逆強襲

 急で険しい山道を、エルス達は然して苦も無く降りて行く。

 鍛え抜かれた高い身体能力は、戦闘以外でも如何なく発揮されているのだ。


「ちょ……ちょっと待って―な―……」


 そしてその例に洩れた人物から、弱々しくも情けない声が先を行くエルス達に掛けられた。

 言わずもがな、その人物とは「大賢者」メルルだった。

 

「ふぅ……本ばかり読んでいないで、たまには運動したらどうなんだ? まだそれ程下っていないだろう」


 シェキーナが足を止めて、後方より足を……いや、身体を引き摺りながら近づいて来るメルルに返事を返した。

 エルス達も立ち止まり、苦笑いを浮かべながら二人のやり取りを見ている。


「そ……そんなんゆーたってな―――……。ウ……ウチの予定に……山登りも……山下りも入ってへんかってんから……しゃーないやろ―……」


 息も絶え絶えに……とはとても大げさでは無く、メルルは今にも倒れそうな程呼吸を荒くしていた。

 

「それじゃあ、ここで少し休憩を取ろう」


 そんな姿を見てしまっては、エルスにメルルを放っておく等と言う選択肢は無かった。

 そして冗談では無く、本当に辛そうだと見て取ったカナンとシェキーナも、小さく溜息を吐きながらその場に腰を下ろしたのだった。


「……よくもそんな体力で、魔王城の裏にそびえる山脈から急襲しようなどと提案できたものだな」


 呆れた成分をたっぷりと含ませて、シェキーナがメルルに嫌味とも取れる言葉を掛けた。

 この作戦を立てたのは、全てメルルに他ならない。

 彼女の計画能力や計算能力を以てすれば、こうなる事は容易に想像出来そうなものだが。


「い……いや―――……まさか山下りがここまで大変やとは……思わんかったわ……」


 倒れ込む様に座り込んだメルルは、腰に下げていた水袋に勢いよく口を付けて一気に飲み干した。


 メルルとて、一切の登山下山経験が無い訳では無い。

 エルス達と共に、世界を巡って様々な所へと赴いたのだ。

 その中に、山や谷が無かった訳では無い。

 それでも、今エルス達が下っている様な急斜面は流石に無かった。

 勿論、シェキーナの言った様に、本の虫であるメルルにはエルス達の半分も体力はない。それどころか、一般人程度の体力しかメルルには無かったのだった。


 ―――魔力は……他を圧倒的に凌駕しているのだが……。


 それでも、彼等が挑んでいる傾斜は凶悪過ぎた。

 人一倍どころか、二倍三倍も筋力体力が無ければ、決して楽に踏破する事は出来ないだろう。


「いざ戦闘になって、息が乱れて魔法が使えない……何てことになったら目も当てられないからな。ここは慎重に、そしてゆっくりと下ろう」


 エルスも腰を落ち着け、本格的な小休止となったのだった。


 季節は心地の良い風の吹く、春も終わろうかと言う時期なのだが、それも地上では……と言う言葉が連なる。

 周囲より一際高く、樹々が殆ど生えていない山頂付近ともなれば、吹き付ける風は冷たく……強い。

 そんな悪条件では、メルルの行軍速度が上がり様も無く。

 足の遅いメルルの歩調に合わせての下山で時間をタップリと使ったエルス達は、結局山を下り切った場所で日没を迎える事となり、その日はそこで野営を取ることとなったのだった。




「はぁ―――……本当なら、今日中に魔王城へと辿り着いて、温かいベッドで休んでいた筈なんだがな……」

 

 周囲の森で獲った鳥やウサギを火にかけながら、シェキーナはわざとらしい溜息を吐いてそう零した。

 エルスとしてはシェキーナの物騒な発言にも驚きで、呆れながらシェキーナとメルルのやり取りを眺めている。

 魔王城へと赴き、首脳陣を懐柔……若しくは全滅させるメルルの作戦。

 どうにも強引で物騒な提案であり、当初はエルスも勿論、シェキーナやカナンも難色を示していたものだ。

 それが今では、自分達が魔王城に居座っていること前提で話しが成されている。

 何事にも順応力が高い事は悪い話では無いが、ここまですんなり受け入れるのも考え物だ。

 エルスはしみじみとそう感じていたのだが。


「まぁ……そう言いなや。お蔭で、こっちから行く手間が省けたっちゅー事ちゃうんか?」


 メルルがシェキーナの愚痴に相槌を打った直後、エルス達の周囲で爆発が起こり、周囲に火柱が何本も立ち昇る。

 もっともそのどれもが、エルス達は勿論、彼等の調理する食事一つ倒せず、即席の器に注がれている水の一滴さえ溢す事は出来なかった。


「……ふん。結果論だな。……それでも確かに、手間は省けたと言う意見には賛成だ」


 周囲の喧騒などどこ吹く風、カナンはそう意見を告げると、焚火の傍に刺してあったウサギの丸焼きを手に取り、豪快に口へと運んだ。

 彼には慌てた様子も驚いた雰囲気も無く、まったくの自然体で食事を摂り続けている。

 

