーナの放った弓矢は、女性魔族の結界を貫通し、彼女の右腕に薄い筋を付ける。

 格別に力を籠める事無く矢を放っても、シェキーナの攻撃は女性魔族の防御障壁を易々と貫通してしまうのだ。

 もしも矢が彼女の身体に突き刺されば、そこで刺さって終わり……とはならないだろう。

 恐らくはその部分が弾け飛び、下手をすれば命に関わるのかもしれないのだ。


(……ふぅ……参ったな……)


 シェキーナもまた現実逃避気味に、何気なくエルスの方へと目を遣った。


「……っ!?」


 その時、シェキーナの瞳には信じられない光景が飛び込んで来た。

 そして次の瞬間には、そちらの方へと駈け出そうとしていたのだった。

 だが、間が悪く……とでも言おうか。

 そのタイミングで、女性魔族の放った魔法がシェキーナに多数、飛来した。


「邪魔を……するな―――っ!」


 シェキーナが叫ぶと同時に、周りの樹々からは一層太い枝が出現し、シェキーナの周囲に展開した。


「きゃあっ!」


 その枝はシェキーナの防御に留まらず、魔族女性をも直に攻撃したのだった。

 刹那にシェキーナが我を取り戻しコントロールする力を弱めていなければ、魔族女性は倒されていたかもしれない。

 幸いにも……と言って良いだろう、彼女の防御障壁もそれなりの強度を持っており、魔族女性は巨枝の直撃を受けたものの、命までは奪われなかった。

 しかし今のシェキーナに、その事に気を回している余裕はなかった。

 後方よりの逆撃がある可能性を無視し、後ろを振り返る事も無くシェキーナはその場を駆けだしていた。




 エルスは、明らかな体調の異常を自覚していた。

 巨漢の魔族と剣を一合打ち合わせた瞬間、急激に力が減衰する感覚に襲われたのだ。


(こ……こんな時に……か……!?)


 立っているのもつらい程の脱力感に、エルスはただ只管……辛うじて受けに回るしか出来なかった。

 

「元勇者と言っても、こんなものかっ!? それとも、力の出し惜しみでもしているのかっ!?」


 巨漢の魔族に手加減を加える気配も、油断をする素振りすらない。

 一方的に攻めているにも拘らず、力を弱める事も無くエルスを押し潰さんと鉾槍を振るっていた。


「く……そ……」


 巨漢魔族の猛攻に、最早その攻撃を受けるだけで精一杯となったエルスは、片膝をついて耐えるより他に無かった。


「……っ!? エルスッ!? どないしたんやっ!?」


 真っ先にエルスの異変を感知したのは、後方より各人の戦闘を見守っていたメルルだった。

 演技でも冗談でもない、本当に苦戦しているエルスに、メルルは思わず声を上げていた。


「ぬぅっ!?」


 そして即座に、エルスに対して防御魔法を発動したのだった。

 巨漢魔族の攻撃は、メルルの防御障壁に阻まれて押し戻されてしまう。


「エルスッ!」


 そこへ駆けつけたシェキーナが、エルスと巨漢魔族の間に割って入った。

 増援程度で怯む巨漢魔族では無かったが、シェキーナの視線と迫力には流石に気圧されてしまった。

 そこへカナンも駆けつける。

 彼もまた、エルスの様子に不自然さを感じ取り、慌てて戻って来たのだった。

 一対一の戦闘であったが、期せずして集団戦の様相を呈し、両陣営は睨みあいとなった。


「……メルル」


 シェキーナが、メルルにを求めた。

 それは言うまでもなく、目の前の魔族を倒す……殲滅する為の意思確認だった。

 シェキーナにとって……メルルにとっても……カナンにしてみても、目の前の魔族などエルスの事に比べれば些事にしか過ぎない。

 魔族との会談も、上層部を取り込む案にしたって同様だった。

 突如噴き出す様に襲い掛かって来た恐るべき殺気を前にして、魔族達は攻撃する事が出来ずにいた。

 それどころか、僅かに動く事さえ出来なかったのだった。

 

「……ああ……しゃーないな」


 そして、メルルの許可が下りる。

 正しく一触即発の状況であったが、この場が血の海とならなかったのは全くの偶然だったかもしれない。


「……待って、アスタル。この……気配……」


 突然何かに気付いたように、魔族女性が驚きの声を上げた。


「……気配……だと……? ……っ!?」

 

 魔族女性に指摘され、巨漢の魔族「アスタル」は訝し気な声を上げるも、すぐに何かに気付いて絶句する。

 突然騒めきだした魔族を前にして、今にも襲い掛からんとしていたシェキーナとカナンも一旦様子を見る姿勢となった。


「まちげーねー……これは……魔王様の気配だら」


 随分と訛りの有る魔族が、自分達が何を感じ取ったのかを口にした。

 自分達3人が同じ気配を感じ取った事を確認し、アスタルは驚愕の表情を浮かべる。


「な……何故だ……っ!?」


 何故だと問われたシェキーナ達だが、アスタルの言っている意味が一向に理解出来ない。

 シェキーナ達もまた、互いに顔を見合わせて疑問を顔に浮かべていた。


「何故……何故その男から……勇者から魔王様の気配を感じるのだっ!?」


 そしてその疑問を解消する様に、アスタルから信じられない言葉が告げられたのだった。


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