 火柱が納まり、今度は無数の矢が雨となって注ぐ。

 そしてやはり、そのどれもがエルス達へと届く事は能わない。


「ここでの野宿がバレるなんて……焚火の光が見つかったのか?」


 エルスも特段に急ぐでもなく、やはり焼いていた鳥を手に取り、そのまま口へと運んだ。

 会話の調子も、その声音も、まったくの普段通りだ。


「いや―――……ウチは何かしらの“悪意”っちゅーやつを感じるで―――……」


 メルルは器の液体を飲みながら、何かを思案する様に眉根を寄せて中空に視線を向ける。

 そこに何かがいると言う訳では無いが、メルルの瞳はその居ない誰かに文句を言っている様であった。


「悪意……と言うと……。それは聖霊ネネイの事か!?」


 僅かに緊迫感を演出したシェキーナの台詞だが、それも食事を頬張りながらでは迫力に欠けた。

 

 そうこうする内に、森の奥より飛び出した複数の影が、エルス達目掛けて武器を構え飛び込んで来た。

 それぞれに奇声を発し、手に持つ武器を振りかぶっている。

 しかし……やはりその誰もが、エルス達の元へと辿り着く事は出来なかった。


 魔族から受けた奇襲は、そのどれもがメルルの張っている防壁を破る事が出来なかった。

 世界随一の魔法の使い手……そのメルルが張る防御結界なのだ。

 食事の片手間で展開しているとは言え、並大抵の者にこれを打ち破ることなど出来ない。


 そうこうしている内に、エルス達は粗方食事を終えて一段落していた。

 周囲の状況を考えれば、それはどうにも奇妙な光景だとしか言えない。

 

 ―――群がる武器を構えた魔族……。


 ―――時折巻き起こる火柱……降り注ぐ氷柱……渦巻く突風……。


 ―――その中心で団欒を取る“元”勇者一行……。


 薄い魔法障壁一枚隔てて、それはそれぞれが別の世界の出来事であるかのようだった。


「……ん? 少しは骨のある奴が出て来た様だな」


 真っ先に立ち上がったカナンが置いてあった剣を腰に差し、気配を感じた方角へと目を向ける。

 その直後、一層甲高い魔法壁を討つ音が周囲に響き渡る。

 周辺に展開している魔族よりも、一回り大きな……そして立派な鎧と巨大な鉾槍グレイブを手にした魔族が、堂の入った構えから攻撃を繰り出していた。

 そしてその魔族の後から、新たに2人の魔族が現れる。

 その風体は勿論、纏う空気が周囲とは異なっている。

 それを見たエルスが、そしてシェキーナも同時に立ち上がる。


「あんたら―――。程々にせなあかんで―――。ウチ等の目的は……」


「分かっている。まずは懐柔する事が重要だと言うのだろう?」


 メルルの忠告に、戦闘モードへと入ったシェキーナが答えた。


「その為には、他の雑魚共も殺したらあかんで―――。手下や同族を目の前で殺されたら、とても話し合いにはならんやろからなぁ―――……」


 確かに、如何に温厚な人物であっても、目の前で虐殺でも見せつけられ様ものなら、とても平和的な話し合いなど望むべくもない。

 

 「ならメルル。周囲の魔族を黙らせてくれ。後は俺達が何とかするからさ」


 動こうとしないメルルに、エルスがニヤリとした笑顔を向ける。

 メルルも、自ら話を振った手前、我関せずを決め込む事は出来なかった。

 のそりとした動きで立ち上がり。


「しゃーないな―……。ほな……行くでっ!」


 そう啖呵を切ったメルルの身体が瞬時に光る。

 その瞬間、エルス達を護っていた防御障壁が解かれ、それがそのまま突風となり周囲の魔族に襲い掛かった。

 不意の攻撃に晒され、また思いも依らぬ強烈な攻撃に、群がっていた魔族達は勢いよく吹き飛ばされる。

 周囲の樹に、岩に体を打ち付けた魔族達は、その殆どが気を失っていた。

 僅かに意識を繋ぎ止めた魔族も、まともに動ける様な状態では無い。

 メルルの攻撃を受けて未だ平然としているのは、後から出てきた3人の魔族だけだった。


「よし、あのリーダー格は俺がやる」


 エルスは最初に現れた巨漢の魔族を相手どる。

 

「ならば俺の相手はあの小男か……」


 スラリと剣を抜き放つカナンの見つめる先には、どうにも曲者感の強い魔族が下卑た笑みを浮かべて立っている。


「ならば私の相手は……あいつね」


 必然的にシェキーナの相手となったのは、3人の中で唯一の女性であった。

 美しい顔立ちに気の弱そうな表情をしているものの、その瞳にはしっかりとした意思が宿っている。


 そして双方は、どちらが声を掛ける事も無く、一斉に剣を交えたのだった。


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